13話:後輩と飲み会

 翌日。4月27日金曜日。今日は三宅さんとの約束の日だ。電車に乗って彼女が予約してくれた店へ向かう。


「娘さん、大丈夫ですか?一人にして」


「義理の兄夫婦に預けてる」


「へー…義理ってことは、パートナーさんの方のお兄さん?」


「ええ。双子の娘が居て、うちの娘と仲良いの」


 海菜の兄である湊さんとその妻の鈴歌さんの間には、王花おうか凛々りりという小学三年生の双子の女の子が居る。愛華とも仲が良いため、度々預けさせてもらっている。


「小桜さんはなんとなくお姉さんっぽい」


「よく言われるけど、末っ子よ。上に兄が一人。妻も同じ」


「えー…末っ子感無いですね」


「あなたは逆に末っ子っぽいわね」


「あ、分かります?ぼくも上に兄——いや、姉が一人居るんですよ。といっても、双子なんですけどね」


「へぇ。双子のお姉さん」


「はい。姉です」と、強調するように彼女は繰り返す。兄と言いかけてわざわざ言い直したことといい、少々引っかかる。

 もしかしたら彼女の姉は元々は兄だったのかもしれない。あくまでも推測だし、わざわざ確かめるつもりもないが。彼女の方から言い出すまでは触れないでおくのが正解だろう。


「ここでーす」


 連れてこられたのは普通の居酒屋。中に入ると、個室に案内された。


「……今更ですけど、人妻と二人きりで飲みって、ちょっとアレですね。いけないことしてる感じがしますね」


「別に何も無いでしょう。あなたも恋人が居るんだし。私はあなたのこと信頼してるわよ」


「ありがとうございます。でも彼女、嫉妬深いんですよねぇ……」


 海菜もかなり嫉妬深い。二人きりだから何かあるなんて疑いもしないとは思うが、多少は拗ねるかもしれない。


「誰か誘えばよかったじゃない」


「そうですけど……当事者だけの方が話しやすいし。同性婚が合法な時代とはいえ、身近に同性と結婚した人居なくて。だから話聞いてみたかったんですよ」


 会社にいるかどうかは知らないが、私の身近には同性が多い。松原さんと笹原先輩、満ちゃんと実さん、加瀬くんとその恋人、それから、近所の花屋を営む婦婦も女性カップルだし、私が高一の時部長だった佐久間先輩も女性と結婚したと聞いている。佐久間先輩の妻は元々男性だったそうだが。これは先輩の妻本人から聞いた。


「というわけで、まずは出会いから」


「……恋愛相談じゃなかったの?」


「不機嫌だった理由判明して仲直りしたんで。そっちはもう大丈夫でーす」


「あらそう。良かったわね」


「はい」


 二週間前はあんなに深刻そうな雰囲気だったのに。まぁ、自己解決したならよかった。


「とりあえず、注文しましょうか」


「はーい。何食べますー?」


「適当に好きなもの頼んでいいわよ。私は来たものつまむから。焼酎とたこわささえあれば良い」


「……焼酎とたこわさって。意外とおっさんっぽい」


「……よく言われるわ。可愛げが無いって」


 正直そう言われるのは不快だが、別に他人から可愛げが無いと言われようとどうでも良い。無理して彼女以外から「可愛い」と思われる必要なんてどこにも無いのだから。


「あぁ、ごめんなさい。そういう意味じゃなくて、媚びない感じがカッコいいと思います」


「あら。褒めてたのね。ありがとう」


 焼酎とたこわさ、その他つまみになるものを適当に、彼女は梅酒を注文した。彼女は果実酒が好きらしい。


「小桜さんのパートナーさん、バーテンダーなんですよね」


 梅酒を飲みながら彼女が問う。


「えぇ。モヒートっていうバーで働いてる」


「写真あります?」


「あるわよ」


「結婚式の」


「結婚式の?……まぁ……いいけど。はい。ファイルにまとめてあるから適当に見て」


 結婚式の写真を表示して彼女にスマホを渡す。


「……えっ!隣がパートナーさんですか?女の人……ですよね?」


「えぇ。妻よ」


「ほえー……二人ともめちゃくちゃカッコいい……」


 パートナーシップを結んだ記念の式——私達は婚約式と呼んでいる——の彼女はドレスを着ていたが、結婚式の彼女は白いタキシード姿だ。メイクも最低限。パッと見、異性の夫婦の挙式に見えるかもしれない。

