23話:授業参観

 六月の終わり。今日は愛華が中学生になって初めての授業参観がある。


「海菜さん、今日、授業参観来るの?」


「駄目?」


「良いけど……あんまり目立たないで欲しいなぁ」


「ははっ。ごめんね。それは無理な話だ」


 小学生の頃も毎回授業参観に参加していたが、毎回目立ってしまっていた。少々特殊な家庭の親という要因もあるかもしれないが、それはまぁ、持ち前のコミュ力でなんとか出来た。しかし私は元々、このビジュアルのおかげで黙っていても目立ってしまう。こればかりは生まれ持ったものだからどうしようもない。


「午後だっけ」


「うん」


「一年一組だよね?」


「うん。……ちゃんと寝てから来てね?」


「百合香みたいなこと言うなぁ」


「だって……海菜さんあんまり寝ないじゃん」


「寝てるよ。ちゃんと」


 深夜三時頃に帰宅し、そこから少し眠り、愛華と百合香が出て行くまでに一度起きて二人を見送り、そこからもう一度二度寝する。二人とも気を使って起こしてくれないから、自分で起きれなかった日は見送れない日けど、私の生活はずっとそんな感じ。


「来ても良いけど、無理して来ないでね」


「ははは。分かってるって。また後でね」


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


「行ってらっしゃい」


 愛華が出て行くと、隣に居た百合香の頭がこつんと私の肩に倒れ込んできた。


「どうした?体調悪い?」


「……私も授業参観行きたかった」


「あぁ、なるほど。有休取ればよかったのに」


「授業参観で有休って、ちょっと親バカ過ぎない?」


「まぁ、そうだよね。そこまでされたら愛華も気遣っちゃうか」


「私が行ったらちゃんと寝なさいね」


「分かってるってば。もー。行ってらっしゃい」


「行ってきます」


「あ、待って、忘れ物」


「してない。行ってきます」


 行ってきますのキスもせずに出て行ってしまった。かなり拗ねているようだ。

 かと思えば、すぐに戻ってきた。そしてむっとした顔のまま無言で私の唇を奪ってまた出て行った。


「仕事休みてぇー……」


 今日が仕事じゃなかったら今夜は絶対抱いてたのに。残念ながら授業参観の後は仕事がある。有休が取りやすい職場とはいえ、流石に限りがあるため、あまり無駄遣いはしたくない。


「大人しく寝るかぁ……」


 玄関の鍵を閉めて、百合香と愛華に言われた通り大人しくベッドに入る。




 次に目が覚めたのは二時間後。まだ時間はあるが、とても三度寝する気にはなれないし、昼食には早い。そういえば、トイレットペーパーが切れかけていた。百合香が仕事帰りに買ってくると言っていたが、せっかく時間があるのだから買いに行くとしよう。

 百合香に一言連絡を入れて家を出る。


「あっつ……」


 もうすぐ七月。もうすっかり夏の陽気だ。微かに蝉の声も聞こえる。なるべく日が当たる場所を避けながら薬局へ向かう。薬局につくと、中はひんやりと冷たい空気が漂っていた。外との気温差で改めて夏を感じる。

 通行人の邪魔にならないように壁際に寄り、改めてスマホを見ると『ついでにお風呂セット一式と生理用品一式』と注文が入っていた。了解と返し、カゴを持って店内を回る。生理用品はちょっと多めにカゴに入れる。女三人暮らし。当たり前だが、生理用品の消耗は三倍だ。大量に買い込んでおいてもすぐに無くなる。全く。女の身体は厄介なものだ。こんなクソみたいなシステムを女体に取り入れた神はきっとろくなやつじゃない。

 脳内で神に愚痴を言いながら必要な物をカゴに詰め込んでいると、一人の女性と目が合った。


「よっ。鈴木くん」


「松原さん」


 松原咲ちゃん。私の高校の同級生だ。仲はいいものの今更染み付いた呼び名を変えるのも違和感があるためお互いに未だに苗字で呼び合っている。


「朝早いね」


「そうかな」


「まだ午前中だよ?寝なくて良いの?夜勤でしょ?」


「充分寝たよ。あと、今日は娘の授業参観日なの」


「へぇ。娘っていくつ?」


「今年で中一」


「もうそんなになるのかぁ……。……あのさ、失礼なこと聞いても良い?」


「うん」


「血の繋がりがないこととか、同性カップルだとかでなんか苦労したことある?」


「そうだねぇ……最初はちょっと母子共に浮いてたけど、最初だけだったよ。今は馴染んでる。と思う」


「そっか。……実はね、私たちも最近、子供がほしいなって思ってて……鈴木くん達とは違って、どっちかが産む形で授かろうって話なんだけど……」


「うん」


「やっぱり思っちゃうんだよね。子供がほしいなんて簡単に言って良いのかなって。片方の母親としか血が繋がってなくて……どっちが産むかはまだ決めてないんだけど、仮に未来さんが産んだらさ、その子にとって私はなんなんだろうって」


