12話:娘の誕生日

 4月26日木曜日。今日は愛華の誕生日だ。愛華が来てから三回目の誕生日。毎年この日は有給を取っている。たまたま昨日が定休日だったから久しぶりの連休だ。

 といっても、午前中は洗濯や掃除以外は特にやることは無い。ついでだから愛華の部屋も掃除しておくか。


 愛華の部屋に入る。勉強机の上に狐と黒猫のぬいぐるみが置いてある。二体の首にはそれぞれイルカのストラップがかけられている。あれは百合香と付き合ったばかりの頃にお互いに作って送りあったものだ。私達の寝室に置いてあったが、愛華が来てからはこっちに引っ越した。

 二匹の間には花の髪飾りをつけた子犬のぬいぐるみが置いてある。これは愛華がやってきて初めてのクリスマスにプレゼントしたもので、百合香が作った。愛華をイメージしているのだという。

 ほとんどほこりを被っていない。大切にしてくれているようだ。

 ちなみに、それぞれに名前があり、狐はひなた、黒猫はリリカ、子犬はカナ。それぞれ私、百合香、愛華をイメージした名前がつけられている。愛華曰く、カナはひなたとリリカの子供らしい。狐、猫、犬。彼女達は種族はバラバラで血が繋がらない。だけど、家族だ。私達も同じだと、愛華は言ってくれた。彼女は素直で可愛い。人間の汚いところを知っているのに——いや、だからなのか、優しくて、達観している。だけど、良い意味で子供らしくて純粋だ。

叶わない恋に悩んで親友に八つ当たりをしていた中学生の頃の私とは大違いだ。そのまま真っ直ぐに育ってほしい。


「……いつかこの部屋がまた空き部屋になる日がくるのかな」


 この部屋は元々、空き部屋だった。ベッドが一つあっただけの部屋は今や愛華の私物で埋め尽くされている。主にぬいぐるみが多い。

彼女が大事にしているぬいぐるみ達の埃を軽く払い、掃除機をかける。


 掃除が終わってもまだ昼間だった。読書をして時間を潰し、昼食を取り、愛華の誕生日ケーキを作り始める。彼女の好きな苺をたっぷりと盛りつけたシンプルなホールケーキ。


「……よし」


 出来上がったケーキを冷蔵庫に入れたところで丁度「ただいま」と玄関の方から愛華の声が聞こえてきた。


「お帰り」


「ただいま。見てみて。希空と翼からもらった」


 嬉しそうに愛華が見せてくれたのは恐竜柄のシャーペンと、犬柄の消しゴム。


「あれ、そのストラップは?」


 ふと、愛華のカバンにはストラップが増えていることに気付く。カクテルグラスから顔を覗かせる白い子猫のストラップだ。


「これはおまけ。ガチャガチャでダブったからって希空から貰ったの。なんでカクテルグラスに子猫なのかよく分かんないけど、なんか可愛いよね」


「子猫を意味する名前のカクテルがあるから、それとかけてるんじゃないかな」


「そんなのあるの?」


「キティとプッシーキャット。どっちも子猫って意味だよ」


「へぇ。どういうお酒?」


「赤ワインとジンジャーエールを一対一で混ぜたものがキティ。プッシーキャットはオレンジジュースとパイナップルジュースとグレープフルーツジュースを使ったノンアルコールカクテルだよ」


「お酒入ってないの?」


「うん。だから君でも飲めるよ。作ろうか」


「飲みたい」


「ふふ。じゃあ席についてお待ちください」


 座るように促すと、愛華はカウンターの前に座って期待するように足と身体を揺らした。


 冷蔵庫からオレンジジュース、パイナップルジュース、グレープフルーツジュース、オレンジを取り出す。

 まずは先に、飾りとして使うためのオレンジを切る。余りは普通に食べられるようにくし切りにして皮を剥いて爪楊枝を刺す。

 メジャーカップでオレンジジュース30ml、パイナップルジュース30ml、グレープフルーツジュース10mlを測り、ティースプーン一杯分のグレナデンシロップ——ザクロと砂糖でできたシロップ——をシェイカーにいれてシェイクし、出来上がった鮮やかなオレンジ色の液体を氷の入ったサワーグラスに注ぐ。最後に飾りとしてオレンジの切り身を飲み口に刺せば完成だ。


