4話:私は可哀想じゃない
入学式の翌日。今日は対面式というものがあるらしい。先輩達と顔を合わせる式なのだとか。翼はそこでもう一度学年代表として挨拶をすると嫌そうに語っていた。
「じゃあお母さん、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「頑張ってね」
二人の母に挨拶をして、それぞれとハグをしてから家を出る。いつしかこれが、学校に行く前の日課になっていた。最初はちょっと恥ずかしかったけれど、4年もたてばもう慣れた。むしろ、無いと寂しい。
「おはよう、二人とも」
「「おはよう、マナ」」
翼と希空と合流して学校へ向かう。小学生の頃とほとんど変わらない朝。変わったのは通学路と私達の服装くらいだ。
「〜♪」
綱渡りをするように縁石の上を歩きながら鼻歌を歌う希空。なんだか今日はご機嫌だ。良いことがあったのだろうか。
「何か良いことあった?」
「どうせ、ソシャゲのガチャの結果が良かったとかそんなんでしょ」
「!…なぜわかった!?エスパーか!?」
「…ほらね」
呆れたような顔をする翼。
希空はゲームやアニメが好きで、将来は制作に関わる仕事をしたいとよく語っているほど。
「あはは…希空、バイトできるようになったらめちゃくちゃ課金してそうだね」
「大丈夫大丈夫。月単位で課金する上限はちゃんと決めてるから。それがちょっと上がるだけ」
「既に課金してるんだ…」
「月3000円ね。10連ガチャ一回分」
「うっわ!たっか…勿体な…」
「もったいなくはないよ。推しを生み出してくれたゲーム会社へのお礼なんだから。むしろ少ないくらいだよ」
「思考が完全にヲタクじゃん…中学一でそれはやばいって」
「あはは…。あ、先生だ。おはようございます」
校門前に、担任の佐藤先生を見つけて挨拶をする。
「おはよう。えーっと…小桜さん、小森さん、坂本さん?かな?」
私達を一人ずつ指差し、確認するように名前を呼び、合ってるかなと不安そうな顔をする先生。まだ私達は自己紹介をしていないが、当たっている。
「先生、もう私達の名前覚えたんですか?」
「うん。名簿を読み込んだから。まだ苗字だけだけどね。下の名前まではまだ」
「苗字だけでも凄いですよ」
「そうかな…えへへ…ありがとう」
翼に褒められ、素直に喜ぶ佐藤先生。やっぱり笑顔が可愛らしい。
「私は愛華です。愛に、難しい方の華でマナカと読みます」
「あ、マナカって読むのか…ラブカだと思った」
流石にその読み間違いは初めてで、思わず笑ってしまう。
「名簿って、ふりがな振ってないんですか?」
「あるけど…小さくて読みづらくて」
「アイカと読み間違えられることは多いですけど、ラブカは初めてです」
「ごめんね。先生の友達に愛って書いてラブって読む子が居るから…」
「キラキラネームってやつですかね。あ、私は翼です。字はそのまま、
「何?ヨクリュウって」
「空飛ぶ恐竜のことだって」
翼の代わりに希空が説明してくれた。翼は昔から恐竜が好きで、希空もその影響で少しだけ詳しいらしい。
「へぇ…坂本さんは恐竜が好きなんだね」
「はい。で、こいつは希空です。希望の希に空で希空」
「希空ちゃんでーす」
「愛華さん、翼さん、希空さんね。うん。覚えた。一年間よろしくね」
「「「よろしくお願いします」」」
一旦先生と別れて教室に入る。この後は対面式と着任式があり、自己紹介をして午前で終わる。
「みんなおはようーそろそろ席に着いてね」
しばらくして、佐藤先生と姉川先生が入ってきて、みんなまばらに席につき始める。
チャイムが鳴ると、佐藤先生が一日の流れを説明し、体育館へ移動する。今からは対面式と着任式だ。
「ボクら一年生だから新しい先生って言われてもね」
「私達から見たらみんな新しい先生だもんね」
対面式が終わり、着任式に移る。順番に挨拶をして、最後は周りの先生達より一回り小さな可愛らしい感じの女性の先生。
「あー、皆さん、はじめまして。スクールカウンセラーの月島満といいます。ふぁ…失礼」
なんだか、やる気のなさそうな先生だが…大丈夫だろうか。
「私は、カウンセラーであると同時に、LGBTQ講師もやってます。ちなみに私自身、一つ年上の妻が居るLGBTQ当事者です。昔よりは寛容になったとはいえ、偏見が全く無くなったわけじゃないです。君たちからしたら、LGBTQは当たり前の存在かもしれない。けれど、私達や、私達の上の世代にとってはまだまだ当たり前の存在ではないようで、未だに妻がいると言うと驚かれます。『可愛いのに勿体ない』なんて言ってきたクソジジイも…あー…失礼」
