24話:教師が聞くべき声は誰の声?
その日の夜。店に満ちゃんがやって来た。佐藤先生と姉川先生を連れて。
「あれ、ふうちゃん?」
「えっ。
「こんばんは」
「お知り合いですか?」
「叔母です」
やはり姉川先生と常連の姉川萌音さんは親戚だったようだ。
「ふうちゃん、両手に華だねぇ」
「茶化さないで。片方既婚者だから」
「知ってるよー。満ちゃんよくここ来るからー」
「月島先生、叔母が迷惑かけてませんか?」
「よく絡んできてうざいっす」
「ほんと生意気だなぁ君は……」
店内に笑い声が響く。
バー・モヒート。心の渇きを癒してというカクテル言葉が由来となったこの店は、誘われるようにマイノリティなセクシャリティを持つ人々が集まる。
萌音さんとその恋人の美月さんはレズビアン。
満ちゃんは既婚者だけど、他者に対して恋愛感情を抱かないアロマンティック。
私は便宜上レズビアンを自称しているが、正確にはXジェンダーの
このバーを経営する私の母はレズビアン。ただし、例外で愛した男が私の父。どうしてもバイセクシャルとは言いたくないらしい。
カウンター席の一番奥で潰れている大柄な彼女、
その隣に座って、愛美さんの背中を撫でながら静かに水を飲んでいる男性は彼女の夫。彼は異性愛者だが、彼にとっての異性はトランス女性も含むらしい。
そして……
「こんなんだから私、彼女に捨てられたんですかねぇ……うぅ……」
と、酒を煽りながら泣く佐藤先生もまた、恐らくこっち側の人間なのだろう。
「佐藤先生はまだ一年生なんですから、たくさん失敗して良いんですよ。それに、生徒からは先生の授業分かりやすいって評判良いですよ」
「でも……保護者からは……」
「保護者にウケなくても良いんじゃないすか?実際に授業聞くの生徒だし。聞かなくて良い声ばかり気にしてたら聞かなきゃいけない声が聞こえなくなりますよ」
「月島先生、いいこと言いますね」
「まぁ、カウンセラーですからね。私も外野からギャーギャー言われることありますけど、私はクライアントである生徒や教師達の声しか聞かきません。というか、外野の声を聞いてる余裕とか無いんですよ。外野に耳を傾けてしまったら彼らの僅かなSOSを取りこぼしかねませんから」
満ちゃんは言葉はキツいところがあるが、真面目で、他人想いで優しい。カウンセラーになると聞いた時は驚いたが、なんだかんだで天職だと思う。
「聞かなきゃいけない声……ですか」
「そう。佐藤先生は誰のために授業をしてるんですか?保護者のためじゃないでしょ?」
「……はい」
「うちの娘も、先生のこと好きみたいですよ。よく先生のこと話してくれます」
「えっ、あ……うちの生徒の親御さんですか?」
「あ、そういえば今日いらしてましたよね」
姉川先生は気付いたようだが、佐藤先生は気付いていないようだ。
「小桜愛華の母です。佐藤先生と姉川先生の授業、拝見させていただいておりました」
「あぁ愛華ちゃんの……お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ありません……」
「教師だって人間です。緊張くらいしますよ」
「はい……ありがとうございます」
「さぁ、佐藤先生、飲みましょ飲みましょ」
「うみちゃん、私いつもの」
「はぁい」
「月島先生のいつものって?」
「ウォッカトニックです」
「おしゃれなもの飲んでらっしゃるんですね」
「ウォッカトニック?」
「ジントニックのウォッカバージョンです」
「と言われましても。私、お酒には詳しくなくて……」
「トニックウォーターはわかります?」
「えっと……柑橘系の炭酸飲料水ですかね」
「そんな感じです。それのウォッカ割」
ウォッカトニックといっても、満ちゃんのは特別メニューだ。
ウォッカはウォッカでも、世界一強いことで有名なスピリタスというウォッカを使っている。一般的なウォッカのアルコール度数は40度程度だが、スピリタスは96度。二倍以上だ。それを使って、普通のレシピよりも少々濃いめで作る。
「ちょ、ちょっと待ってください。……この店のウォッカトニックはスピリタスで作ってるんですか?」
作業工程を見ていた姉川先生がスピリタスに気づき、
「まさか。ご要望がない限りは普通のウォッカ使いますよ。ご安心ください」
「ですよね……」
「スピリタスってなんかか聞いたことがあるような……。お高いんですか?」
