第29話 外界の生き残り

「俺たちはまだお互いに何も知らないことだらけだ。俺にアークが会う保証もない」


 俺はアンヌ・フローラがこうもしとやかに足を組んで座って話せる相手とは思っていなかった。廊下の奥から病室を引っ掻き回し、機器や医療道具をぶちまけながら捜索する騒音が反響してくる。


「まあ、彼は誰にも居場所は告げないでしょうね。長年友好関係にあった我々にもこうして反抗的な逃避行を続けているんだから」


 少しは話に興味を持って乗ってこないのかというような挑発的な笑みがもたらされた。女なのか男なのか分からない乱暴なしぐさで巻物型の携帯透過性パネル『イーブン』を投げ出した。


 巻物が展開されると、これまで見たことのないアークのやつれた顔写真が書類状のデータに載っていた。目元は落ち窪み、何日も徹夜したようなくまができており、あのお得意の笑みの欠片もない。


 何より、一番驚いたことは、その年齢は三十代から四十代にも見えることだ。その写真の下に古びた記事の複写が載っている。紙媒体をそのまま取り込んだようで赤茶けた文字はかすれている。


「それは百年前の上層階でも一部の人間にしか知らされなかった行政報告書」


 俺はそんな国家機密文書をこの目に焼きつけていいのか? と怪訝な目で睨んだつもりだったが、アンヌ・フローラは俺が手を伸ばすことには満足げな笑みをたたえるだけだ。


「当時、その一大事件はノアの子孫ノーデたちの存在そのものを否定しかねないとしてニュースにすることははばかられた」


 上層階の政府関係者のみでやりとりされる百年前の報告書には、大きく異邦人エントリアジェと書かれている。外界エクステリユの氷の大地より生還とも。


「アークは上層階の人間でも下層階の人間でもない、外界(エクステリユ)の生き残りよ」


 あり得ない。百年前に外界エクステリユからやってきたっていうのか? ってことはあいつは百歳?


「そんなバカなことが。だってあそこは氷点下の世界だ。人間が生きていられるはずがない」


「そのとおり生きていたわけではないのよ。彼はあの極寒の地で自ら凍結して仮死状態にいたの。二百年前にね」


「二百年も?」


 話が大きすぎる。二百年というと、エルザスの建国と同じではないのか? そのことに思いいたると青ざめた俺にアンヌ・フローラはため息まじりに微笑んだ。


「これがどれほど大きな問題であるか分かったかしら? 彼は二百年前の生存者というだけでなく、アルザスの建国にもかかわる重要人物よ」


「いや、ちょっと待て、二百年も前に凍ってたのに百年前に出てきたってことかよ」


「何故そんなことができたのか、それは、外界エクステリユを氷の世界に導いたのが、ドレイシー本人の仕業だからよ。彼が氷の世界を築かなければ、アルザスは存在しなかった。彼は外界エクステリユの人類を滅ぼした人間だけれど、アルザスを滅ぼす意思はない」


 ここにきて、外界エクステリユが滅んだ理由をさらっと聞いてしまった。俺は教科書と全く違う全貌を聞かされているのではないか?


 アンヌ・フローラはとことん俺に全てを教えてから俺を抹殺する気だ! それともこれは俺を恐れさせる何かの罠か。


「アークが外界エクステリユを凍らせたのか? そんな一個人の力でそんなことができるってのか」


温暖化メサ冷却装置の暴走が原因ならば暴走を引き起こした人物がいることは何も不思議ではないわ。普通なら彼は犯罪者。そう外界エクステリユが存続していればの話ね。でも、ここはアルザスよ。我々は彼に感謝すらするべきだわ」


 何て傲慢なやつらなんだろう。外界エクステリユが滅んだことを喜ぶアルザス至上主義というわけだ。だが、俺もアークに対してやりきれないような嫌悪感が襲った。アークが全人類を滅ぼしかけた原因なのだ。エルザス以外の世界は壊滅してしまった。もっと世界は広かったはずなのだ。何故そんな愚かなことをしでかしたのだろう。


