第35話 二百年前の話 ➂

「話がそれちゃったよ」


 アークはあくまでもニノンのことは主軸に語るべきではないと考えている。


「早若病の薬が難航するのは目に見えてたけど、凍結計画はもっと酷い。

 誰も推進してくれなくてね。

 おかげで俺はユーゴと本格的に組むことになったよ。

 ユーゴの提案で冷凍庫ではなく、温暖化メサ冷却装置にハッキングして俺の神経と繋いだんだ。

 それは何日もかかる大掛かりな実験だったし、俺自身が非検体だったから。

 もう拷問でしかなかったね。意識は何回も飛ぶし。

 自分が温暖化メサ冷却装置のファンになったみたいに回ってる感覚があるし、感電もよくしたし、吐くし、それも吐血なんだか、嘔吐なんだか分からないありさまで、ある日には心臓も止まったらしい。

 それで、俺は気づいたんだ。ニノンのための研究が、今はユーゴの実験材料になってるんじゃないかってね。

 まあ、安定してきたらファンの音や、タービンの音、隣の発電機から送られてくる暑い息みたいなエネルギーが、まるで血管を流れる動脈や、静脈に感じる程度で済んだんだけど」


 アーク自身が被験者になるとは驚きだ。研究のためなら手段を選ばないという点では尊敬に値する。


「それでもやめなかったのはニノンのためか」


「姉さんには時間がなかったから。凍らせて保存するにはできるだけ成人年齢に近い内にやらないとだめだ。明日目覚めたらまた、二歳、いや、どんどん早くなっていくんだから。五歳は若返るんだよ。記憶もまた少し減っていくし、いつかは俺のことも完全に忘れるだろうからね。それに、シンクロ能力の存在を世に認めさせない限り凍結計画は不可能だと言われた。それは何年かかるんだろうね」


「結局どの対策を取っても時間がかかりすぎたのか」


「そうだよ。凍結計画も、凍らせたあと、誰が健康状態を管理するのかという問題があったし。俺が思うにあのままシンクロ能力の研究が続行されていれば、今のアルザスのようなUコードシステムを採用した国が増えていただけだよ」


「どういう意味だよ」


「各国の代表は早若病対策よりも俺を手に入れて実験し、人と機械を繋ぐシステムを確立させたいらしかった。若返る病と早く年を取る病の進行を一つの機械で制御しようとしたのさ。ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群。ニノンの病気とは反対の病とね」


「おいおい、まさかとは思うけどUコードシステムの前身って」


「後に俺が凍結から目覚めて訪れたアルザスで常設されていて驚いたよ。Uコードシステムは病気の仲介と、均衡を保つという本来の治療の目的はなくなっていて、人口増加に対する殺人システムに成り果ててた」


「そんな、じゃあそのユーゴってやつのせいでUコードシステムが作られたのか」


「ユーゴを悪く言うな」


 アークは瞳を閉じていた。怒鳴ったとき普通目を見開くものだが。どこか冷ややかなのは自分への戒めなのだろうか。


「彼は、友人の俺を売るような真似はしたくないって、こっそり教えてくれたんだけどウィツァとランセスが共謀して俺を解剖したいってね。俺に決定権はいつの間にかなくなってた。被検体になったときから、主導権は奪われてたんだ。だからこそ、お前の意思で協力してくれ、そうすれば解剖だけは免れるってさ」


「待て待て、ランセスだけじゃなくウィツァもUコードシステムを採用してたかもしれないってのか。じゃあ、今上層階の連中と下層階の連中の関係や地位も逆だったかもしれないって?」


