25話:翼の恋の相手
七月に入り、学校生活にも慣れてきた頃。
「私さ、好きな人が出来たんだ」
翼が恋をした。相手は大学生らしい。
「えぇ!?大学生!?どこで知り合ったの?」
「ハンカチ拾ってあげて……それがきっかけで話すように……」
「少女漫画じゃん」
「へへ……」
「けどちょっと年上すぎない?中学生は流石に恋愛対象外でしょ」
「分かってる。でも好きなの」
少し恥ずかしそうに彼の話をする彼女は、望さんの話をする時に似ていたけれど、ちょっと違った。望さんの話をする時は恥ずかしそうな顔はあまりしない。きらきらはしているけど。
「マナは好きな人出来た?」
「……私は……」
この間の告白のことを二人に話すべきか悩む。恋愛感情を向けられて怖かったことを話して、二人はどう返すのだろう。
「……なんかあった?」
悩んでいると、二人は心配そうに私の顔を覗き込んだ。やはり、話すべきだ。二人なら大丈夫だと信じて、勇気を出して打ち明ける。
「この間……部活の友達から告白されたんだ。付き合ってほしいって」
「えっ!いつの間に!なんで言ってくれなかったのよ!」
目を輝かせる翼。希空が興奮する彼女を制し、私の言葉の続きを促してくれた。
「私……誰かの恋人になることが怖いの」
「怖い?どうして?」
「上手く言えないけれど……私は、誰のものにもなりたくないんだ。私にとってはみんなが大切で、特別で……だから……」
「一人に絞れないってこと?」
翼が苦笑いする。これじゃなんだか浮気をしている人みたいだが、間違いとも言えない。
「近いけどちょっと違うような……」
「自分でもよくわからないってことだね」
「うん……。……希空は?」
「ボク?」
「好きな人、居るの?」
「あー……いや、ボクは……ずっと気になってる女の子は居るんだけど……それが恋かどうかはまだちょっと分からない」
「私は恋だと思いまーす」
手を挙げて楽しそうに主張する翼。その様子だと希空の気になる女の子が誰かは分かっていそうだ。
二人には好きな人がいる。私にはいない。恋をするのが怖いと思いつつも、恋をしてみたいと思っているのもまた事実だ。二人の
「……翼も希空も……その好きな人と付き合いたいって、思ってるの?」
翼は「うん」と少し恥ずかしそうに即答したが、希空は「わからない」と答える。
「あ、でも大丈夫だよマナ。仮に彼氏が出来ても、二人と友達じゃなくなるわけじゃないからね」
それから一週間後。翼は好きな人と恋人関係になった。相手は大人だと聞いていたから驚いた。正直心配だけど、翼の幸せそうな顔を見ると何も言えなくなってしまう。
恋人が出来てから翼は、私達の誘いを断ることが増えた。
「ごめんね。その日はデートなんだ」
「そっか。じゃあ二人で遊ぼうか。マナ」
「……うん」
夏休みに入っても、翼と会うことは去年より少なくなった。久しぶりに会えても、惚気話ばかり。
翼との距離が少し遠くなってしまった気がして、寂しさを感じてしまう。
恋人なんて作らないでほしかった。私の中に黒い感情が渦巻く。海菜さん曰く、こういう醜い自分と上手く付き合っていくのが大人らしい。
「希空は、寂しくない?」
「ん?」
「翼、恋人が出来てから私たちと遊ばなくなったでしょ?」
「あぁ……そうだね。けど、友達じゃなくなったわけじゃないと思うよ」
「……うん。そうだけど……」
別れて戻って来て欲しい。そんなこと、とても口に出来ない。彼女は大事な友人だから。幸せになってほしいから。私に彼女の恋愛を邪魔する権利なんてない。分かっている。
自分の中に渦巻く醜い感情が嫌になる。気持ち悪い。
「マナ」
希空が私の手をそっと握り、笑った。
「大丈夫だよ。ボクは君の側に居る」
「でも、君にもいつか恋人出来るでしょう?」
「それは分からない。けど、出来たとしても、君のことを蔑ろにしたりはしないよ。翼もきっと、そんなつもりはないんだ」
「それは分かってる……分かってるんだよ……けど、翼の彼氏に翼を取られた気がして……そんなこと、思っちゃいけないのに……私は友達だから素直に『良かったね』って言ってあげなきゃいけないのに……」
「そっか。……けど、あんまり自分を責めちゃ駄目だよ。それに、ボクもちょっと、翼の彼氏のことよく思ってないから」
「希空も?」
「うん。ちょっと、気になることがあるんだ」
「歳の差のこと?」
「うん。だってボクら、小学校卒業したばかりだよ?大学生からみたら子供すぎない?」
「うん。そこは私もちょっと気になってる。少なくとも六歳は離れてるってことだもんね」
「何もなければ良いけど……」
私はまだ翼の彼氏と会ったことはないが、翼は今のところすごく幸せそうだ。定期的にLINKで惚気てくる。彼女の話を聞く限り、良い人だ。歳の差はあるけど、上手くいっていると思う。だけどやはり心配だ。相手は大人で、私達は子供。力の差は歴然だ。それは私が一番よく分かっている。
『愛華。ごめんな』
父の優しい声が蘇る。私を罵倒し、暴力を振るった人と同じ人とは思えないほど優しい声。父は優しかった。だけどそれは父の機嫌が良い日だけ。気に入らないことがあればすぐに私に八つ当たりをした。
殴り、蹴り、罵倒し、だけど最後には『ごめんね。痛かったね』と優しく抱きしめて泣きながら謝る。その行動が異常だと気付けたのは、私を引き取った施設の大人が『それは虐待だ』とはっきりと言ってくれたからだ。
「マナ、大丈夫?」
「ごめん……ちょっと……嫌なこと思い出して……」
あれはもうとっくに過去のこと。だけど未だに思い出すだけで身体が震える。
「……大丈夫」
希空が私を抱きしめる。彼女に過去のことを自分から話したことはない。翼にも。
だけど、私が親から虐待を受けた子供だという事実は、転校してすぐに学年中に噂で広まった。大人から大人へ、大人から子供へ、そして、子供から子供へ。
可哀想だからと哀みで同級生から差し伸べられた手を、プライドが払いのけて孤立した。上から目線の善意が嫌だった。対等に接してほしかった。そんな私の手を強引に引いてくれたのが希空だった。
『可哀想だからじゃない。ボクが君と仲良くなりたいから話しかけてるんだよ』
そう言ってくれたのは二人目だった。
海菜さん達と家族になる前に通っていた学校で、同じことを言ってくれた男の子がいた。彼のことは最後の最後で信じることが出来なかった。希空のことも、最初は信じられなかった。だけど、彼女は諦めずに何度も話しかけてくれた。無視をし続けても、私が返事をするまで、しつこく。
今ならきっと、彼のことも信じてあげられるのに、彼の連絡先はおろか、もう名前すら思い出せない。
「……落ち着いた?」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ぽんぽんと優しく私の頭を撫でてから、彼女は私を離して優しく笑った。
「……翼の彼氏の件は様子見だね」
「うん……」
翼の彼氏は、果たして本当に善い大人なのだろうか。今はまだ、なんとも言えない。
悪い大人でなければ良いのだけど……
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