ぼそっと聞こえたクソジジイという一言で体育館がざわつく。可愛らしい見た目の割には意外と口が悪いようだ。
マイクを通した彼女の咳払いで静かになり、何事もなかったかのように話を続けた。
「…もしかしたらこの中にも、時代に取り残された化石頭の大人に相談してしまって、心無いことを言われて傷ついてしまった当事者がいるかもしれない。けど安心してください。君たちは別に異常じゃない。私も君たちも、なんでもないただの人間です。私は昔、自分のセクシャリティに悩んでいる時に、レズビアンの友人にそう言われました」
ふう…と息を吐くと、それまでのやる気のなさそうだった雰囲気が一変した。
「そんな強気なことを言っていた彼女だけど、本当はすごく繊細な人で…彼女が私にかけてくれた言葉は、彼女が彼女自身にかけた言葉でもあったと思います。当時の彼女は、自身がレズビアンであることで苦しみ、度々自殺願望を口にしていました。死にたい気持ちと、生きたい気持ちの狭間で、必死に戦っていました。ですが、今は妻と共に、血の繋がらない子供を家族として迎えて育てているそうです」
妻と血の繋がらない子供…うちと同じだ。
一部の生徒達が私をちらっと見る。
「長話は私も嫌いなんで申し訳ないんすけど、私の妻の話もさせてください。ちょっと、一回立ってストレッチしましょう。はい、きりーつ」
彼女の号令で生徒達はまばらに席を立ち、軽く伸びをしてもう一度座った。
「…私の妻もまた、彼女と同じようにレズビアンであることに絶望していました。友人は幸いにも親が理解ある人で、友人の親は、彼女がレズビアンであることを大したことではないことだと言ってくれたそうです。ですが、妻の親は妻がレズビアンであることを否定し、当時付き合っていた女性を責め、無理矢理別れさせたそうです」
同性婚が認められたのは5年前。海菜さん達が25歳の頃。それ以前は今以上にLGBTQに対して差別があったそうだ。ちなみに、海菜さん達が学生だった頃の義務教育ではセクシャルマイノリティに関してはLGBTの4つしか習わなかったのだとか。
「妻もまた、自殺願望を抱えながら生きていました。何度も、私に『殺してほしい』と頼んできました。『死にたい』と、口癖のように口にしていました。けれど手をかけるふりをすると『死にたくない』と言うんです。まぁ、自殺願望を口にする人のほとんどはそうだと思います。…幸いにも、彼女達は今も生きています。ですが…妻も友人も、死の一歩手前に居ました。一つでも歯車が噛み合わなかったらきっと、二人とも、この世には居ないでしょう。彼女達が今生きているのは奇跡に近いと思います。…ですから私は、あの頃の彼女達のように、今にも消えてしまいそうな命を救うためにカウンセラーになりました」
挨拶をする前はやる気が無さそうに見えたが、意外と熱い人のようだ。
「そんなわけで…えっと…この学校に来るのは月曜日と水曜日です。出来れば予約してほしいですけど、無くても空いていれば対応しますんで、これからよろしくお願いします。あ、別にLGBTQ専門のカウンセラーじゃないんで、それ以外の悩みでも相談してもらって結構です。死にたいなーと思ったら死ぬ前にちょっとだけでいいので時間を取って、私の元に来てください。長くなりましたが、以上で挨拶を終わります」
一歩下がり、頭を下げる月島先生。口はちょっと悪そうだが、私達に投げかけられた言葉は温かった。
なんだろう。なんとなく、海菜さんや百合香さんと似たような雰囲気を感じた。
そして放課後。翼と希空と別れて帰宅すると見覚えのない靴があった。お客さんが来ているようだ。
「ただいま」
「お帰り、マナ。お昼はナポリタンだよ」
リビングに行くと、カウンターキッチンのから海菜さんが顔を出した。キッチンの前にはお客さんが居た。彼女の前には空になった皿。ケチャップで汚れている。
「おう。こんにちは」
よっ。と手を挙げた彼女は、今朝壇上で挨拶をしていたカウンセラーの月島先生だ。
一言挨拶をしてからカバンを置いて、手洗いうがいをして彼女の隣を一席空けて座る。
「スクールカウンセラーの月島満先生。今日、着任式で挨拶してたでしょう?私の幼馴染なんだ」
「そうなんだ…」
「いやー…家の鍵忘れちゃって家入れなくてさー…。悪いけど迎えが来るまで居るから。ごめんね」