 ちなみに私は白いパンツドレスを着ている。


「にしても、パートナーさんの写真ばっかり。ほんと好きですね」


 三宅さんが苦笑いしながら呟く。逆に、海菜のスマホのアルバムは私の写真ばかりだ。


「あれ…これは誰ですか?」


 スマホを覗き込む。そこに写っていたのは、花束を持ってこちらを振り返って微笑む、黒いウェディングドレス姿の海菜。婚約式の時の写真だ。


「妻よ」


「…元?」


「今の妻と同一人物よ」


「えぇ!?さっきのイケメン!?」


「そうよ」


「……もしかして、小桜さんのパートナーさん、水かけたら女になるとか、そういう感じですか?」


「彼女は生まれた時から今までずっと女性よ」


「えー……ギャップが凄い……小桜さんもですけど」


「私?」


「……やっぱ焼酎とたこわさ似合わないなって」


「まだ言ってる」


 たこわさをつまみに焼酎を少しずつ流し込む。値段が安い割にはなかなか美味しい。


「パートナーさんはどんな人です?可愛い?カッコいい?」


「……見た目通りの人よ」


「王子様系?」


「そうね。昔からあだ名は王子だった」


「あー……分かる。女子校の王子って感じですもん。あ、この後、パートナーさんの働くバーに連れて行ってもらえません?会ってみたい」


「……別に良いけど」


「嫌そう」


「……他人からちやほやされている恋人、みたい?」


「あー……めちゃくちゃモテるんでしたっけ。結婚しても嫉妬とかするんですね」


「そりゃするわよ。……好きだもの」


「ひゅー」


「……うるさいわね。さっさとお会計するわよ」


「連れていってくれるんです?」


「……惚れちゃだめだからね。私の妻に」


「大丈夫ですよ。ぼく、彼女のこと好きですから」


「上手くいっていないって言っていたくせに」


「へへ……乗り越えたらさらに好きになっちゃって」


「良かったわね」


 会計を済ませ、電車に乗って彼女の働くバーへ向かう。


「ここよ」


「わー……本当にバーだ……」


「もしかして、バー初めて?」


「実は……はい。居酒屋しか行ったことないです。ちょっと緊張してます」


 バーの扉を開く。カランカランと、扉につけられた鈴が控えめに私達の来店を知らせた。金曜日だからか賑やかだ。


「いらっしゃ……おっ。百合香ちゃん」


「こんばんは。お義母様」


「えっ、お母様?」


「義母よ。妻の母。で、今お客さんと話しているのが妻」


 空いていた一番奥のカウンター席に三宅さんと並んで座る。海菜はこちらをちらちら見ながら客と話している。


「えっ、奥さん?めちゃくちゃ美人じゃん」


「ふふ。でしょ。あれで中身も良いんですよ」


 誇らしげに客に私の自慢をする彼女。だから来たくなかったのだ。恥ずかしいから。


「はい、百合香。ポートワインです」


「頼んでないのだけど」


「ふふ。私の気持ち」


「気持ち?」


「花に花言葉があるように、酒には酒言葉があるんですよ。ポートワインの酒言葉は『愛の告白』です」


「へ、へぇ……」


 自分が告白されたわけでもないのに顔を赤くする三宅さん。


「……本当に……あなたって人は」


「あははっ。飲んでくれます?」


「……あなたの奢りよね?」


「ふふ。もちろん。で、お嬢さんはなに飲みます?」


「……え、えっと……じゃあ、カルーアミルクを」


「はーい」


 海菜がカクテルを作っている間、三宅さんは落ち着かない様子で足をぷらぷらと前後に揺らしながらキョロキョロとあたりを見回す。


「はい。カルーアミルクです」


「あ、ありがとうございます」


「妻の同僚なんですよね?」


「はい。ぼくは今年入ったばかりで、部署の先輩後輩です」


「私が彼女の教育係なの」


「へぇ。……で、二人で食事してきたの?」


「あら。怒ってるのかしら」


「ちょっと妬いちゃうな」


「……ちょっとしか妬いてくれないの?」


「珍しく可愛いこと言うじゃん。酔ってるな?」


「……酔ってないわ。まだ。フィノちょうだい」


「フィノ?」


「ええ。フィノ」


「……ふふ。はぁい。かしこまりました」


「フィノってどんなやつです?」


「シェリーの一種よ」


「シェリー……?聞いたことはありますけど……」


「シェリー酒はさっき私が彼女に勧めたポートワインと同じく、酒精強化ワインの一種です」


「しゅせい……?」


「簡単に言えば、普通のワインよりアルコール度数を高めたワインのことです。シェリーは主にパロミノ、モスカテル、ペドロ・ヒメネスという三種類のブドウから作られていて、今彼女が頼んだフィノはパロミノというブドウから出来た辛口のシェリーです」


 ぺらぺらと説明をしながらショートグラスにワインを注ぐ海菜。ただグラスにワインを注いでいるだけなのに絵になるのがムカつく。


「はい。どうぞ。チェイサーも置いとくからね。一気にいかないようにね」


「ありがとう」


 私の前にショートグラスを置くと、彼女は客から呼ばれて行ってしまった。彼女が働いている姿は好きだ。だけど、客からモテている姿は嫌い。今日は特に忙しそうだ。せっかく来てやったのに。いや、そう思うのは少しわがままだな。今の私は妻以前にただの客なのだから。