 その気持ちは痛いほど分かる。


「うん。……わかるよ。私は正直、それが嫌で養子を取ることにしたんだ。片方だけ血が繋がってたら余計に血縁に縛られちゃいそうだから」


「……なるほど。なんか、鈴木くんらしいね」


「そうかな。……でもさ、私達三人は一切血の繋がりなんてないけど、私も百合香も娘のことは大切に思ってるよ。娘も私達のこと大好きだし、結局、血の繋がりなんて些細なことだよ。今なら綺麗事じゃなくて心からそう言える」


 血が繋がっていなくたって、私も百合香もちゃんと、愛華を愛おしく思えている。血が繋がっていないと子供を愛せないなんてことはない。


「……そっか」


「子供生まれたら写真送ってね」


「気が早すぎるよ。けど……ありがとう。未来さんとじっくり話し合うよ」


「うん」


「ありがとう。またね」


「うん。またね」


 松原さんと別れて誰も居ない家に帰る。時刻は昼前。そろそろ準備をしなくては。

 食欲はさほどない。棚を漁ると、いつ開けたか分からない乾麺の蕎麦が出て来た。躊躇わず捨て、開封されていない乾麺の蕎麦を賞味期限が切れていないことを確認してから開け、茹でる。

 茹で上がった麺を氷水でしめて麺つゆにつけてすする。料理は嫌いではないしむしろ好きだが、今はする気にはなれない。一人だとこういう時気楽だ。


「ごちそうさま」


 時間を確認する。皿を洗うくらいの余裕はありそうだ。食器を片付けて、服装が乱れていないか玄関前の鏡で確認をしてから、家を出て愛華の通う中学へ向かう。彼女が通う桃花とうか中は私の母校だ。今年になって、この門を潜るのは入学式以来二回目。

 すれ違う生徒や教員達と挨拶をかわしながら一年生の廊下を歩く。私も愛華と同じ一年一組だった。かつて幼馴染二人と共に学んだ教室のドアに手をかける。少々早すぎたようで、中に大人は誰も居ない。子供達から視線を浴びて少し気まずい。


「海菜さん、早い」


 愛華がムッとしながら駆け寄ってきた。ちゃんと寝たの?とでも言いたげな顔だ。


「ははは……ごめん。君の顔が見たくてつい」


「もー!ちゃんと寝たの?」


「寝たってば」


「ほんとに?」


「ほんと」


「……なら良い」


 なんだか今朝の百合香みたいだ。最近ほんとに似てきた。可愛い。


「廊下にいた方がいい?私」


「居ていいよ。もうすぐ予鈴鳴るし」


「居てほしいんだ?」


 揶揄うと、腹を小突かれた。


「もう子供じゃないもん」


「ふふ。ごめんね。後ろで大人しくしてるね」


 教室の隅に寄る。

 予鈴が鳴ったが、保護者はまだ誰も来ない。ふと廊下を見ると、愛華の友達の希空ちゃんの父親と目が合った。会釈をし、去って行った。三年生にもう一人息子が居るからそっちへ行ったのかもしれない。


「海菜さん。こんにちは」


りょうちゃん、こんにちは」


 挨拶をしながら入ってきたのは同じく愛華の友達の翼ちゃんのお母さん。ではなく、お姉さん。彼女の家は父子家庭で、大学生の長女が母親代わり。都合が合えば行事は積極的に参加しているようだ。父親は日勤で働いているため、なかなか会わない。

 ちなみに、希空ちゃんのところは母親が働いて父親が専業主夫をしている。昔は逆が当たり前だったが、最近はそういう形の家庭も珍しくはない。兄のところもそうだ。兄は専業主夫で、鈴歌さんが家系を支えている。

 私達のような同性カップルと、どちらかとしか、あるいはどちらとも血の繋がらない子供という組み合わせの家庭もきっと、少し時が経てば珍しくなくなるだろう。愛華の日記にも、父親が二人居る家庭で暮らす男の子と知り合いになったと書いてあった。その子は園芸部の部長らしい。


『あの人誰のお父さんだろう』


『めちゃくちゃ背高いわね』


『てか、若くない?』


『隣のお母さんも若いわね』


 保護者が増えてきた。ひそひそと声が聞こえ、視線が刺さる。涼ちゃんが噂話をする保護者達の元へ行く。


「すみません。夫婦じゃないです。友人です」


「あ、あら。ごめんなさい」


「あと、あの人女性です」


「えぇっ!?」


 別にその誤解は解かなくても良かったのに。まぁ、後で謝罪されるよりはマシか。


「み、みんな席着いてねーチャイム鳴るよー」


 教師がちょっと緊張した様子で入ってきた。


「そ、それでは授業をはじめましゅ。ご、号令お、お願いします」


「起立。礼」


「「「「よろしくお願いします」」」」


 授業が始まったが、先生はかなり緊張している。黒板の字の小ささに自信の無さが現れているが大丈夫だろうか。


「佐藤先生ガチガチじゃん」


「うわっ。びっくりした」


 腰元から聞き馴染みのある声が聞こえて思わず声を上げてしまうと、声の主は私を睨みながら、しーと人差し指を立てた。幼馴染の満ちゃんだ。今はこの学校でカウンセラーをしている。


