第9話 上層階の高級食材
「もうすぐ日も落ちる。今更俺たちを追い出して俺たちが見つかったんじゃ、あんたも一時的にとはいえ俺たちを匿った罪に問われるだろう。回りくどく言わせるなよ。あんただって分かってるはずだ。憎まれ口なんか叩かないで言いたいことがあるならはっきり言えよ」
ようやくアークの人を食うような態度にも慣れてきた。
「帰らないんなら取引しよう、晩御飯作ってよ」
夕飯を作れば下層階に逃がしてくれるというが、どこか疑わしい。おまけに血液検査もされた。
「献血か。ボランティア精神に感謝しろよ」
「これは君自身の帰り道の切符みたいなものだよ。健康な状態でないと送り返せないからね。彼の血も採取済み。あとは、シンクロ遺伝子の研究にも使わせてもらおうかな」
「俺は能力者じゃない。能力者はマルコの方だ」
アークはマルコを解剖してもいいのかという喜びに満ちた瞳を俺に向けた。
「妙なまねするなよ」
「君はどうなの? シンクロ遺伝子は半数の人が持っている。能力として発現するのは、ごくわずかだけど、それは自分が何の機械、システムとシンクロしているか分からないだけなんだよ」
「おうおう、お前ダンちゃんのシンクロ能力調べてくれるのか」
本当にそんな親切心で調べるのだろうかと、半信半疑の俺をアークは一階の奥にある正式なキッチンに案内した。人も二人ほど入れる冷凍庫と、誰をもてなすのか、十人は座れる長いテーブルがある。
「俺は二階で寝るから完成したら持ってきて――まあ、美味しく作ってくれたらなんでもいいよ」
冷凍庫には、地下の冷凍庫とは比べ物にならない高級食材が入っていた。
どうしても食べたかったのは合成肉とはいえ、缶詰に入っていない肉。レーザー包丁で、切り分けると切り口が少し焦げるが殺菌される。すでに生肉の焼ける香ばしい匂いがする。おまけにクローンレタスだ! 表面も崩れていない。
下層階にはレタス自体お目にかかれないし、傷みが激しいから何枚も剥いて、結局手のひらサイズしか食べるところは残らない。マルコはレタスを喜ぶだろうなと皿にたくさん盛った。皿は陶器だ。陶器職人は下層階には数人しかいない上に、職人はみな、上層階に売りに行く。まず下層階で出回らない代物だ。
ここは気前よくステーキにした。根のついたジャガイモ。根がついているのははじめて見た。土がないとできないことだ。缶詰のジャガイモは皮も剥かれ、カットされているサイコロ状だ。
そうか、ジャガイモはきれいな球体ではなくごつごつして、根が生えたらその根の周りは変色するのかと、剥きながら関心していると、爪がレーザー包丁で焦げた。
ああ、パセリもある。俺はため息をつきながら料理していた。パセリといった薬味は、まず食べたこともない。
パセリの花言葉は死の前兆というのを食物図鑑で見たことがある。図鑑も近年は下層階の人間には食べたことのないような上層階向けの出版が多いなか、その本は面白おかしく上層階を皮肉った内容で、下層階向けに出版された。下層階では爆発的売り上げを誇ったが、すぐに出版禁止になった。だいたい下層階で流行る上層階批判本は発禁になる。
気づけば三十分近くあれこれと作っていた。メインディッジュのクローン牛と培養豚肉の合成肉のステーキ、クローンレタス添え。マヨネーズ風味シロップがけと、わさび味風ジェル(科学調味料有)入り乾燥たまごスープ。と、パセリの化学調味料を混ぜて作ったオリジナルタルタルソースがけジャーキーおつまみが完成した。
まず、この家の主であるアークに届けるのが礼儀だろうと、俺は二階に上がった。ガラス張りエレベーターで外の貴婦人と目が合って、少し恥ずかしい思いをした。
二階は異次元だった。廊下は赤い絨毯(手織り)が敷かれ、壁には蝋燭風の電灯が灯っている。極めつけは木製彫刻の自動ドア。本物の木でできたクローゼット。年代物のアンティークの調度品。まさかの振り子時計と、正確な時間を知るデジタル時計の両方が置かれている。
黒いカーテンで窓は全部塞がれ、威圧感があるが、温かい蛍光灯以外の電灯(白熱灯とかいうもはや製造もしていない電灯をどこで手に入れたのか)のおかげで温かい空間と不気味さも同時に引き出している。薄赤い灯りに照らされた木の家具はどれも細かい傷が目立つ。一つだけでも下層階の家が一軒買えるぐらいの高級品ばかりだ。
アークは黒い敷布に巻かれて宣言通りに眠っていたかに見えたが片目を開けて俺の握りしめたトレーを手招いた。上から覗き込むようにして、ステーキを見下ろし、今度は俺の顔を怪しげに見上げた。
「これ、君たちが食べたいもの作ったんでしょ。なんだ、少しは気を使って下層階風のソーセージとか食べたかったのに」
「なんだソーセージ好きなのか?」
「上層階じゃ、詰めるものを間違ってる店が多いからね」
可もなく不可もなく受け取ってくれたからまあ、いいだろう。一方、地下のマルコは合成肉ステーキとクローンレタスに大絶叫だ。俺はパセリジャーキー三昧。
「パセリつけて食えよ」
「うわ、苦いな。でもこれペペロンチーノ煙草と合いそうだ」
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