「いえ。大丈夫です」
先生が今朝話していた友人というのは、もしかして海菜さんのことなのだろうか。
「ん?どうした?」
「…挨拶の時に話していた友人って…」
「あぁ。…まぁ、察してくれ」
「…はい」
「私ちょっとタバコ吸ってくるわ」
そう言って電子タバコを持って外へ出て行く月島先生。タバコといい、話し方といい、なんだか可愛らしい見た目とのギャップが激しい人だ。
「マナ、どうぞ」
「あ。ありがとう。いただきます」
海菜さんの作る料理はなんでも美味しいのだけど、私はナポリタンが一番好きだ。私が初めて家に来た日に作ってくれた思い出の品だからかもしれない。
「美味しい?」
「うん」
「ふふ。たくさんお食べ」
「うん。…ねぇ、海菜さん」
「ん?」
「…レズビアンであることを…悩んだことある?」
「あぁ、あるよ。昔、少しだけね。少しだけ、異性愛者が羨ましくて、妬ましかった時期はあったんだ。ちょうど、君と同じ中学生の頃にちょっとだけ普通に憧れた。でも、今は全然。綺麗な妻が居るし、可愛い娘もいるし。異性愛者として生きていたら今とは別の人生を歩んでいただろうから。私が百合香に恋をしたから今がある。だから、今はもう誰かを羨んだり妬んだりしてないよ」
そう言って心の底からの笑顔を浮かべ、私の頭を撫でる海菜さん。
「愛してるよ。マナ」
「うん。…ありがとう。…えへへ」
「ふふ。マナももしかしたらこの先、自分のセクシャリティで悩む日が来るかも知れないけど…その時は遠慮なく相談していいからね」
「うん」
私はまだ恋をしたことが無い。海菜さん曰く、恋というものは全ての人が経験するものでは無いらしいが、私はしてみたい。その相手の性別がどうであっても、きっと二人は私が選んだ人なら快く受け入れてくれるのだろう。
「じゃあマナ、仕事行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
海菜さんが出て行ったところで、棚から一冊のノートを取り出す。
「おっ。なにそれ。日記?」
「交換日記です。元々は婦婦のものだったんですけど、今は家族三人で回してて」
「ふぅん…あいつそんなのやってたのか…結婚して一緒に暮らしてるのに交換日記ねぇ…」
「海菜さんと百合香さん、仕事の時間が真逆なので…話す時間がなかなか取れない代わりにって」
「あー…なるほどね。あいつらしいわ」
日記帳を開く。
20××年 4月9日(月)
今日はマナの入学式でした。マナ、中学入学おめでとう。
マナと家族になって、もう4年が経つんだね。これから君はどんな大人になっていくんだろうか。ちょっと気が早いけれど、これからが楽しみで仕方ないです。
これからもよろしくお願いします。海菜より。
20××年 4月10日(火)
今日は登校中に、担任の佐藤先生に会いました。クラス全員の顔と苗字を一日で覚えたそうです。でも、名前はまだらしいです。あと、私の名前をラブカと読んでいたらしいです。アイカはよくあるけど、ラブカは初めてです。佐藤先生、ちょっと天然っぽくて可愛いくて好きだなぁ。
そのあとは着任式があって、家に帰ったら、着任式で挨拶をしていたカウンセラーの月島先生が家に来てました。海菜さんの幼馴染だそうです。見た目は可愛いけど話し方はワイルドで、なんか、見た目と中身のギャップ?がある人だなぁと思いました。月島先生自身、昔からよく言われるらしいです。口はちょっと悪いかも知れないけど、でも、優しそうな人だと感じました。なんとなく、海菜さんや百合香さんに似た雰囲気がある気がします。
クラスメイト達のことはまだよくわからないけど、翼と希空が同じクラスに居るので心強いです。新しい友達できると良いな。
海菜さん、こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
最後に名前の横に簡単な花のイラストを書いて日記を閉じる。いつも海菜さんは狐、百合香さんは猫のイラストを名前の横や余った微妙なスペースに描いている。私も真似して自分のマークを考えた結果、花になった。愛の華と書いて愛華だから。
「…ふぅ」
長々と書いてしまって腕が疲れた。月島先生はいつの間にか私の隣からソファに移動してスマホをいじっていた。気付けば時刻は午後6時前。そろそろ百合香さんが帰って来る時間だ。
「ただいま」
帰ってきた。
「お帰り、百合香さん」
「ママ、お帰り」