「はい。プッシーキャットと、オレンジの盛り合わせでーす」


「綺麗ー!おしゃれー!でも、中身は結局ミックスジュースだよね」


「あはは……まぁね。おしゃれなミックスジュースだね」


「ノンアルコールのカクテルって、名前ついてるやつ他にもあるの?」


「色々あるよ。ノンアルコール専門のバーだってあるぐらいだからね」


「バーなのにお酒出さないんだ……」


「大人でもお酒飲めない人はたくさん居るから。うちでも注文が入ればアルコール抜いてるよ」


「えっ、じゃあ、さっきのキティってお酒からアルコール抜くことできる?」


「うん。ノンアルコールワインっていう、アルコールの入ってないワインがあるからそれで代用すればできるよ。もしくは、濃いめのブドウジュース」


「えー……結局ジュースなんじゃん……」


「ブドウジュースで作ったキティ飲んでみる?」


「ブドウジュースと……なんだっけ?」


「ジンジャーエール」


「……飲む」


「結局飲むんだ」


「飲む」


「ふふふ。はぁい」


 キティの作り方は簡単だ。冷やしたグラスに直接赤ワイン——今回は濃いめのブドウジュース——とジンジャーエールを一対一で注いで混ぜるだけ。


「はい。バージン・キティです」


「バージン?」


「ラテン語で乙女って意味だよ。業界ではノンアルコールって意味」


間違ったことは言ってない。


「……なんで乙女がノンアルコールって意味になるの?」


使とかって意味合いもあるから」


「あーなるほど。アルコール使ってませんよーって意味なんだ」


「そう」


「へー……使って、なんの関係も無いのに……不思議だなぁ……」


実はそうでも無いが、その辺りを詳しく説明するには小学校を卒業したばかりの彼女にはまだ早い。

……まぁ、私が中一の頃にはその辺はもう大体理解していたのだけど。


「……ちなみに、赤ワインを白ワインに変えるだけでオペレーターっていう別のカクテルになるんだ」


「ほー……」


「さて、それ飲んだら夕食を作るから手伝ってくれるかな」


「はーい」


 時刻は午後6時すぎ。そろそろ百合香が帰ってくる時間だ。風呂を沸かしに行き、沸かしている間に夕食の準備を始める。愛華が家に来てからは、4月26日の夕食は決まっている。


「夕食はナポリタンが良いな」


「分かってるよ」


 愛華と家族になる少し前、彼女が初めてこの家に泊まりに来た日に出した料理がナポリタンだった。あれが相当気に入ってくれたらしく、あれから愛華の誕生日の夕食は毎回ナポリタンだ。多分来年も。


「ただいま」


 付け合わせのミネストローネを作っていると、玄関の方から百合香の声が聞こえてきた。


「お。帰ってきた」


「見てるから行ってきて良いよー」


「ありがとう。ハニーおかえりー!」


 玄関に向かい、靴を脱いでいる彼女に飛びつく。鬱陶しいなと言わんばかりに押し返されることがほとんどだが、稀に、そのまま腕を背中に回して甘えるように抱きついてくる日もある。今日はそんな日だった。


「……ただいま」


 疲れきったと言わんばかりの弱々しい声。よっぽど何かあったのだろう。あるいは、愛華の誕生日だからと残業の必要が無いように頑張りすぎたか。

 頭を撫でていると、ぐううー……と、彼女の腹の音が鳴る。どうやら後者のようだ。


「さては、お昼食べてないな?」


「……今日は残業出来ないもの」


「全く。娘想いだねぇ。けど、無理して身体壊しちゃったら誰のためにもならないからね。休憩はちゃんととりなよ」


「……はい」


「とりあえず、私を摘み食いしとく?」


「……そんな気力があるように見える?」


「お腹空くとムラムラしない?」


「しないわよ。馬鹿」


「あはは。ごめん。冗談。明日はちゃんとご飯食べるんだよ」


「えぇ。あ、そうそう。明日、飲み会行ってくるわね。愛華は湊さんに預かってもらうから」


「はーい」


 明日は私も仕事で朝まで帰ってこない。愛華はもう中学生だ。一人で留守番くらい出来るが、流石に丸一晩一人で留守番させるのは心配だ。だから、百合香は愛華がうちにやって来てからは急な飲み会には参加しなくなった。そのことで『最近付き合いが悪くなったね』と文句を言われたこともあるらしいが『仕事の付き合いより家族が大事なので』と一蹴したらしい。たまに店に来る彼女の同僚ファンから聞いた。流石私の妻。カッコいい。好き。


