3話:彼女が娘になった日

 温かい拍手に包まれて体育館から退場していく娘を見て、彼女と会った初めての日を思い出す。


 娘の愛華と出会ったのは約4年前。法が改正されて結婚出来るようになり、現在の妻と正式な結婚式をあげて婦婦となった翌年のとある夏の日だった。


「はい。…はい。あぁ…なるほど、だから私達に…そうですか…わかりました。妻に確認して折り返します。はい。ありがとうございます」


 彼女は父親からの虐待の影響で特に大人の男性に対して恐怖心があることから、私達のような女性同士の婦婦に引き取ってもらう方がいいと施設は判断したそうだ。


「と、いうわけです」


「…そう…男性恐怖症ね。…あなた、大丈夫かしら」


「うん?…あぁ、男っぽいもんね。んー…そうだね。勘違いさせて怖がらせちゃうといけないもんね…」


「当日はとびっきり可愛く仕上げてあげるわね」


「…はは…お手柔らかに頼むよ」


 そして当日、愛華は職員の里中さとなかさんという女性の後ろに隠れるようにして現れた。

 私達が自己紹介をして、ようやく私達の顔を見た彼女が私達の前で発した第一声は『テレビに出ていた人だ』だった。

 同性婚が認められた日、私達はたまたまインタビューを受けた。愛華はそれを見て私達を芸能人だと勘違いしたらしい。


「ふふ。芸能人ではないよ。あの日はたまたまテレビに映っちゃっただけ」


「…里中さとなかさん、私、この人達と家族になるの?」


「嫌?」


「…わかんない」


 初めて会った時は全く警戒を解いてくれず、里中さんという施設職員の女性から離れようとしなかった。


「…お嬢さん…えっと…とりあえず、名前を教えてくれるかな」


「…愛華」


「愛華ちゃんね。…お姉さん達の方見てくれる?」


 妻の海菜が彼女と目線を合わせて語りかけると、彼女は恐る恐る海菜を見たが、すぐにまた里中さんの後ろに隠れてしまった。


「…分かった。そのままでいいから私の話を聞いてくれるかな」


「…」


「…じゃあ、勝手に話すね。私達は今日、君と話をするためにやって来たんだ。君がどんな子なのか知るために。私達がどんな人なのか君に知ってもらうために。家族になれるかどうか確かめるために」


「…お姉さん達も、言うこと聞く子供が欲しいんでしょう?」


 職員の里中さん曰く、愛華は私達の前に別の夫婦の元に預けられたが、相性が良くなかったため施設に帰って来たらしい。


「そんなことないよ。…といっても、会ったばかりで信じるのは難しいよね。これから時間をかけて、君に信用してもらえるように頑張るね。…何か、お姉さん達に聞きたいことある?どうして里親になろうと思ったの?とか」


「…二人は…結婚してるの?」


「うん。そうだよ。結婚してる」


「…昔は…男の人と女の人しか結婚出来なかったんでしょう?」


「そうだよ。でもそれはもう過去の話。お姉さん達はね、結婚出来なかった時代からずっと恋人同士だった。いつか家族になれる日をずっと夢見ていて…それで最近になってようやくその夢が叶ったんだ」


「…私とも家族になりたいと思うの?」


「…そうだね。なれたらいいなって思うよ。でも、私達はまだ今日会ったばかりだ。私と彼女も、時間をかけて仲を深めて、お互いを知ってから家族になろうって話をしたんだ。だから、君ともこれから少しずつ仲良くなっていきたい」


「…嫌だ」


「嫌?」


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!どうせお姉さん達も私なんて要らないって言うもん!家族なんて要らない!私はずっとここに居る!」


「愛華…」


「帰って!」


「…愛華ちゃん」


「帰ってよ!!」


 こうして、初日は彼女が癇癪かんしゃくを起こしてしまい、それ以上はまともに話ができなかった。

 何を言っていいか分からず、終始何も言えなかった私が彼女にかけてあげられた言葉は「また来るわね」の一言だけだった。





 二回目の面会は私一人だった。前回あまり話せなかったから一人で行かせてほしいと、私から海菜に頼んだ。


「こんにちは。愛華ちゃん。約束通りまた来たわよ」


「…本当に来たんだ」


「来るって約束したじゃない」


「…」


その日も終始里中さんの後ろに隠れて、目を合わせてはくれなかったけれど、前回よりは落ち着いて話してくれた。


「…もう一人のお姉さんは?なんで居ないの?」


「前来たとき、私とはあんまりお話しできなかったでしょう?だから、今日は私一人で来たの。私もあなたとお話ししたいから。一対一の方が話しやすいでしょう?」


「…もう一人のお姉さんはもう来ないの?」


「ううん。次の時に来るわ。…多分、私より彼女の方がよく来るようになるかも。私は普段、お昼は仕事してるから」


「…もう一人のお姉さんは働いていないの?」


「働いてるわよ。けど、夜に仕事してるの。バーテンダーって分かるかしら」


「…知らない。何する人?」


「バーは分かる?」


「…棒?」


「お店よ。お酒のお店」


「…お酒屋さん?」


「そう。バーテンダーって呼ばれる人達がカクテルっていう美味しいお酒を作ってくれるの。えっと…あった」


 スマホで動画を再生して愛華に見せる。海菜とお義母様がお店の宣伝のために週一で動画サイトにアップしている動画だ。


『今日作るのは、スクリュードライバーです。その昔、イランで働いていた作業員の方がスクリュードライバーという工具で作っていたことが由来だそうですよ。これが工具の方のスクリュードライバーです。ねじ回しともいいますね。これで混ぜていたらしいです』


