第31話 再会
喫茶店の前にどっと立ち止まったときは、慣性の法則で体が前のめりになってつまずいた。汗も噴き出した。時計を見たが、一秒しかたっていない。本当に一瞬で目的地についた。「この能力やべーな」マルコもそう言うだろう。
マルコにも見せてやりたかった、こんな能力が手に入ったことを。あいつの方が興奮するに決まっているのだから。
二番地区は上層階の一般市民の住む居住地区で、娯楽施設も多い。屋内遊園施設などもある。ショッキングピンクの車線に、歩道は茶色だったり店も赤茶色のチョコレート柄から、黄色の球体までカラフルな地区だ。
問題の喫茶店は三角錐を逆さまにした建物で、二階のほうが人で賑わっているような様相が窓から見える。赤い看板が旗のように立っていて、白い文字で「カサブランカ」と書かれている。壁は薄い卵色で中は木のテーブルと、淡い紫色の光を発光させる光ファイバー植物が電灯代わりに机に置かれている。
天井からは白いライトが吊り下げられているが線が極細でまるでライトが宙に浮いているように見える。コーヒーの匂いが漂う中、店員が俺を案内しようとするが、俺は担当直入に仮想空間に案内するよう言った。予約でいっぱいだと言われたので、中を見せてもらうことだけ頼んだ。
案内された二階の仮想空間は人ががやがやひしめく白い空間だった。ここで、手を大きく振れば誰でも宙に虹を描くことができたり、天井に粉を投げればそれが雲になったりする。横では綱を引くように腕を伸ばして少女が床から引き抜くように花を咲かせている。
足元はライトで照らされて今は砂浜になっている。そこで誰かが咲かせた花に自動的に名前が浮かび上がった。カサブランカ。ユリの一種。
しなやかな女性が一人バレエの練習を兼ねて伸びやかに前身を使い腕と足を伸ばした。手につられるようにして背中を反らしていく。俺にはとてもできないような姿勢の手の指先に泡が生まれる。泡はシャボン玉から脳の形になった。何故か旧世界共通語で「ブレイン」と表示されて消えていった。
家族連れは子供を遊ばせ、親は一階でお茶でも飲むのか。若い女性に受けているとガイド本の言う通りだ。アークの姿はなく、店員に聞いても心当たりがないらしい。そんな馬鹿な。箱庭療法と銘打っていないがやっていることは箱庭療法と同じで、ここが違うとなるとアークはどこに。
相手にしたくないということなのか? 落胆する前に一階へ下りようとしたら、少女が俺の背後に立ち止まっていることに気づいた。
「ニノン」
喜び勇んでニノンに目線を合わせるためにしゃがむとニノンは無表情のまま一階へと駆け降りる。髪が店内の光を受けて紫に光った。足元の砂が細い足に反応して弾けた。
「待ってくれ」
ニノンの傍には必ずアークもいるはず。ニノンがこういう楽し気な店にいることが驚きだ。スタッフ部屋に逃げ込んだニノンを構わず俺は追いかけた。
「どうしたんだいニノン慌てて。招かれざる客でも来たかな?」
アークが丸い天井の部屋で壁の青いライトに照らされながら紅茶をすすっていた。ニノンのいるところアークありだったか。喫茶店にいるのに相変わらず白衣だった。
「アーク。話がある」
ポール状の柱に巻きついたホログラムの蛇がアークの肩に乗ろうとしている。その蛇をなでながらそう真剣な表情をしないでと俺を制止した。屋内の温かみのある茶色い壁が突然真っ黒に変色する。
「俺を置いて逃げただろ」
「あれは俺も危なかったからね。問題は今の君には監視がついてるってこと。俺の居場所も割れたわけだ。どう責任とってくれるの? 待ってニノン。もう二階に行ったらいけないよ」
「おい、彼女はお前の所有物じゃないだろ。自由にしてやれよ。姉なんだったら」
アークは俺がどこまで知っているか少しは興味を持つだろうと思ったが、俺のことなど関係ないのか微笑した。そうすれば俺がもっと怒ると分かっていてわざとそうするように。
「君はもうアンヌ・フローラの言いなりなんでしょ。だから俺たちの素性も知ってるんだよね」
「突っかかるのはやめろよ。俺だって困ってる。俺はいつUコードシステムで殺されてもおかしくないんだ」
「そんなの自業自得じゃない」
「いや、悪かったよ。だけど、俺も狙われてるが、本命はお前らだぞ。人が警告しに来たってのに」
アークの表情に陰りが見えた。どこか悟ったようで悲しげにニノンを見つめる。スタッフを呼んで、今日はもう閉店にすると言った。スタッフはニノンを椅子に座らせてから店仕舞いをしに部屋から出て行った。まさかここのオーナーかよ。店員もアークのことを知らないふりをするなんて酷だな。
「俺は死んだって構わないさ。だけど、ニノンをあいつらに渡すわけには行かないんだよ」
初めてアークの本音を聞けた気がした。
「あんまり時間はなさそうなんだが、今後のことも踏まえて、とりあえず俺たちのことお互いに知っておくべきだと思う」
アークは至って平然と俺の話を聞いているように見えたがやはり俺のことを笑っている。
「彼女にどんな治療か聞いても?」
「彼女は思い出したくても思い出せないよ」
「何で」
「それが治療さ」
「はぁ?」
俺はニノンを見た。一向にしゃべる気配はない。アークはニノンの頭をなでた。でもすぐにそうじゃないとその手をふった。
「ニノンは片言で話せるよ。でもずっと勘違いしてるんだ」
「彼女、本当にお前の姉さんなのか」
「彼女に言っても理解してくれなくてね」
「いや、それはお前の言い方が悪いだけじゃ、でもどう見てもお前が兄貴じゃないのか?」
「だから、それが彼女の病なんだよ」
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