 焼酎一杯、ポートワイン一杯、フィノで三杯目。全て度数はやや高め。こんなにも心に余裕が無いのは、少し飲みすぎたせいかもしれない。


「……寝る」


 こういう時は寝てしまうに限る。


「……は?え?小桜さん?」


「仕事終わったら連れ帰ってって、妻に伝えておいて」


 腕を枕にしてカウンターに伏せる。


「……えっ、ちょ、小桜さん?マジで寝る気ですか?」


「大丈夫よ。会計はツケとくから。あなたは適当に帰りなさい」


「えぇ!?」


「おやすみ」


「ちょ……小桜さーん!?」





 気付けば私はベッドの上に居た。いつの間にか眠ってしまったらしい。隣には安らかに眠る妻の姿。お互いに服は着ていない。何かあったことはすぐに察したが、最中の記憶は何一つ無い。頭と腰が痛い。やはり飲みすぎた。

 覚えているのは、バーでそのまま眠ってしまってしまったところまでだ。海菜が家まで運んでくれたのだろう。少々申し訳ないことをしてしまった。

 あぁ、そうだ。三宅さんにも謝らなくては。

 スマホを開く。すると彼女からお礼のメッセージが届いていた。


『今日はありがとうございました。小桜さんのこと、パートナーさんのこと、色々知れて良かったです』


『こちらこそありがとう。せっかく誘ってもらったのに、途中で眠ってしまってごめんなさい』


 謝罪とお礼のメッセージを送ってアプリを閉じ、スマホを置き、眠る妻に向き直す。目が合った。ムスッとしている。


「……おはよう、百合香」


「おはよう」


「君が寝た後、後輩ちゃんから質問責めで大変だったんだからね?」


「あぁ……ごめんなさい。あの子、好奇心旺盛だから」


 彼女ははぁ……とため息をつくと、一変して優しく微笑む。


「でも、おかげさまで、昔の夢を見たよ」


「良い夢だったのね?」


「うん。君と初めて出会った日の夢」


 彼女の腕が私の頭を引き寄せる。


「私と出会ってくれてありがとう。百合香」


「それ、お礼を言う相手私で良いのかしら」


「ふふ。違ったかな。私達を引き合わせた神様に言うべき?」


「……そうね。でもまぁ、どういたしまして」


「あははっ」


 愛しい妻の背中に腕を回す。目を閉じると、走馬灯のように彼女との思い出が駆け巡る。

 色々あった。彼女への恋心を自覚した頃は、認めるのが怖かった。彼女の『同性愛なんて大したことじゃない』という言葉に勇気を貰って、母の言いなりになることをやめる覚悟を決めた。彼女に恋をしなかったらきっと、言いなりはやめたいと思うだけで動けなかった。

 付き合い始めて、周りの心無い言葉に傷ついたこともあった。だけど、そんな傷が些細な傷になってしまうほどに、彼女との時間は楽しくて仕方なかった。

 仲間と共に、必死になって国に異性愛と同等の権利を求めて…五年前にようやく、私たちは婦婦になれた。

 あれから五年も経つのか。時の流れは早いものだ。


「……愛してるわ。海菜。あなたと結婚して良かった」


 彼女の胸に頭を埋めて伝えると、彼女は「私も」と優しく囁いて私の顔を上げさせ、唇を重ねた。そのまま転がされ、ベッドに組み敷かれる。


「……ねぇ、どうせ昨日の夜の記憶ないでしょ。再現してあげようか」


「……激しくしないでね。身体痛いから」


「昨日の夜激しく求めてきたのはそっちなんだけど」


「知らないわよ……」


「……やめとく?」


「……ううん。して」


「分かった。今度は忘れちゃ駄目だからね。ちゃんと覚えててね」


 優しく触れられ、昨夜の記憶が少しずつ蘇る。店に行ったのに相手してもらえないことに拗ねて、営業時間が終わるまでカウンターでふて寝して……そこから彼女に介抱されながら家に帰って、シャワーも浴びずにそのまま——。


「……わがままね。私」


 ため息まじりに呟くと、私の身体に顔を埋めていた彼女は顔を上げ「今更気付いたの?」と笑った。私のわがままを咎める気は一切無いようだ。


「何も言わずに急に来たくせに相手されなくて拗ねちゃうわがままなところ、可愛いよ。好きだよ。君だけが好き。他の人にはこういうことしない」


 彼女はそう私の耳元で囁く。言われなくたって、分かっている。


「そんなこと言わなくたって分かってるわ。疑ったことなんてない」


「ふふ。だよね。ありがとう」


 付き合って15年。お互いに今まで、嫉妬して喧嘩することはあったが、一度も浮気したことはない。この先も浮気なんて有り得ない。彼女以上に私を愛してくれる人なんて居ないし、私以上に彼女を愛している人なんて居ないのだから。

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