35話:友達だから

「ん……」


 目が覚めると、もう三時を過ぎていた。

 起き上がって伸びをしたところで、ふと、一緒に寝ていたぬいぐるみが一体足りないことに気づく。ひなたがいない。

 ベッドの下に落ちたわけではなく、いつの間にか、机の上に移動している。足が生えて移動したのかと非現実的な推測をできるほど子供ではない。ひなたの下にはメモ用紙が敷いてある。海菜さんの字で『お昼ご飯は君の要望通りおかゆにしました。君が起きてきたら作るから、お腹が空いたら部屋から出ておいで』と書いてあった。梅干しとささみが入ったおかゆのイラスト付き。ぐううう……とお腹が鳴く。

 スマホを手に取り立ち上がろうとすると、メッセージが来ていることに気づく。希空だ。

 一時間おきに、授業のノートの写真。ありがたいが、そんな目立つことをして大丈夫なのだろうか。先生に見つかっていなければ良いのだけど。

「ありがとう」と一言返してから部屋を出ると、リビングで本を読んでいた海菜さんが私に気付いて「おはよう」と微笑んで本を置いてソファから立ち上がった。


「ご飯食べる?」


「うん」


「じゃあ、作るね。そこ座って」


 食卓の席に着く。授業が終わるのは三時半。あと五分くらいだ。

 料理をする海菜さんの後ろ姿を見ながら待っていると、四十分を過ぎたところで、インターフォンが鳴った。


「マナ、出てくれる?」


「うん」


 インターフォンに映っていたのは翼と桜庭くんのみだった。希空は居ない。玄関まで迎えに行く。


「もしかして、スマホ見つかっちゃったの?」


「そう。佐藤先生だからあんまり長くはならないと思うけど、置いてきた」


「あはは……」


「思ったより元気そうで安心した」


「うん。明日は学校行けるよ。あ、風邪とかじゃないから。うつらないから安心して」


「だと思って、一応これ。温かい飲み物買って来た。お金返さなくて良いから」


 そう言って翼が渡してくれたのは、はちみつレモンのジュース。買ったばかりなのか、少し熱いくらいだ。


「ありがとう。翼」


「どういたしまして」


「……俺もなんか買えばよかったか?」


「ふふ。来てくれるだけで充分だよ。ありがとう。桜庭くん」


「!……お、おう……」


 何故か顔をそらされた。照れているのだろうか。


「二人とも、上がって」


「「お邪魔します」」


 二人を家に上がらせてリビングへ行くと、ちょうど海菜さんが二人分の土鍋をカウンターの上に用意しているところだった。


「いらっしゃい。あれ?希空ちゃんは?」


「スマホ持ち込んだのがバレたんだって」


「あらら。何やってんだか」


「……」


「……」


「……二人とも?」


 ふと、二人を見ると、何故か海菜さんを見て放心状態になっている。


「はっ……。す、すまん。あの、俺、桜庭楓って言います」


「あぁ、君が例の転校生か。愛華の初めての友達の」


「え、あ、は、はい」


「愛華の母親の鈴木海菜です。聞いてると思うけど、私は女性と結婚していてね。うちは父親は居なくて、母親二人なんだ。あと、別姓婚だから愛華とは苗字が違うけど、戸籍上はちゃんと親子です」


「……」


 海菜さんの頭のてっぺんから爪先まで視線を往復させる桜庭くん。言いたいことはわかる。海菜さんと初対面で、彼女が女性だと聞いた人は大体同じ反応をする。


「……その……カッコいいっすね」


「ふっ……あははっ!ありがとう。よく言われる。男性に間違えられたり、本当に女性なの?みたいな反応されることは多いけど、こう見えても一応、女性です」


「わ、分かってます」


「ふふ。性別を疑っちゃって失礼だなとか思わなくていいからね。昔からこうだし、私は性別不詳な自分が好きだから」


 話しながら、海菜さんは私の隣に座って土鍋の蓋を開ける。その瞬間、ふわっと梅の甘酸っぱい香りが漂った。「美味しそう」と翼が唾を呑んでから呟く。


「翼ちゃんの分も作ろうか?」


「い、いえ!お構いなく!夕食入らなくなるので!」


「……いや、お前なら全然余裕だろ」


 何言ってんだという顔で翼を見る桜庭くん。翼の弁当はいつも三段重ねの大きめのものだ。小学生の頃は給食だったが、中学生になってから昼食はスクールランチか弁当か選ぶ方式になった。

 スクールランチにはランチボックスとランチルームがあり、ランチルームを利用できる日は各学年毎に決まっており、残念ながら好きなメニューの日を選んで利用することは出来ないのだが、出来たてのラーメンやパスタなど、お弁当箱には入れられないような料理を楽しむことが出来る。

 私は少食で、学校のランチは多過ぎて食べきれないことが多く、逆に翼はランチでは足りないから弁当を持参しているのだが、ランチルームの時だけはランチを買っている。しかし、私は結局食べきれないため、翼や希空に食べてもらうことがほとんどだ。