そう言って工具のスクリュードライバーを画面に見せる海菜。


『もちろん、お店ではちゃんとバースプーンを使うのでご安心ください』


ドライバー端に置いて普段使っているバースプーンを画面に掲げて視聴者に見せてから側においた。


『ちなみに、スクリュードライバーは見た目が可愛くて飲みやすいわりに度数が高いので、レディキラーとも言われるカクテルの一つです。飲み過ぎにはご注意くださいね。そんなスクリュードライバーのカクテル言葉は"あなたに心を奪われた"です』


画面——撮影していた私——を指差してウィンクする海菜。「そういうの良いから」という私の呆れるような声が入っている。編集しておいてと言ったのに。全く。


『あはは。ごめんなさい。さて、材料はこちら。ウォッカ、オレンジジュース、そしてキューブタイプの氷。今回私が使う氷は、カクテルの味が薄まらないようにオレンジジュースで作ってあります。市販の氷を使う際は入れ過ぎに注意してくださいね』


「…このチャラそうながバーテンダーさん?」


「私の妻よ。昨日一緒に居た」


「…妻…えっ!昨日来たお姉さん!?」


 驚いた顔で動画の中の海菜と私を交互に見る愛華。やはり普段の彼女は男性だと認識するらしい。里中さんも驚いていた。


「普段はメイクされないんですね」


「えぇ。普段はこんな感じです。なのでよく男の人だと勘違いされてます」


「…この間はなんでメイクしてたの?」


「あなたに男の人だと勘違いされちゃうかもしれないから」


「…えっ…私に?なんで?」


「あなたは、女の人の方が安心して話せるのでしょう?里中さんからそう聞いているわ」


「…私を…安心させるため…」


「えぇ。そうよ」


「…」


「…どうしたの?言いたいことがあるなら言って良いわよ」


「…じゃあ、次来る時はいつも通りで大丈夫って…もう一人のお姉さんに言っておいて。…お姉さんのこと、女の人だって知ってるから」


「ふふ。伝えておくわね」


 海菜の気遣いが彼女の心を少し開いた瞬間だった。


『まずはグラスに氷を入れます。そして、そこにウォッカとオレンジジュースを注ぎ…氷を持ち上げるようにして混ぜる。はい、あとはお好みでオレンジの切り身を添えて、完成です』


「…混ぜるだけじゃん。私でも作れるよこんなの」


「あら。あなた包丁使えるの?」


「使える」


「そう。凄いわね。私があなたぐらいの頃は——って、そういえば年齢を聞いてなかったわね。今何歳?」


「9歳。小学三年生」


「三年生…」


 愛華は父親から虐待を受けていた。幼少期に虐待を受けた子供は発育が良くないことが多いらしい。愛華も、小学三年生の割には小柄だった。しかし、歳のわりにはしっかりしていた。施設には年下の子供も多かったからかもしれない。


