最終話:後ろはもう振り返らない

 年が明けて、冬が過ぎて、季節はまた春に差し掛かる。

 そして今日。3月15日月曜日。


「……よし。じゃあ、そろそろ行こうか」


「……うん」


 今日は卒業式。学校に行けなくなったあの日から、見ることすら避けていた制服に袖を通す。


「大丈夫?」


「うん。……今日は平気。行けるよ」


「そうか。よし、じゃあこのまま頑張ろう」


「うん」


 海菜さんと百合香さんと手を繋いで家を出る。少しだけ息苦しい。でも大丈夫。今日は、大丈夫。

 誰ともすれ違わない通学路を歩いて学校へ向かう。そして校門をくぐって、玄関から校舎に入って、教室には向かわずに二階の相談室へ向かう。ノックをすると「どうぞ」と月島先生の声が聞こえた。


「おう。おはよう。愛華」


「おはようございます」


「うみちゃん、紅茶淹れて」


「私が淹れんの!?」


「プロが淹れた方が美味いだろ」


「いや、私紅茶のプロじゃないです」


「ごちゃごちゃ言わずにさっさとお茶出せ」


「……うっす。番長」


 渋々、四人分の紅茶を淹れる海菜さん。月島先生は相変わらず海菜さんの扱いが雑だが、愛故なのだろう。

 三対一で、月島先生と向かい合ってソファに座る。


「ユリエル仕事は?」


「有給」


「良いなぁ。私も気軽に有給使いてー……」


「有給も何も、満ちゃんほんとに仕事してるの?」


「あぁ?失礼だな。やってるよ。こう見えて評判良いんだぞ」


「客に紅茶出させる人が評判良いとは思えん」


「お前にしかやらんよこんな酷い仕打ち」


「酷いとわかっててやるって性格悪過ぎでしょ。私何かした?」


「うるせぇな。なんだかんだ言いながら紅茶淹れてくれてありがとよ」


「どういたしましてー」


 時刻は十時前。卒業式はそろそろ終わる頃だろう。だけど私はそっちには出席しない。出来ない。式の最中に過呼吸を起こしてしまったらと思うと、怖くて出来なかった。

 海菜さん達の思い出話を聞きながら、卒業生達が家に帰るのを待つ。


「さて、そろそろ行くか」


 十二時前。相談室を出て、月島先生に連れられてお母さん達と一緒に教室へ向かう。

 ドアを開けると、そこには佐藤先生と姉川先生の他に、希空達と、部活仲間の同級生達が居た。


「良かった。来れたんだね。愛華ちゃん」


「制服姿久しぶりに見たな」


「ボクの彼女をいやらしい目でじろじろ見ないでくれる?」


「んな目で見てねぇよ。お前だろそれは」


だって。愛華」


 翼がニヤニヤしながら希空の言葉を繰り返す。恥ずかしいから聞き流していたのに。改めて言わないでほしい。


「はいはい。君達静かに。こほん」


 佐藤先生が咳払いをして、私の名前を呼ぶ。


「三年三組、小桜——」


大事なところで噛むなんて。佐藤先生らしくて思わず笑ってしまう。


「んん゛っ。ごめん、今の無し。やり直させてください」


 恥ずかしそうに私の卒業証書で顔を隠す佐藤先生。「優子ちゃん可愛いー」と、姉川先生がニヤニヤしながら揶揄う。


「やめてください!」


「職場でいちゃつくなよ。公私混同だぞ」


 冷めた目で二人を見る月島先生。


「いちゃついてません!もう!」


「知ってた?愛華、あの二人付き合ってんだよ」


 翼がこっそり教えてくれた。


「あはは。知ってる。月島先生が教えてくれた」


「えっ、マジで?俺知らなかったんだけど」


「真木くん鈍っ!」


「嘘だろお前。俺でも気づいたぞ」


「普通気付くよねー」


「あれだけ学校でいちゃついてたらそりゃなぁ」


 同級生達に混ざってうんうんと頷く月島先生。


「はい、はい!そこまで!仕切り直しますよ!」


 静かになったところで、改めて、佐藤先生が私の名前を呼ぶ。


「三年三組、小桜愛華」


「はい」


 返事をして、教卓の前まで歩き、卒業証書を受け取る。


「卒業、おめでとう」


「ありがとうございます」


この学校には、三年間の半分も通えなかった。みんなともっと、一緒に思い出を作りたかった。だけど、悔やんだって、過ぎた時間はもう戻らない。だから私は、涙を拭って、顔を上げて、前を向く。前しか見ない。後ろはもう、振り返らない。

 私はその日、一年と少ししか通わなかった校舎とお別れして、未来へと一歩踏み出した。

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