47話:私にはもうこれ以上暗い過去は必要ない

 朝起きたらすぐに、海菜さんと一緒に病院に行った。百合香さんが疑った通り、心因性失声症と診断された。

 カウンセリングを勧められたが、私は断った。知らない人に色々と話さなきゃいけないのは逆に辛い気がして。『スクールカウンセラーの方とはよくお話しします』と、先生に筆談で伝えたら『じゃあわざわざ受ける必要ないですね。慣れている人の方が良いだろうし』と言ってくれた。

 その後は三人で買い出しに出かけた。そこで翼にばったり会った。


「マナ、おはよう」


 おはようと返したいけど、やっぱり声は出ない。海菜さんが私の代わりに喋らない訳を話してくれた。

『治るしうつらないから大丈夫』お医者様も、海菜さん達もみんなそう言ってくれる。お医者様は、治るまでの期間は人それぞれで、一週間程度で治る人もいれば何年も続く人もいると説明してくれた。とにかく、気持ちを軽くするしかないらしい。


「……早く声出るようになると良いね」


「……」


 うん。その一言さえ出てこない。だけど、驚いた時や笑った時に咄嗟に声が出ることはある。だから大丈夫。必ず治る。そう自分に言い聞かせて、翼にも口パクで伝える。だけどやっぱり伝わらないようで、首を傾げられてしまった。


「必ず治るから心配しないで。じゃないかな」


 違う?と海菜さんは笑って私の顔を覗き込む。全力で頷く。流石、色んな人から人の心が読めるんじゃないかと疑われるだけある。


「ふふ。私は人の心が読めるからね」


「ふふ」


 海菜さんが笑うと、私も自然と笑顔になれる。そして笑い声が自然と漏れる。

 だから大丈夫。すぐに治る。喉に異常があるわけではないんだから。


「マナ、学校には来れるの?」


 翼の問いに頷く。


「うん。でも月曜日はちょっと、先生とお話ししたいから、授業に出れるから分かんない」


 海菜さんが代わりに答える。


「ノート取っておきます」


「ありがとう」


 海菜さんはいつも通りだ。だけど、百合香さんはなんだかボーっとしている。大丈夫だろうかと心配して見ていると、私の視線に気付いて「どうしたの?」と力無く笑った。やっぱり元気が無い。百合香さんの側に行き、抱きつく。私が元気が無い時は、いつもハグをしてくれる。だから今日は、私が百合香さんにたくさんハグをしてあげる日だ。

 元気出た?と顔を見上げて問う。声には出せないが、通じたのか「ちょっと元気出た」と笑って抱きしめ返してきた。


「ふふ」


 やっぱり、笑い声は出る。なのに他の声は出ない。絶対声は出せるはずなのに。出せるって分かっているのに、出ない。スースーという空気の音しか出ない。絶対出せるのに、脳が声を出すことを拒絶する。悔しくて涙が出る。泣き声も出る。だから喋れるはずなのに。

 百合香さんも泣きそうな顔をしている。


「ねぇ二人とも、このあと、ノート買いに行かない?筆談用のノート」


 海菜さんが言う。筆談用。確かに必要だけども。出来ることなら、この土日の間に必要なくなってほしい。そんなことを願いながら、買い出しを終えて二人と一緒に文房具コーナーへ。


「愛華、好きなノート選んで良いよ」


 海菜さんはそう言うが、あまり気が進まない。すると彼女は私にこう言う。


「……私ね、たまに、百合香との交換日記を読み返すことがあるんだ。君と出会う前の、二人でやっていた頃のやつ。あの日記には、たくさん思い出が詰まってる。写真だけでは思い出しきれないこともたくさん。……私にとってあれは、アルバムみたいなものなんだ。百合香にとってもそうだろ?」


 話を振られて、百合香さんはハッとする。そしてようやくいつものような柔らかい微笑みを浮かべた。


「……ええ。そうね」


「……だからさ、せっかくなんだし、筆談用のノートもアルバムにしちゃおうよ。友達との他愛もない会話を残すアルバムに」


「なんて、ちょっと不謹慎だったかな」と海菜さんは困ったように苦笑いする。そんなことないと、私は首を振る。

 そして指をさして伝える。


「このノートにするの?」


 私の指差した先にある花柄のノートを手にとって、海菜さんは首を傾げる。頷く。


「じゃあ、このノートにたくさん思い出を綴ろつね。いつかまた、君の声が出るようになる時まで」


 声は出せなくなってしまった。けれど、声帯に異常があるわけではない。いつか必ず、喋れるようになる。いつか必ず。それまではこのノートでたくさん会話をしよう。声が出せなかった日々を暗い思い出として残さないように。いつかこのノートが、明るい思い出となるように。

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