5話:私の愛しい妻と娘
「ただいま」
午前3時過ぎ。仕事を終えて帰宅。手洗いとうがいをしてまず最初にすることは交換日記の確認。交換日記というと、1日おきにかわりばんこで書くのが普通だと思うけれど、私達はその日書きたいことがあった人が勝手に書くというスタンスでやっている。交換日記というよりは、伝言板に近いかもしれない。書きたい日と言っても、百合香も愛華も、ほぼ毎日書いてくれている。
日記帳を開く。今日も二人分のコメントが書かれていた。
20××年 4月10日(火)
今日は登校中に、担任の佐藤先生に会いました。クラス全員の顔と苗字を一日で覚えたそうです。でも、名前はまだらしいです。あと、私の名前をラブカと読んでいたらしいです。アイカはよくあるけど、ラブカは初めてです。佐藤先生、ちょっと天然っぽくて可愛いくて好きだなぁ。
そのあとは着任式があって、家に帰ったら、着任式で挨拶をしていたカウンセラーの月島先生が家に来てました。海菜さんの幼馴染だそうです。見た目は可愛いけど話し方はワイルドで、なんか、見た目と中身のギャップ?がある人だなぁと思いました。月島先生自身、昔からよく言われるらしいです。口はちょっと悪いかも知れないけど、でも、優しそうな人だと感じました。なんとなく、海菜さんや百合香さんに似た雰囲気がある気がします。
クラスメイト達のことはまだよくわからないけど、翼と希空が同じクラスに居るので心強いです。新しい友達できると良いな。
海菜さん、こちらこそ、これからもよろしくお願いします。愛華より。
20××年 4月10日(火)
帰って来たら満ちゃんが居た。また家を追い出されたのかと一瞬呆れたけれど、家の鍵を家に忘れて家に入れないだけらしい。
久しぶりに話して、なんだか学生時代に戻った気がした。
仕事は特に変わりは無し。気になることといえば、新人の子がちょっと何を聞いても『大丈夫です』と言ってしまうことくらい。もう一人の新人はものすごくフレンドリーだし、うちの会社は割と相談しやすい雰囲気だと思うのだけど。慣れるしかないのかしら。愛華も、学校で困ったことがあったらいつでも相談してね。百合香より。
百合香のコメントの下の余った行には伸びをする猫の落書きが書いてあった。
「…お茶目だなぁほんと。可愛い」
その猫の隣に一緒になって伸びをする狐を書き足してから、次のページをめくってペンを走らせる。
20××年 4月11日(水)
マナへ。先生の知り合いに愛と書いてラブと読む名前の人がいたのかも知れないね。私も大学の友人に居ました。愛己と書いてラブミちゃん。love meからきてるらしいです。
それはさておき、今日は久しぶりに望に会いました。今度やる舞台でバーテンダーの役をやるんだって。予定が合ったら一緒に観に行こうね。海菜より。
「…ふぁ…」
時刻は午前四時。日記を閉じていつも妻と二人で寝ている寝室へ向かう。
起こさないようにそっと寝室のドアを開けるが、そこには誰も居ない。
「愛華の部屋かな…」
娘の部屋を覗きに行くと、ベッドに二人分の頭があった。
起こさないように寝顔を覗き込みに行く。血は繋がっていないはずなのに、こうやって寝顔を見ているとよく似ている。元々は他人であるはずのふうふが似てくるのと同じで、血が繋がらない親子も一緒に暮らすうちに似てくるのだろうか。
「…可愛い」
私達は、幼い頃の娘を知らない。写真も無いらしい。父親は彼女の写真をほとんど撮らなかったようだ。
彼女の母親は、彼女の命と引き換えに命を落としたらしい。父親に『お前のせいで妻が死んだ』と事あるごとに責められ、食事も充分に与えられずに育った彼女は、施設に来たばかりの頃はほとんど言葉を発しなかったと聞いている。
幸せの絶頂のはずが、最愛の妻を失くして、いきなり一人親になって、ストレスもプレッシャーも半端無かっただろう。しかし、だからといって彼が愛華にしたことは決して許されることではない。
初めて会った時の愛華は全く笑わない子供だった。施設職員の里中さんですら、彼女の心からの笑顔を初めて見たのは私達が関わり始めてからだと言っていた。
うちへ来て約4年。今の愛華はよく笑う。初めて会った時からは考えられないくらい明るくなった。彼女の母親もこんな可愛らしい顔で笑う人だったのだろうかと度々思う。
この先彼女はどんな大人になるのだろう。
「…愛してるよ。二人とも」
安らかな寝息を立てて眠る愛しい妻と娘に愛を囁いてから寝室に戻り、一人には広すぎるクイーンサイズのベッドに入り、眠りについた。
その日、夢の中で愛華によく似た見知らぬ女性にこう言われた。『娘のことを、これからもよろしくお願いします』と。
正直、今の私達の幸せは愛華の両親の不幸の上で成り立っているのでは無いかと考えたこともある。今でもたまに思う。
あの夢を私の無意識が見せた都合の良い夢で終わらせてしまわないためにも、これからも彼女に愛を注ぎ続けよう。彼女が生まれてきてよかったと心から思えるように。
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