第34話 二百年前の話 ➁

「俺はチェコス人。もうアルザスには俺とニノン以外に生存者はいないね。君は上層階の話になると肩を怒らせるんだね。

 二百年前は今みたいに過激な関係じゃなかったよ。隣国だけど、今の下層階に押し込められたウィツァとも戦争したりすることはなかったしね。

 今だって戦争はできないでしょ? 

 アルザスっていう一つの傘の下に成り立ってるんだから、どちらかで攻撃すれば共倒れになる。

 それが、昔は惑星規模だっただけだよ。

 興味深かったのは、各国の政府、官僚も幼児化したことだ。

 それで、政権交代が各国で起きた。

 ことの緊急性により各国より召集された俺たちは、早若病だけでなく、人類滅亡の危機を乗り越えるためにどんな手段も厭わないような医者や科学者、研究者だったわけだよ。

 俺は馬鹿真面目に早若病だけ、ニノンのためだけに研究していたんだ。

 それが、蓋を開ければ、集まった人間はみな、好き勝手に研究しはじめたんだよ。ウィツァのユーゴ・ラバールは機械の回路と人間の神経回路を電気信号で繋ぐ研究、シンクロ能力の研究者だったしね」


 俺がそいつはランセス人かと呟くと意味深な目くばせをした。


「俺はユーゴとは友達だったんだよ。『機械とシンクロすることで人類は、人類という枠から外へ更に進化する』なんてのが、彼の口癖だったけど、彼は格好ばかりつけてただけだったね。それがいいところなんだけど」


 ユーゴというのはアークにとって親し気な友人のようだった。


「まあ、機械側から人間を制御することで人類を救おうとしたんだ。主にシンクロ能力を持つ人間を機械側から制御するような研究さ。そうすれば姉さんの病も機械によりプログラミングされ、進行を遅らせることができるかもしれなかった。俺はずっとそれだけは反対してた。機械に制御されるなんてとんでもないからね。それに何百年かかるか分からなかったし」


 ここで一息入れたアークは妙に楽し気だった。ユーゴのことを誰かに話すのは初めてだそうだ。


「でも俺にも分かってはいたんだよ。人類と繋ぐ機械の開発が成功すれば、それは、医療の域を越える。将来的には医者という職業が、プログラマーやエンジニアを指す。それはもう実現していることだし。

 でも、俺は生身で生きていたい。

 薬剤ですませられるなら、薬の研究を続けるべきだよ。

 ユーゴにはいつも諭されたよ。

 人類自らが無意識的に機械とシンクロするときが来る。そのとき彼らは人類を越えた超人類となるだろう。

 そのとき、彼らが危険分子としてではなく好意的に迎えられるためにも、機械と人類のリンクを我々は率先して研究すべきだってね。

 でも、彼は幼児化のスピードを知らなかった。もうじき、世界の半数以上が幼児化して、姉さんも数週間後には、胎児に戻って消滅するっていうのに。

 俺は人類の冷凍保存計画を推奨した。人類滅亡間近なら、どんな非合法的な医療でも認められると思わない?」


「人類の滅亡に直面したことがない俺には分からないな。だが、できることなら手は尽くすべきだろう。俺もマルコを生かすためには手段は選ばないクチだからな」


 アークは俺のことを軽蔑するだろうと思った。アークはあくまで生身であることに強いこだわりがある。マルコのことをロボットにまでして生かしたいと思う俺とは似ているようで対極に位置するが、物静かに微笑むだけだった。ここにきて俺のことを許すとでもいうような眼差しで迎えられて俺は戦慄を覚えた。


「俺は幸い、生まれつきのシンクロ能力者でね。当時のシンクロ能力者は今みたいにありふれた存在じゃなかった。逮捕されたり、実験材料にされてもおかしくなかった。ただ、俺の医者としての地位や、技術で隠し通してただけだよ。でも、世界を救うには冷凍保存がいいと思ったんだよ」


「凍らせて未来に行くためにか。ほんと、お前は発想がぶっ飛んでるな」


冷凍コールド睡眠スリープと言っても俺にはまだその能力が足りなかったんだけどね。俺の能力はまだ未熟だった。

 最初にシンクロしていたのはただの冷凍庫だったからね。

 人なんて凍らせる力はなかった。せいぜいできたのは細切れの肉や、魚の冷凍ぐらいさ。

 シンクロ遺伝子の研究を重ねていくうちにシンクロとは、突然変異的に発現する能力だが、自らの意思でも接続できる機械が分かればその機械または、類似したものならシンクロできるかもしれないという仮説が浮上した。

 俺はユーゴにだけシンクロ遺伝子の研究に協力する代わりに俺自身もこの氷の能力で人体を凍らせる研究をさせて欲しいと申し出た。ユーゴはその日のうちにジョッキ何本も勝ち割るぐらい飲んで喜びを表現したよ」


「なんだかマルコみたいなやつだな」


「何でそう思うの? まあ、否定はできないけどね。彼とは共に早若病の対策よりも自分たちの研究で手一杯なマッドサイエンティストとして認識されてたし。

 対策チームのほかのメンバーは幼児化を防ぐ薬そのものの開発に当たっていたけど、俺たちから見ればそれは今の技術ではとても不可能なものに見えたんだよ。

 いや、開発チームも分かっていてそれを続けていた。

 給料が出るからね。明日は我が身かもしれないのに、与えられた無菌室で一生過ごしていくんだと思っていた」


「避難してたのか?」


「当初は感染症も疑われていたからね。詳しく調べたら世界各地で同時に多発する脳の異常退化だったから、原因不明のままだったけど。原因不明ほど怖いものはないよ。暴動もあったけどみんな子供になっていくからすぐに鎮圧されてたよ。」


「ニノンは、いつ発症したんだ?」


「姉さんは当時ダンススクールに通っていた。今じゃとても想像できないような真っ赤なドレスでフラメンコを習いに行っていたよ。と言っても発表会があるまで俺は一度も真っ赤なドレスを見せてもらえなかったけど。

 リビングで鏡に向かって腕を空に向けて伸ばしているときなんかは、いつも黒い薄でのタンクトップだったからね。

 背中にまとわりついていた髪も長くて柔らかい質感だった。姉さんは、いなくなったんだよ。

 俺に助けを求めるようなことはしない強い女性だったから、医者の俺なら診てやれるのに。

 恥ずかしいからって行方不明になって一週間も顔を見せなかった。それで、早若病患者の隔離命令が出て緊急避難がはじまったとき、ただごとじゃないって俺の前に現れたんだよ」


「ニノンが活発な女性だってのはなかなか想像できないな」


「それでいいんだよ」


 思い出はアークの中にしかないのだろう。だけどニノンにはまだ意思がある。アークだって分かっているだろうに。

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