49話:迷惑なんだよ

 声を失って、一ヶ月が経ち——

 年が明けて、二ヶ月、三ヶ月、四ヶ月——

 学年が一つ上がっても、私の声は戻らない。でも、私は諦めない。だって、出るから。笑い声だったり、驚き声だったり……意識せずに咄嗟に出る声が、私の声が生きていることを証明してくれる。それが希望でもあり、だけど同時に、プレッシャーでもあった。『本当はもう治ってるのに治ってないふりしてる』陰でそう言われていることは知っている。

 心が潰れそうになる。呼吸が乱れる。そういう時は息を止めて、耐える。過呼吸の対処法も、過呼吸で死ぬわけではないことも、理解している。

 だけど、恐怖が私を支配してしまうと、頭ではわかっていても身体が言うことを聞かなくなってしまう。

 やがて、最初は心配していたクラスメイト達も『またか』と呆れたような反応に変わり始めた。『かまってほしいからわざとやってる』なんて疑う子も出始めた。希空や桜庭くんが私の代わりに怒ってくれたけど、その怒鳴り声が余計に私の恐怖を煽った。『愛華が居ると空気が明るくなる』一年生の頃は、色んな人がそう言ってくれていた。だけど、今は逆だ。私が居ると、空気が悪くなる。そんなことないと庇ってくれる子もいたけれど、気を使って言ってくれているだけなのは明らかだった。

 そして、中学二年のゴールデンウィーク明けの最初の登校日。


「言ってらっしゃい。愛華」


「……」


 行ってきますと書いた紙を海菜さんに見せてから、玄関のドアに手を掛けたその時だった。


『また過呼吸?』


『もうさ、わざとやってるんじゃない?』


『正直迷惑だよな』


『結局帰るんだから最初から学校休めよ』


『何しに来てるんだろうね』


『病気アピールしてかまってほしいだけなんじゃない?』


『マジうざい』


『てかさ、あの取り巻き達もあれじゃん?心配してるふりして、結局はただの良い子ちゃんアピールでしょ』


『じゃなかったら毎回毎回付き合ってられないって』


『聞こえるよ』


『良いんだよ。聞こえて。迷惑だって分かればそのうち来なくなるでしょ』


 足が動かなくなり、息が出来なくなる。


『学校来ないでほしい』


『迷惑』


『かまってちゃん』


『本当は喋れるくせに』


『悲劇のヒロインぶって』


『ウザい』


『授業の邪魔』


 私を責める声が止まらない。


「愛華。おいで」


 海菜さんの腕が、私を引き寄せた。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 彼女の落ち着いた声が、温もりが、私を現実に引き戻す。少しずつ、呼吸が整っていく。だけど——


「大丈夫。一緒に行こう」


 そう言って彼女が私の手を引いて玄関に手を掛けた瞬間、再び私を責める声が頭に響いて、恐怖が私を支配した。足がびくともしない。まるで、床に釘で打ち付けられているかのように。


「……愛華。今日はお休みしようか。ね」


「っ……」


 首を横に振る。休みたくない。ここで休んだらきっと、もう二度と学校に行けなくなる気がしたから。


「……分かった。じゃあ頑張ろうか。さ、足を動かして」


足は動かない。鉛のように重く、持ち上がりさえしない。


「……お休みするしかないね」


 休みたくなかった。だけど、身体が学校に行くことを許してはくれず、休まざるを得なかった。


「今日はお家でゆっくり休んで、明日また頑張ろうね」


 今日だけではなく、翌日も学校に行けなかった。その翌日も、翌日も。

 嫌な予感は当たって、私はその日から学校に行けなくなってしまった。

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