「いえ。そういうわけではなくて、アルコール度数が世界一と言われる強いお酒なんです」
「世界一……凄いですね……」
「確か、アルコール度数、90度超えるんですよね」
「きゅ……!?」
「はい。ちなみに、市販の消毒液が大体、60から70程度です。高くても80いかないくらいですかね」
「消毒液より濃いの飲むんですか!?」
「大丈夫っすよ。薄まってるから。ほぼトニックウォーターっす」
「「いやいやいやいや……」」
「はい。どうぞ」
出来上がったウォッカトニックもとい、スピリタストニックを満ちゃんの前に置く。チェイサーとしてグラス一杯の天然水も添えて。
「お二人は何にしますか?」
「テキーラをショットで」
「……テキーラもかなり強いですよね?」
「スピリタスの半分以下ですよ。全然弱いです」
テキーラの度数は35から55度程度。うちで使っているものは40度で、大体どの店もそのくらいだ。一般的なウォッカとさほど変わらない。
「……改めて聞くとスピリタスって恐ろしいですね」
「佐藤先生はお酒は強い方ですか?」
「いえ、お二人ほどではないです。あの、おまかせってありですか?私、ほんとにお酒詳しくなくてメニュー見ても何が何だか」
「大丈夫ですよ。一つ、今の佐藤先生にぴったりなカクテルがあるんですけど……」
「私にぴったりなカクテル?」
「フローズンマルガリータっていう、シャーベット状のカクテルです」
「シャーベットって……アイスですか?」
「はい。テキーラを少し使いますが、完成品の度数はさほど高くないので安心してください。ちなみに、苺が好きだと娘から聞いているのですが」
「あ、は、はい。苺好きです」
「ストロベリーリキュールを使って苺味にすることも可能ですよ」
「苺のお酒良いですね。それでお願いします」
「かしこまりました。お先にテキーラ失礼します」
「あ、チェイサーもお願いします」
「お水でよろしいですか?」
「はい」
「はい、どうぞ」
「チェイサーって、水のことじゃないんですか?」
首を傾げる佐藤先生。チェイサーというのは誤解されがちだが、決して水という意味ではなく、口直しや悪酔い防止のために飲むものだ。一般的には水だが、中には酒を飲みながらそれより度数が低い酒をチェイサーにする人もいる。
ちなみに、イギリスではチェイサーというと、弱い酒の後に飲む強い酒を指すそうだ。
「へぇ……お酒飲みながらお酒飲むってちょっと考えられないですね」
「まぁ、日本人は体質的にそこまで強くないですからね」
私がそう言うと、スピリタストニックを顔色一つ変えず、清涼飲料水のようにガバガバ飲む満ちゃんを見る姉川先生と佐藤先生。
「彼女はまぁ……例外です」
「月島先生、外国の血が流れてたりします?」
「いいえ。あーでも、母親が九州生まれです」
満ちゃんの母親は広島県出身だ。広島は九州ではない。
「満ちゃん、広島は中国だよ」
「似たようなもんだろ」
相変わらず適当な人だ。
「ちなみに広島は全国で七番目に酒に弱いんだって」
「あ?嘘だろ。私の母方の親戚全員酒豪なんだけど」
確かに、満ちゃんの母親は引くほど酒に強い。満ちゃんがスピリタストニックを飲み始めたのも母親の影響だ。母親もよく同じものを飲んでいる。
「あくまでも統計ってことだね。……っと、失礼。フローズンマルガリータでしたよね」
会話に夢中になってしまって忘れるところだった。カウンター下で母に足を軽く蹴られ、睨まれる。ごめんなさいと目で謝るとため息を吐かれてしまった。
「お待たせいたしました。フローズンマルガリータです」
「わっ、ほんとにシャーベットだ。けど、どうしてこれが私にぴったりなんでしょう」
「元気を出してっていう、励ましの意味のカクテル言葉があるんです。昼間の件で酷く落ち込んでいらっしゃるようでしたので」
「あ……なるほど。そうなんですね。……ありがとうございます」
「元気出ましたか?」
「……はい。ありがとうございます。頑張ります」
「ふふ。応援してますよ」
「……娘の担任口説いてたって後でユリエルに密告してやろ」
「口説いてないから。やめて」
「ユリエル?」
「私の妻のあだ名です」
最初に付けたのは確か夏美ちゃんだ。女神みたいに優しいからといって、女神ユリエルとふざけて呼び始めたのがそのまま定着した。
「ちなみに満ちゃんのあだ名は番長でした」