「……何でいるの?私に会いたくなっちゃった?」


 小声で問いかけると「殺すぞ」とドスの効いた低い声で物騒な返事が返ってきた。


「ごめん。冗談。で?何でいるの?」


「授業訪問」


「そういうのって教師に許可取ってやるんじゃないの?」


「まぁ普通はな。けど、授業参観だからちょうど良いと思って」


「……いちいち許可取るのめんどくせぇって思ってない?」


「……授業中だから。私語厳禁」


「うっす」


 かつて一緒に授業を受けた教室で、一緒に授業を参観する日が来るとは思わなかった。変な感じだ。

 改めて、教室全体を見回す。

 落ち着かない様子で後ろを気にする子は多いが、保護者が居るからだろう。愛華もその一人のようで、たまに目が合う。しかし、一番緊張しているのは先生のようだ。黒板の字は震え、たびたびスペルを間違えて生徒に指摘されている。満ちゃんが一番心配しているのはもしかしたら彼女かもしれない。


「あ……チャイム鳴った……良かった……終わった……」


 よっぽど緊張していたのか、チャイムが鳴った瞬間ホッとしてしまう先生。すぐにハッとし、顔を真っ赤にしながら生徒に号令をかけさせて、保護者に頭を下げながら逃げるように教室を出て行ってしまった。


「思った以上に重症だな……」


「慣れだね」


「フォローしてくるわ」


「うん」


 満ちゃんも廊下に出て行く。


「あの人、教師ですか?」


「ううん。スクールカウンセラー」


「保護者に紛れて授業参観ですか」


「そうみたいだね」


 愛華も希空ちゃんと翼ちゃんと何かを話しながら廊下に出て行った。


『佐藤先生、緊張しすぎでしょ。大丈夫かな』


 生徒からも心配する声が聞こえてきた。しかし、聞こえてくるのは優しい声だけでは無い。


『あの先生、大丈夫かしら』


『担任らしいけど、ちょっと頼りないよね』


『担任なの?うちのクラスの?あれが?』


 子供の前だというのにひそひそと。全く。大人気ない。声をかけずにはいられなかった。


「慣れていないようでしたし、まだ新米の先生なんじゃないでしょうか。ねぇ愛華?」


「う、うん。佐藤先生は今年から教師になったって。私たちと同じ一年生だよ」


「そりゃ緊張するよね。授業参観なんて初めてなんだから。多めに見てあげましょうよ。お姉様方」


 他の保護者達もうんうんと私の言葉に賛同するように頷く。ひそひそと話していた保護者達はあっさりと黙り、罰が悪そうに目を逸らしてそんなつもりじゃないとごにょごにょ言い訳を始めた。


「私もちょっと過剰に反応し過ぎてしまったかもしれませんね。急に割り込んでしまってすみません」


 子供達の前だ。あまりギスギスしたくはない。


「いえ、こちらこそ。おほほ……」


「ふふ」


 ちらっと、ひそひそ話していた保護者の一人の視線が愛華に向けられたのを私は見逃さなかった。


「あぁ、あの子、私の娘なんですよ」


 あの子に危害を加えるのであれば誰であろうと容赦はしない。クラスメイトであろうが、その保護者であろうが。


「そ、そう……可愛いわね……」


「ふふ。でしょう?凄く良い子なんですよ」


「へ、へぇ……そう……」


 こいつに手を出すとろくな事が起きないと本能的に察したのか、怯えの色が見える。ちょっと脅かしすぎたかもしれない。


「海菜さん、六時間目も残るの?」


「うん。このまま見ていくよ」


「授業中は静かにね」


「うるさかった?ごめんね」


「ううん。大丈夫」


 ぼそっと「佐藤先生のこと、庇ってくれてありがとう」とお礼を言って前を向く愛華。最近の日記にはよく先生のことが書いてある。先生とは仲が良いようだ。


「六時間目も頑張ってね」


「うん」


 予鈴が鳴った。生徒達は慌てて席につき、愛華も正面を向き直して教科書を準備し始めた。次は国語のようだ。国語の担当は副担任の姉川先生。愛華との交換日記から得た情報だ。

 ところで、店の常連に姉川という苗字の女性が居る。彼女の姪が中学教師だという話を聞いたことがあるが……。


「みんな予鈴鳴ったから席につけよー。って、もう着いてる。今日は偉いなぁ君達」


 入ってきた教師は、声も顔もどことなく彼女に似ている気がした。今度店に来た時に聞いてみるとしよう。


「はい、じゃあ号令かけてー」


「起立」


 授業が始まった。姉川先生は佐藤先生とは違い、堂々と授業を進めた。まるで、保護者のことが見えていないかのように。慣れているのが分かる。

 満ちゃんは戻って来ない。他の教室にいるのだろうか。佐藤先生は大丈夫だろうか……。

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