「お姉さん達は何歳?」


「26歳」


「…お仕事は?」


「OLよ。会社のオフィスで経理の仕事をしてるの」


「ケイリ?」


「会社のお金を管理する人のこと」


「…?社長さん?偉い人?」


「ううん。社長さんではないわ」


「…違うんだ。ふーん。…偉い?」


「偉くは…無いわね。普通の会社員よ」


「…ふーん」


「…他に聞きたいことはある?」


「…ううん。無い」


「そう。…じゃあ、私から色々聞いても良い?答えたくなかったり、分からないことは正直に言って良いからね」


「…うん」




 そうして、私達は定期的に出来る限り二人で—都合が合わない日は一人で—彼女の元に何度も通った。

 一緒に出かけ、家に泊らせ、コミュニケーションを重ねるうちに彼女は少しずつ、私達に心を開いてくれるようになっていった。

 そしてある日、海菜が彼女に問いかけた。


「ねぇ愛華。今はどう思ってる?」


「ん?何が?」


「私達と家族になりたいって、思ってくれてる?」


 その問いに、愛華は少し不安そうではあったが「うん」と即答した。


「…そっか。…ありがとう。私も同じ気持ちだよ。百合香は?」


「えぇ。私も気持ちは変わらないわ」


「ふふ。だよね」


「…二人の子になったら、私の苗字はどうなるの?」


「小桜になるよ」


「…私は選べないの?」


「あー…ごめんね。この辺は法律で決まってて、実子養子関係なく、子供に苗字を選ぶ権利はないんだ」


「…そうなんだ」


「嫌?」


「…ううん。鈴木愛華より小桜愛華の方が可愛いから良い」


「あはは。鈴木って平凡すぎるもんね。良かったね。小桜にして」


「そうね」


「もう一つ聞いて良い?」


「何個でもどうぞ」


「…私のお母さんはどっちなの?」


「ふふ。どっちもお母さんだよ」


「そっか…。ねぇ、お母さん」


「「なぁに?」」


「ふふ…どっちを呼んでるか分かんないね」


「今まで通り、名前で呼んでくれて構わないよ」


「…うん。海菜さん、百合香さん。…これからよろしくお願いします」


「はい。よろしくお願いします」


「よろしくね。愛華」


 こうして彼女は、私達婦婦の娘になった。





「じゃあ、日記だけ書いて寝るね」


「今日くらいは良いんじゃない?」


「ううん。書きたい」


「そう。途中で寝てしまっても私は運べないからね」


「ん。大丈夫だよ」


 お互いに仕事を始めてから、私達は顔を合わせる時間が一気に減り、会話も以前より減った。そこで、話せなくても言いたいことを言えるようにと、彼女の提案で交換日記を始めた。

 結婚する前から今まで、彼女は一度も書き忘れたことが無い。たまに、書きながら寝てしまっている時もあるが。


 二人だけで続けていた婦婦の交換日記は、愛華がやって来てからは愛華が加わって家族三人の交換日記となった。


「…この交換日記はいつかまた、二人だけのものになるのかな」


「気が早いわね」


「だってさぁ…早すぎない?この間うちに来たばかりだよ?時間の流れって早いね」


「あなたが歳を取ったから早く感じるのよ」


「えー…自分はまだ若いみたいな言い方して…同い年じゃん。てか、君の方が年上じゃん。もうすぐ30歳だよ。アラサーだよ」


 事あるごとに彼女はそう言うが、彼女の誕生日は7月。私は6月。一ヶ月しか変わらない。


「口より手を動かしなさい。寝る時間無くなるわよ」


「大丈夫。今日休みだから。…というわけで、日記書き終わったらイチャイチャする?」


「…しない」


「えー。したい」


「嫌よ。絶対途中で寝るじゃないあなた」


「じゃあ君がして?」


「…早く書きなさい」


「書き終えたらしてくれる?」


「…しない」


「じゃあ全力で誘惑するね」


「何よそれ…もー…」


「ふふふ」


 私達は今年で30歳になる。付き合ってもう15年目だけど、彼女はあの頃から何も変わらない。周りからは『仲のいいカップルほど案外すぐ別れる』と言われ続けていたけれど、私達は一度も別れることなくそのまま結婚した。

 結婚したら配偶者に対する愛情が無くなったというカップルは多いけれど、私は彼女と結婚したことを後悔したことは一度も無い。それに…


「書き終わったよ」


「…はいはい。分かったわよ。おいで、海菜」


「抱っこ」


「無理に決まってるでしょ。早く立ちなさい」


「ふふ。はぁい」


 寝室に彼女を連れて行き、ベッドに寝かせる。上に乗ると彼女は「きゃー百合香のエッチー!」と顔を隠しながら嬉しそうに悲鳴を上げた。


「…あなた、酔ってる?」


「いつだって私は君の美しさに酔ってるよ。初めて見た時からずっと」


「…はいはい」


 憎たらしくて愛おしい笑みを浮かべる彼女に口付け、耳元で愛を囁く。


「愛してる」


「ふふ…私も愛してるよ」


「でしょうね」


「でしょうねって。冷めてるなぁ…」


「冷めてたら誘いに応えたりしないわ」


「…ふふ。そうだね」


「…好きよ」


「あははー。私もー」


 彼女と付き合ってから15年間、このやり取りはもう数え切れないほど交わしている。愛していると囁けばこだまのように愛してると返ってくることなんて分かりきっている。

 それから、どこをどう触ればどういう反応をするのかも。彼女の身体の隅々まで、全て知り尽くしている。


「…百合香」


「ん」


 伸ばされた手に指を絡めると彼女は幸せそうに微笑んだ。もはや言葉を交わさなくとも、どこをどうしてほしいのかが手にとるように分かる。

 だけど15年間、一度たりとも彼女に飽きたことはない。


「可愛い。海菜」


「私にそう言うのは君くらいだよ」


「私だけで良いわ。可愛いあなたを知っているのは私だけで良い」


「……ふふ。私も、可愛いって言葉は君だけに言ってほしい」


「本当かしら」


「本当だよ」


「どうだか」


「私が嘘ついたことある?」


「ありまくりよ」


「えー? 心当たりないなぁ」


「ほら、さっそく嘘ついた」


「あははっ。嘘つきな私は嫌い?」


「……そうね。大嫌い」


「ふふ。ありがとう」


 老いて肌を重ね合う体力や気力が無くなったとしても、きっと私達はこの先も、飽きもせずに何度も愛を囁き合うのだろう。

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