「……満ちゃん。しれっといるけど何?どうしたの?」
「鍵を家に忘れた。もう迎えが来るから帰る」
「あぁ、そういうこと。また追い出されたのかと思った」
「またって。追い出されたのはあの一回だけだよ」
「追い出された?」
「昔、一回だけね。妻と喧嘩しちゃって。普段ならすぐ仲直りするんだけど……その日は私もちょっとイライラしててさぁ……。……っと、悪い。噂をすれば妻から電話」
着信音の鳴り響くスマホを持って席を外す先生。戻って来ると「迎え来たから帰るわ」と言って荷物をまとめ始めた。
「じゃ、またな」
「はい。また学校で」
「おう。つってもあんま関わんないかもしれないけどな」
月島先生を玄関先まで見送る。
そういえば、海菜さんと百合香さんが喧嘩しているところを私は見たことが無い。交換日記を始める前は割と多かったらしいが。
「ねぇ、百合香さん。昔の交換日記ってある?私が来る前の」
「あるけど…」
「見たい」
「駄目よ。人見せるものじゃないわ」
「えー!見ーたーいー!」
「じゃあ愛華、例えばあなたが誰かと交換日記をしていたとして…あなたは見せても良いと思っていても、一緒に交換日記をしている人は誰にも見せないでほしいって言っていたら、私に見せられるかしら」
「…あー…それは…見せられないね」
「でしょう?私も海菜と約束してるの。あの日記は二人だけのものだから誰にも見せないでねって。だから、ごめんなさいね」
そう言われてしまっては仕方ない。それでも見たいというのはわがままだということは私でも分かる。
「…分かった」
「分かってくれてありがとう。…あなたに言えない婦婦二人だけの秘密はたくさんあるけれど…あなたを仲間外れにしているわけじゃないわ。あなたも私達の大切な家族よ。それは分かってね」
「うん。それは分かるよ。お母さん達が私のこと大好きなのは知ってるから」
二人と家族になってから、私はたくさん愛をもらっている。
初めて会った時は、二人が私に優しくしてくれるのは私が可哀想だからだと思っていた。だけど、二人は一度も私を可哀想だと言ったことはない。そして、二人は私以外の人たちにも優しい。私が可哀想だから優しくしているわけではなく、誰に対しても優しい人達なのだ。
海菜さん達に引き取られる前に会った夫婦には散々『可哀想』という言葉をかけられた。最初は優しい人達だと思っていたけれど、家に泊まりに行くようになってから態度が変わった。掃除や洗濯を押し付けられたり、失敗すると『優しくしてあげているのに』『恩を仇で返す気か』『役立たずは要らない』と怒鳴られた。まるでシンデレラだ。
二人もきっと、お泊まりするようになったら態度が変わると思っていた。
だから初めてのお泊まりの日、私は皿洗いを手伝うふりをして、わざと皿を割った。けど、二人は怒鳴ったりせずに『大丈夫?怪我してない?』と、皿よりも私の心配をしてくれたのだ。それでも私はその優しさを信じるのが怖くて、次は分かりやすく、皿を床に叩きつけて割ろうとした。
すると海菜さんが私の腕を掴んで止めた。流石に怒鳴られると思ったけど、二人とも怒鳴らなかった。
百合香さんが、しゃがんで私と目線を合わせて『どうしてわざと皿を割ろうとしたの?』と静かに私に問いかけた。
恐る恐る正直に話しても、二人は私を怒鳴ったりはせずに、二人揃って私を優しく抱きしめてくれた。
『代わりの皿なんてお金でいくらでも買えるけど、あなたの代わりは居ないわ』
絞り出すように呟かれた百合香さんの言葉も、震える声も、それから
『少しずつで良いから、私達のことを信じる努力をしてほしい。私達も君に信じてもらえるように頑張るから』
海菜さんの優しい言葉も、全て、今でも鮮明に思い出せる。あの日二人がそう言ってくれたから、私は二人を信じることが出来た。
「私もお母さん達のことが大好きだよ」
子供は男の人と女の人のペアでしかできなくて、二人の間にできた子供は二人が育てるのが
私は違う。海菜さんとも、百合香さんとも血が繋がっていない。私を産んだ母親は私が幼い頃に亡くなり、父親は今どうしているかわからない。
幼い頃に産みの母親を無くし、父親からは虐待され、施設に引き取られて育ち、女性同士の婦婦に引き取られた
私を特別扱いしない友達が居て、私を愛してくれる家族が居る。それのどこが可哀想なのだろうか。
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