「そうだよ。だから革命なんてくだらないんだよ」


 何でこいつはことあるごとに革命グループを皮肉るんだろう。


「じゃあお前はアンヌ・フローラから隠れて逃げ回るだけかよ?」


 アークは小さく微笑んだだけだった。


「悪かったよ。水差したな」


「俺が強硬的に人々を冷凍させたのは、ランセスとウィツァのせいだよ。

 だんだん非協力的になった俺に対して各国連合軍が動いてね。

 軍部でもだいぶ幼児化問題で人数は減っていたけれどそれでも十人ぐらいに囲まれて連れてこられた姉さんに銃が向けられた。

 射殺する乾いた音が研究所の窓ガラスをビリビリと鳴らしたのを今でも思い出すと吐き気がするよ。

 姉さんの血で染まった赤い髪が舞って、それを追うように頭部が傾いていくんだ。両手で押さえきれない血が、指の隙間を潰した果実のみたいにね? 跳ねていくんだよ」


 アークは物憂げにペンを転がした。ペンは机上を斜めに転がり拾われることなく床に落ちた。


「姉さんが死ぬくらいなら、凍らせて死をなかったことにしたい。可能性は薄かったし、不完全な凍結方法だった。

 ついでにその場にいる全員を凍らせたのが始まりだった。姉さんを失って何もかもどうでもよくなって、フロアを凍らし、逃げ惑う人々を凍らし、建物を凍らした。人々を救うための名目だったけど、どっちでもよかった。

 人類保存なのか、大量殺人なのかは俺にも分からなかったし。

 でも、歯向かう人間から先に凍らせていったにも関わらず、要人や、各国の官僚は生き残り、アルザスが建国された。

 やりつくした俺も自身を凍らせて外界に留まった」


 アークは早口で言い終えた。どれも自分のことだとは認めたくない様子だ。


外界エクステリユで凍結した人は助からなかったんだな?」


 こいつは医者でありながら命を軽んじている。責めるように言うとアークは一瞬だが、その蒼い目を泳がせた。


「そうだよ。俺一人で管理できるわけもなかった。正直に言うと俺のエゴだよ。それに衝動的に凍らせたことで不完全な凍結方法を取ってしまったから腐敗も早かった。姉さんだけでもと俺は百年早く目覚めて治療法が確立されているであろう二百年後まで姉さんの保存に力を注いだんだけどね。目覚めたときにはすでに人類の半数が亡くなっていた」


 罪深い人間というものはいるが、それは一重に殺人犯だけではない。誰かを救おうとして犯す罪は犯罪なのだろうか。


 アークの場合そこに、救う意思よりも誰かを道連れに凍らせてしまいたい、後ろめたい衝動か、潜在意識はなかったか? アークは電子カルテを見て俺のマルコに対する昔のロボット化計画を知っただけで俺に心を開いたのか? 


 そんなことはない。きっと俺を鏡に見立てて己を顧みて気づいたんだ。俺たちはどこか似ていると。そして、一番許しがたいのは自分自身だと。


「ユーゴも凍らせたのか?」


「あの日のユーゴは、暴走する俺をただ哀れんで見ていた。それが、耐えられなかった。ユーゴは俺の殺意にも似た憤りを察したのか、ただ無言で退いたよ。

 でもユーゴはシンクロ能力の研究を続けて行くだろうって分かったよ。

 ユーゴを含め何人かは有事の際に優先的にシェルターに避難させられる重要人物だったから、彼らが氷漬けにされた世界を見届けるのも言葉にしなくても分かったし。

 どちらが正しいかの賭けだったのかもしれない。

 どちらも戦意を消失していたようにも今じゃ思えるよ。

 俺も数週間後には自ら氷漬けになったしね。

 驚いたのはユーゴがUコードシステムの礎を築いただけでなく、彼の子孫がアルザスで早若病の治療薬まで開発していたことだよ」


「早若病の治療を目指すってのは色んな形で実現できたんだな。一つが正解じゃない」


「でも、その治療薬は不完全だったよ。ニノンに投与しているのがその改良薬だけど、副作用は前にも言ったよね。おまけに今では早若病はほぼ自然消滅していて早若病そのものが忘れられている世界だ。俺は凍結して未来に行くという計画には成功したけど、早若病の完全治療が不可能な時代に来てしまったんだよ」

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