「う、うるさいなぁ!もー!私今ダイエット中なの!」


「……え……ダイエット……?」


 昼間あんなに食ってたのに?という顔だ。今日の昼はいつも通り三段重ねのお弁当をきっちり完食していた。


「翼ちゃんはダイエットなんて必要無いと思うけどなぁ」


「うぅ……でも、この間2キロも増えてて……」


「そりゃあれだけ食ってたらな」


「うるさいなぁ!もう!」


「2キロぐらい誤差だよ」


「いや、誤差では無いと思いますけど」


 桜庭くんがツッコミを入れる。


「女の子には太りやすい時期があるんだよ」


「そうなんすか?」


「そう。基礎体温つけておくと良いよ。今太りやすい時期だなって分かるから」


「基礎体温……?」


 首を傾げる翼と桜庭くん。基礎体温のことについてはまだ保健の授業では習っていない。私は海菜さんから教えてもらった。


「あぁ、まだ習ってないかな。いずれ保健の授業で習うんだけど、女性の身体には低温期と高温期ってあってね。高温期の終わり頃が太りやすい時期なんだ。二、三キロの増加は想定内だから、あまり気にする必要はないよ」


「そう……なんですか……」


「それよりも、無理にダイエットする方が身体に悪影響だからね。特に今は成長期だから、食事は抜かないように。もちろん、食べ過ぎも良く無いけど」


 食べながら話をする海菜さんを、桜庭くんは不思議そうに見る。


「ん?桜庭くんも食べたくなってきた?」


「いや……いつもこんな時間に夕食食ってんのかなって」


「あぁ、私はこの後仕事だからね。愛華はお昼まだ食べてないから、遅めの昼食」


「この後?」


「海菜さんは夜勤なんだ」


「あぁ、バーテンダーだって言ってたな」


「そう。私は夜勤で、妻は日勤。ちょうど入れ替わりで出勤するんだ」


「帰ってくるのって、深夜ですか?」


「うん。そう」


「ってことは、同じ家に暮らしてるのに、あんまり顔合わせないんですか?」


「うん」


「の割にはいつもラブラブですよね。何か婦婦円満の秘訣とかあるんですか?」


 翼が手を挙げて質問をする。「恋人居ないのに聞いてどうすんだ」と桜庭くんが苦笑いした。


「うるさいなぁ。これから役立つ日が来るんだよ」


「ちょっと顔の良いロリコンに引っかかりそう」


「もう引っかかんないわよ」


?え?すでに一回引っかかったことあんの?」


 翼がと付き合っていたのは、桜庭くんと出会う前だ。出会った頃にはもう別れていた。桜庭くんは翼の元カレのことは知らない。


「……若気の至りってやつよ」


「中学生が何言ってんだ」


「うるさいなぁ。とにかく、私はもう年上は懲り懲りなの」


「年上好きなくせに?」


「好きだよ。けど、もう付き合いたいとは思わない。まともな大人は中学生に手出さないって身をもって知ったから」


「……ふぅん。けどさ、お前の好きな望様もちょっとロリコンっぽいよな」


「あぁ!?望様の奥さんは望様と同い年だわボケ!」


「えっ!嘘!一回りくらい下だと思ってた!」


 望さんの奥さんも海菜さん達と同じ高校の同級生なのだが、かなり小さい。テレビでしか見たことないが、私と変わらないくらいの身長しかないらしい。


「一回り下だったらまだ高校生だよ」


「マジで?望様いくつ?」


「今年で三十。……老けてるって言いたいわけ?」


「いや、見た目は全然だけどさ、すげぇなんか、ベテランって雰囲気あるからさ……若いのか若くないのかどっちなんだろうってずっと思ってた。三十かぁ……俺の親より下じゃん」


 翼が海菜さんを見る。視線に気づいた海菜さんは「ん?」と微笑んで首を傾げた。慌てて目を逸らす翼。明らかに様子がおかしいが、敢えて触れないでおく。


「……ごちそうさま。美味しかった」


「お。今日は食べ切ったね。偉い偉い」


「お腹空いてたから」


 海菜さんは、空になった土鍋を見て嬉しそうに笑ってから私の頭を撫でて、土鍋を片付けに行く。その姿を見て桜庭くんが「良いお母さんだな」と呟いた。


「うん。もう一人のお母さんも、いつか桜庭くんに紹介するね。平日は日勤で働いてるけど、土日は休みだから」


「じゃあ、今週の土曜日にまた来てもいい?」


「うん。良いよ。おいでー」


「……あ、今週ってそういや、明日からテスト週間じゃない?」


「げっ。もうそんな時期?」


「そっか。そういえばそうだね。じゃあ、希空も呼んで勉強会だね」


「……小森もかぁ……」


「桜庭くん、希空とちゃんと仲良くしてる?」


「……いや、突っかかってくるの向こうだし」


「もー。希空は君の何が気に入らないんだろうね」


「……本当に気付いてないの?マナ」


 翼が言う。なんのことだろうと首を傾げると、彼女は「なんでもない」と顔を逸らした。明らかになんでもなくはない。海菜さんのことといい、翼はすぐに顔や態度に出る。桜庭くんが彼女を肘で突く。「余計なことを言うな」と。


「……私に言えない話?」


「……すまん。けど、そのうち話す。……俺からも、小森からも。必ず話す」


「……よく分かんないけど、こっちから話すまで聞かないでってことだね?」


「あぁ」


「……分かった。じゃあ聞かないでおく。けど、絶対話してね」


「……あぁ」


 気になってしまうが、桜庭くんが必ず話すというのなら信じたい。大切な友達だから。


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