「飲み過ぎには気をつけてね」


「えぇ」


「歩ける?抱っこしようか?」


「抱っこはいい。変なところ触られそうだから」


「やだなぁ。人を変態みたいに」


「変態じゃない」


「じゃあはい。手貸してあげる。これなら良いよね?」


「……ありがと」


 彼女の手を引いてリビングへ連れて行き、席に座らせる。


「愛華、スープ出来てる?」


「うん。今パスタ茹でてる。もう茹で上がるよ」


「ありがとう」


 とりあえずサラダとスープをよそい、百合香に出す。


「ありがとう。先にいただきます」


「どうぞー。愛華もいいよサラダ食べてて。あとはちゃちゃっと作るから」


「はーい」


 タイマーが鳴ったところでパスタをざるにあげてお湯をきる。

 ウィンナーと玉ねぎとピーマンをフライパンで炒めてから、パスタを投入し、炒めながらケチャップで味をつける。


「海菜さん、私、大盛りで」


「はーい」


 大盛りといっても、愛華は元々食が細い。ケーキのことも考え、一般的な一人前の量(目分量)で提供する。ピーマンが好きなのでピーマン多めで。


「これくらい?」


「うん」


「はい。どうぞ」


「いただきます」


 続いて、百合香の分。彼女の分も普段は少なめにするのだが、今日は昼食を摂っていないということでいつもよりは少し多めに。


「はい、百合香」


「ありがとう」


「食べられなかったら置いておいて」


「大丈夫よ。いただきます」


 そして余った分が私なのだけど、結局私が一番多くなってしまった。パスタとスープを百合香の隣に置いて席に座る。


「愛華。明日私、飲みに行ってくるから」


「会社の人と?」


「えぇ。だから、明日は湊さんのところに行ってね。話してあるから」


「はーい」


「出勤する時に送っていくね」


「うん。ありがとう海菜さん」


 兄のところには実子が二人。王花おうか凛々りりという双子の女の子だ。今年で小学三年生。二人とも愛華に懐いている。

 百合香のお兄さんの方にもはるという5歳の娘と優陽ゆうひという3歳の息子がいて、そっちの二人とも仲が良い。

 最近は、生まれた時の性別のまま一生を過ごすとは限らないことを考慮して男性でも女性でも通用するような中性的な名前をつける親が多いらしく、陽ちゃんと優陽くんもそのパターンだ。

逆に、凛々と王花は生まれた性別に合わせて名付けられている。

 兄達は名付ける際に、知人から『女の子に生まれたから女の子らしい名前、男の子に生まれたから男の子らしい名前をつけることはもう古いんじゃない?』と言われて悩んだらしい。確かに、私の知り合いには男らしい名前がコンプレックスだったトランス女性が居たが、逆に、中性的な名前がコンプレックスだった男性も居た。

将来的に性別が変わることを考えて中性的な名前をつけることはいい配慮だとは思うが、生まれた時の性別に合わせてつけることもまた間違いではないと、私は思う。生まれたばかりの子がどんな風に育つかなんて誰にも分からないのだから。


「あ、お風呂沸いたー」


「先入る?」


「三人で一緒に入りたい!」


「ふふふ。しょうがないなぁ」


 と、いうわけで。三人でお風呂に入ることに。百合香は私が一緒に風呂に入ろうと誘うと大体断るが、今回は愛華のお願いということで渋々了承してくれた。愛華を前にして後ろに二人で並ぶ。


「えへへ……三人でお風呂入るの久しぶりだね」


「そうね」


 三人で入るのは愛華を家族として迎え入れた日以来かもしれない。約四年前だ。そもそも私は愛華と一緒に入ること自体ほとんど無い。お風呂の時間帯には仕事をしていることがほとんどだから。


「マナ」


「わっ、何?」


 愛華の小さな身体を後ろから抱きしめる。同級生と比べると少々小柄だが、ちゃんと成長している。心身ともに問題は無い。


「ふふ。大きくなったなと思って」


「ふふん。もう中学生だからね」


「ふふふ」


 百合香が微笑んで愛華の頭を撫でる。私も撫でて欲しいと頭を差し出してアピールするが、スルーされてしまった。冷たい。そんなところも好きだけど。


 湯船に三人で浸かり、しばらく談笑をしてから上がり、髪を乾かしてケーキを食べて、楽しかった一日が終わりに近づく。


「一緒に寝ても良い?」


「いいわよ。おいで」


「私、真ん中ね」


「えー。私が真ん中が良いー」


「ふっふっふ。百合香さんの隣は貰った!」


「じゃあ百合香を真ん中にしようか」


「えー……海菜さんも隣に来てよー……」


「しょうがないなぁ……」


 クイーンサイズのベッドに、奥から百合香、愛華、私の順に並んで電気を消す。愛華は私に背を向けて百合香にしがみついた。いつもそうだ。百合香の方が抱き心地がいいのは分かるが、少し寂しい。そして彼女はそのまますぐに寝息を立て始めてしまった。愛おしそうに愛華を抱きしめる百合香ごと抱き寄せる。


「……お母さん……大好きだよ」


 ぽつりと、愛華が呟いた。百合香と顔を見合わせる。


「……今の、どっちのお母さんだと思う?」


「ふふ。両方じゃない?」


「だよね。私も大好きだよ。愛華。生まれてきてくれてありがとう」


「愛してるわ。愛華」


 彼女と出会って三回目の誕生日。この先、あと何回一緒に誕生日をお祝いできるのだろうか。いつか巣立つその日まで、これから先も、空白の十年分の愛を注いであげよう。

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