52話:もう待たなくていいよ

「ペンギンって外歩いても平気なんだね。寒いところでしか生きられないと思ってた」


 飼育員と一緒にお散歩するペンギンを見て、希空が呟く。

 今目の前を歩いているのはケープペンギン。温帯に住むペンギンの一種だ。

 ちなみに、40度を超える熱帯に生息するペンギンも居る。温帯に住むペンギンはケープペンギン以外にもマゼランペンギンやフンボルトペンギンなど、何種類かいるが、熱帯に住むペンギンはガラパゴスペンギンただ一種のみ。

 と、昔、今の希空と同じ疑問を抱いた時に、海菜さんが教えてくれた。

 口で説明するのは簡単だが、文にすると時間がかかる。

 書いているうちに、飼育員のお姉さんが私の代わりに説明してくれた。文を書くのをやめる。


「……もしかして、同じこと説明しようとしてくれてた?」


 頷き、書きかけの文を見せる。


「マナ、ペンギンに詳しいの?」


 首を振って「昔、海菜さんが教えてくれた」と書く。


「あー。海菜さん博識だもんねぇ」


 頷く。

 ちらほらと、視線を感じる。『あのお姉さん一人で喋ってる。変なの』と子供の声が聞こえた。『こら。そういうこと言わないの』と男性の声が続く。私のせいで希空が変な人だと思われてしまった。そう思うと、心臓が飛び跳ねた。

 すると希空は「大丈夫だよ」と笑って、私を連れて自分を指差した少年の元へ行き「この子とお話ししてるんだよ」と説明した。


「でもお姉さんしか喋ってなかったよ」


「筆談してたんだ」


「ヒツダン?」


「声を使わずに、文字を書いて話すこと」


「なんで喋らないの?」


「喋りたくても喋れないんだ。声が出せないの。だから、文字で会話してたんだよ。世の中には色んな事情を持つ人が居るから、人のこと変だとか軽々しく言っちゃ駄目だよ。分かった?」


「……ごめんなさい」


「お。素直だね。えらいぞ」


 少年は一緒にいた男性と一緒にすみませんと頭を下げてから、男性に連れられて去って行った。


「誤解なんて、解けば良いだけだよ。さ、デートを続けよう」


 彼女はそう明るく笑って、私の手を引いて歩き始める。


「次どこ行きたい?」


「……」


「……あ、ごめん……知らない子に勝手に君の声のこと話しちゃって……嫌だったかな」


 首を振って足を止めて「ありがとう」とノートに書く。


「どういたしまして」


 優しく微笑まれると、心臓が高鳴る。

 心臓が恋を主張する。


「す……き……」


 呟いた言葉が、微かな声となって漏れた気がした。希空の瞳孔が開く。その驚いた表情が、今のは私の幻聴ではないことを証明してくれた。


「マナ……今、好きって……」


「の……あ……」


「!……うん!何?」


「わた……し……声……出て……る……?」


「っ……出てる!出てるよ!」


 声が出なくなって一年半。ここにきてようやく、初めて、意識して声を出せた。不意に出る声ではない声を、ようやく出せた。


「っ……希空……わた……し……」


 声が戻ったら、話したいことはたくさんあった。たくさんありすぎる。だけど一番最初に言いたいことは決まっている。


「わた……し……私ね……」


「うん……なに?マナ」


「私……君……が……好き……!」


 言えた。やっと言えた。言えたけど、思っていた以上に大きな声だったのか、周りが私達の方を振り返る。


「あ……う……えっと……ごめん……思った以上に……おっきい声出た……」


「っ……!マナ……!」


「わっ……!」


 希空は人目も憚らず、私を抱き締めた。そして泣きながら、何度も私の名前を呼ぶ。


「……希空」


「うん……そうだよ……希空だよ……」


「希空……」


「っ……愛華……」


「希空」


「うん……うん……」


「待たせて……ごめん……ね……」


「いいよそんなの……いいんだよ……もう謝らないで……」


 抱き合って泣きながら、何度も、何度も、大好きな彼女の名前を声に出して繰り返す。声を出せなかった一年半の分を取り戻すように、何度も。周りの視線を気にする余裕なんてなかった。

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