「その後も百年ここで生きてるってのか」


 アークには罪悪感や後悔はないのだろうか。少なからず俺には見受けられなかった。あの手術の痕は若返りをしているためだとは分かっていたが、そんな百年の歳月の間手術を繰り返しているとは思わなかった。何のために自らの命を引き伸ばすのだろう。


「彼の医療技術は二百年前から一歩進んでいたそうよ。彼に会ったのなら分かったでしょうけど、自らに施す若返るための医療技術も然り」


 アンヌ・フローラは更に上層階の豪邸と研究所の写真のデータを俺に見せた。その一室で華やかな催し、さながら晩餐会で白いスーツで中央に据えられているアークは主賓だった。


 満足そうでありながらその顔にもいつもの笑みはなく、形式ぶった挨拶程度の笑みで歴代司令官総長と、官僚たちに肩を並べている。


「百年前の当時、アルザスの歴代、司令官総長はドレイシーを丁重にもてなし彼を歓迎した。我々はドレイシーとは友好関係を築き、彼に生活や資金を提供する代わり、事実は伏せて置くようにとお互いに納得の上、上層階の屋敷に住まわせた。ドレイシーは上層階でも特権階級として、アルザスのトップの議長と同じぐらいの生活水準を保障されていたそうよ」


 そこでもアークの写真が何枚か映し出されたが、やつれた顔は少しましになっていったとはいえ、どこにも笑みは見られなかった。悲観したような、刺すような目つきが撮影者に向けられて怒りが滲み出ていた。


 だが、このような楽し気な席ではきっと誰もそのことには気づかなかったのではないかと容易に察しがつく。現に今写真を共に眺めているアンヌ・フローラはこの優雅な暮らしぶりに何を反抗する必要があったのかと、疑念の眼差しを向けている。


「彼の望みがアルザスの移住ではないことはしばらくして分かったわ。彼には好きな研究をさせ、好きなように患者を診させた。

 ときどきふらっといなくなっては帰ってくる。どうやら彼は外界エクステリユに行き来していた。

 当時の我々もまだ甘かったもので、彼を野放しにしていた。

 彼の望みとは彼と少し遅れて現れたもう一人の外界エクステリユから同じく生還した女性を看護することだった。

 金や地位よりも彼の欲したのは彼女の治療法だった。ここからが本題よ」


 最後のアークの写真はまるで指名手配書のようだった。二十代に若返っているが、それでも五十年ぐらい前のものだろうか。顔はすっかり美青年に戻り、憂いの欠片もなく、自信すらうかがえるいつもどおりの微笑みで、俺の知っているアークに親近感を覚えてほっとした。その瞳にはよからぬことを企んだ確固たる意思が見える。


「ほかにも外界エクステリユから生存者が?」


「五十代目司令官総長のときに、彼は彼が現れた二ヵ月後に現れたその外界エクステリユの女性とともに姿を消した。それが五十年前。私の代になる今まで手がかりはなかったわ。あなたには、ドレイシーとこの女性を探してもらうわ」


 日付はアルザス歴、百五十年の五月一日。最後に見せられたデータ写真の女性は、どこかで見たことがある気がしたが、具体的に誰かに似ているという特徴は見受けられない。


 髪は躍動的に波打ち、赤黒く光っている。鼻が高く唇を結んでいるためか高慢な印象を受けた。でも、それを打ち消すように目はとてもおっとりとしているので、少し知的なだけといった感じか。

 

 ただ、それ以上に表情に色がない。


 上品な緑のワンピースを着て、格式高い椅子に座っていることから、これが後世に残すために撮られたフォーマルな写真であることを踏まえても、緊張感とは別に女性を憂いが包んでいる。無感動で遺影を思わせる写真だった。


「彼女はニノン・ドレイシー。アークの姉よ」

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