45話:どうか夢であって

「愛華。着いたわよ。……愛華?」


 ソファに下ろす。起きてはいるが、ボーっとしている。


「……ご飯とお風呂、どうする?」


「……」


 口をぱくぱくさせるだけで、何も言わない。喉から出るのはひゅーという乾いた空気の音だけ。


「食欲ある?」


 質問を変えると、彼女はふるふると首を横に振った。


「そうよね。お風呂も、明日にしましょうか」


 ふるふると首を横に振る。


「お風呂は入りたい?」


 こくこくと頷く。


「一人で入れそう?」


 首を横に振る。


「分かった。じゃあ、一緒に入りましょう。沸かしてくるわね」


 側を離れようとすると、袖を引かれた。そして彼女は私を見上げて不安そうな顔をして首を横に振る。


「……分かった。じゃあ、ついておいで」


 手を繋いで、お風呂の栓を閉めてスイッチを入れて戻る。


「日記書くから、左においで」


 左手は愛華と繋いで、右手だけで日記を綴る。メンタルクリニックを探そうと思ったが、気付けばもう九時だ。今日はとりあえず休んだ方がいいだろう。というか、私も休みたい。

 私の父は精神科医だが、父の働く総合病院では未成年は扱っていないと聞いている。そういうメンタルクリニックも少なくはないらしい。

 交換日記を開き、今日あった出来事を書き綴る。普段はあまり書かないのだけど、今日は書くことが多すぎる。


「……ふぅ。愛華は?日記、書く?」


「……」


 ふるふると首を振る。


「そう。分かった」


「……」


 口をぱくぱくさせて何かを訴える愛華。

 読み取ろうとするが、やはり無理だ。スマホに打ち込ませる。

 見せてくれた画面には『失声症って、どれくらいで治るの?』と書かれていた。


「私は専門家じゃないから分からない。もしかしたら時間かかるかもしれない。けど、治らない病気ではないのは確かよ」


『お薬で治すの?』


「わからないわ。今度、病院行きましょうね。お医者様に聞いてみましょう」


 こくりと彼女は頷く。独り言を言っているみたいで寂しい。


『学校、どうしたらいいかな』


「学校は普通に行って大丈夫だと思う。先生達には事情を話して、会話は筆談ですれば良い」


『綺麗な字で書く練習しなきゃいけないね』


「愛華の字はいつも丁寧よ。大丈夫。読めないことはないわ」


『うん』


「……」


 涙が溢れる。泣きたいのはきっと、愛華の方だ。私が泣いてはいけない。愛華に余計な気を使わせてしまう。だけど、堪えられない。

 すると、彼女はぽんぽんと私の頭を優しく撫でた。余計に堪えられなくなり、彼女を抱きしめる。


「ごめんなさい。愛華……私が泣いちゃいけないのに……ごめんね……」


 謝っても、返事は返ってこない。だけど、私の頭を撫でる優しい手つきから『大丈夫だよ』と彼女の声が伝わってきた。

 鼻を啜る音が聞こえる。彼女も泣いているのだろう。

 しばらく二人で抱き合って泣いた。お風呂が沸きましたというアナウンスに気づかないくらい。

 落ち着いたところで一緒にお風呂に入り、その日は食事も取らずに眠った。色々あって疲れていた。空腹も忘れてしまうほどに。早く眠りたかった。全て夢だったと思いたくて仕方なかった。

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