「余計なこと言うなよ。……っと、悪い。妻から」
電話が鳴り、断って外に出ていく満ちゃん。
「……なんか、月島先生ってカッコいいですよね」
「佐藤先生、不倫は駄目ですよ。誰も幸せになりませんから」
「ち、違いますよ!そういう意味じゃなくて……私、自分に自信が無くて……失敗ばかりだし……ネガティブだし……月島先生みたいな人、憧れちゃいます」
「佐藤先生はちょっとずつで良いから自分を肯定してあげてください。否定してばかりでは辛いですよ」
「そう言われましても……」
「自分で褒めるのが難しいなら、私が褒めてあげましょう。今日はよく頑張りました。偉いですね」
よしよしと佐藤先生の頭を撫でる姉川先生。
「こ、子供じゃないんですから……」
「佐藤先生のちょっとドジなところ、私は可愛いと思ってますよ。好きですよ」
「す、好き……って……け、軽率にそういうことするの良くないですよ」
「……はっ……うわっ!す、すみません!セクハラですよねこれ!」
「……いえ。別に。嫌では……ないです」
「そ、そう……ですか……」
「あの……好きって……その……」
「えっ、あー……その……」
「……」
「……」
甘酸っぱい空気が流れる。ヒューヒューと茶化す萌音さんの頭を美月さんが小突いた。
「す、すみません……テキーラもう一杯……ロックで……」
「あ、逃げた!ずるいぞ女たらし!」
「もー!叔母さん黙って!」
「あまり飲みすぎちゃ駄目ですよ」
わかりやすく照れ隠しをするようにテキーラを煽る姉川先生。かなり動揺しているようだ。なんともまぁ、微笑ましい。
「二人ともすみません。……って、お邪魔でした?」
「「い、いえ!おかえりなさい!」」
「お、おう……。私、妻に連絡入れ忘れてたみたいで……かなり怒ってるんで、これ飲んだら帰りますね。……あ『迎えに来るから待ってなさい』だそうなので、やっぱ大人しく待ちますわ」
「先生、意外と抜けてるところあるんですね……」
「正直今めちゃくちゃ帰りたくないっす。……まぁ、逃げたら余計に面倒なんで素直に叱られますけど」
「……月島先生も、失敗とかするんですね」
「そりゃしますよ。人間なんだから」
「ふふ……」
「人の失敗見て笑うとか性格悪いっすね」
「あぁ、す、すみません……」
「ははっ。良いですよ別に。冗談です。元気になったみたいで良かった」
「……励ましてくださってありがとうございます。月島先生、姉川先生、それから……愛華ちゃんのお母さん」
「いえ。人の話を聞くのも私達の仕事ですから」
ちりんちりんと鈴が鳴る。入ってきたのは不機嫌そうな女性。満ちゃんの妻の実さんだ。
「ごめんね実さん。お迎えありがと」
「連絡寄越さない上に……随分と楽しそうね?」
「同僚だよただの」
「そんなこと分かってるわよ。いちいち弁明しないで」
「はい。ごめんなさい」
「……一発殴らせなさい」
「ここではちょっと。帰ってたら好きにしてください」
「……言われなくても好きにするわよ」
「どうぞ。酒入ってるから途中で寝るかもしれないけど」
「途中で寝たら殺すわよ」
「じゃあ、寝かさないように頑張ってくださーい」
「貴女ほんとに反省してるの?」
「してますって。もう、超反省してる」
「全く。……あぁ、失礼しました。満の妻の月島実です。妻がお世話になっております」
「あぁ、いえ、こちらこそ。同僚の姉川風花です」
「同じく同僚の佐藤優子です」
「……それでは。失礼します。いくわよ満」
「ちょ、ちょっと待った。お会計してない」
「なんでわたしが来るまでに済ませておかないのよ。馬鹿。ばーか。女たらし」
「そうぷりぷりすんなって」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
「私です。すみません」
会計を済ませ、嵐のように去って行く二人。二人が居なくなったところで佐藤先生がぼそっと「月島先生の奥様、どこかで見たことあるような……」と呟いた。「言われてみれば」と姉川先生も首を捻る。実さんは私の従姉が所属するクロッカスというバンドのヴァイオリン担当だ。プロのヴァイオリニストでもあり、たまにテレビにも出ている。満ちゃんからは口止めされているから言わないが。
何はともあれ、佐藤先生が元気になって良かった。
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