22話:かつて世界を呪った少女

「あのさ、海菜さん、聞いても良い?」


「ん?どうしたの?」


「……」


 中学生になって約二か月が経ったある日。愛華は帰ってくるなり話があると言って黙り込んでしまった。毎日楽しそうだと思っていたが、今日は何か思い悩むことがあったようだ。

 インスタントのアイスココアを淹れて隣に座り、彼女の言葉を待つ。ココアを一口流し込んでから、彼女はぽつりと呟くように言った。


「……同級生から、付き合ってほしいって言われたんだ」


「うん。それで?」


「断ったの。恋愛とか、よくわからないし、友達で居たいからって」


「うんうん」


「そしたら……彼、泣いちゃって。でも『そう言われるのは分かってた』って。……それで……『そのまま誰とも付き合わないでほしい。誰かのものになるくらいなら、誰のものにもならない方がマシだから』って……言われて……その言葉が、なんか凄く怖くて。もし私に恋人が出来たら、私はになるの?」


「ううん。愛華は誰のものにもならないよ。私はだけどじゃないから。逆もまた然り。百合香は私のものじゃない。けど彼も、君を物扱いしているわけじゃないと思うよ。言葉の綾ってやつだよ」


「うん。それは分かってるんだけど……」


 再び黙ってしまった。抱えている不安を上手く言葉に出来ないようだ。


「……海菜さんは、好きって言われて、気持ち悪いとか、怖いって思ったことある?」


「あるよ」


「えっ」


「……私が中学生の頃は、まだ同性愛が当たり前では無かったんだ。同性が好きだって、簡単には言えない時代だったの。LGBTQって言葉はあったし、Qはともかく、LGBTを知らない人はほとんど居なかった。けれど、みんな他人事だと思ってたんだ。シスヘテロかそうじゃないかなんて誰もいちいち確かめない。主張しない人間は当たり前のようにシスヘテロだと決めつけられる時代だったの」


 あれから四半世紀も経っていないけれど、時代は大きく変わった。シスヘテロが当たり前という風潮は完全に無くなったわけではないが、無くなりつつある。カミングアウトも気軽になった。芸能人でも当たり前のように自身のセクシャリティを公言する人が増えた。


「それで……私はそんな世界が大嫌いだった。そして同じくらい、性別を理由にフラれるなんて1ミリも思っていない私のことを好きな男の子達が、性別を理由にフラれると思い込んでいる私のことを好きな女の子達が大嫌いだった。彼らに告白されるたびに、内心、吐き気がするほど気持ち悪かったよ。私に恋愛感情を向けないでって思ってた」


 愛華にあの頃の私が重なる。

 全てが憎いのに、罪悪感が絡みついて、そんなこととても口に出来ない。『私を好きになってくれた人に失礼だ』そう言い聞かせてくる自分自身さえ大嫌いだった。絶望を与えてくれず、私をこの世に繋ぎ止めてくれる幼馴染や両親達さえも。

 今でこそ感謝しているが、あの頃は何もかも呪っていた。呪いながら、あの世に想いを馳せながら、だけど生きたいという欲求には抗えなくて、必死にもがいていた。

 だけどもう大丈夫。今の私なら、あの頃ののろいをまじないにに変えられる。愛おしい娘を守る優しいまじないに。


「……愛華」


 しゃがみ、愛華を抱きしめる。


「……気持ち悪いとか、怖いなって感じて、今君は罪悪感を覚えてしまっているかもしれないけど……自分のこと醜い人間だなんて責めなくて良いからね。人間なんてみんなどこかしら酷いもんだから。その自分自身の醜い部分と上手く付き合っていくのが大人になるってことだと思うよ」


「……海菜さんは上手く付き合えてる?」


「……どうだろう。わからないけど、昔より上手く付き合えてるのは確かだと思う」


 世界を呪っていたあの頃よりは確実に。


「……私も上手く付き合えるようになるかな」


「私に話せた時点で、もうすでにちょっとは受け入れられてるんじゃないかな」


「……そう……かな」


「うん。大丈夫だよ。君の中にどんな醜い一面があっても、私と百合香は君の味方だから。愛してるよ。愛華」


「……ありがとう。


「……ふふ。どういたしまして。また苦しくなったら吐き出してね。受け止めるから」


「……大好きだよ。海菜さん」


「ん。ありがとう」


「うん……」


「君はこの先、沢山人を傷つけてしまうかもしれない。その度にきっと君も傷ついてしまうだろうけど、どうか自分を過剰に責めたりしないようにね」


「うん……」


「大丈夫。大丈夫だよ。気がすむまで沢山泣きな。あぁ、それと……自分に危害を加えてくる人には遠慮しなくていいからね。君の身体も心も、君自身のものだから大切にしなさい」


「うん……」


「頑張ったね」


「海菜さんも頑張ったね」


 優しい言葉をかけられ、思わず泣いてしまう。


「……うん。ありがとう」


 かつて、私は世界の全てを呪った。あれから四半世紀も立たないうちに、世界は良い方に変わった。『愛に性別なんて関係無い』とか『愛した人が同性だっただけ』とか、綺麗事や気休めでしか無かった言葉達も、今はもう綺麗事でも気休めでもなくなった。異性愛者からかけられるその言葉に『他人事だからそんなこと言えるんだ』と怒りを覚える必要もなくなった。

 かつて世界の全てを呪った少女は、私の中にはもう居ない。

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