19話:おとぎ話じゃない

 5月26日土曜日。今日は翼の誕生日だ。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 先週希空に貰ったシュシュで髪をまとめて、彼女と選んだプレゼントを持って家を出る。玄関を開けると、インターフォンを押そうとしていた希空が私に向かって手を振った。


「やあ、マナ。こんにちは」


「こんにちは。わざわざ迎えに来なくてもいいのに」


「ふふ。君に会いたくてきちゃった」


「希空って、ほんと私のこと好きだよねぇ」


「好きだよ。翼と同じくらい」


「えー?私が上じゃないの?」


「そういう君は、ボクと翼どっちの方が好き?」


「そう言われると……困るね」


「ほら、答えられないじゃないか」


「翼も悩んでくれるかなぁ」


「翼はマナだって即答するよ。きっと。素直じゃないからね。彼女は」


 などと他愛もない話をしながら翼の家へ向かう。翼の家は希空の家の隣だ。


「つーばーさーちゃんっ。大好きな幼馴染がきたよー」


 インターホンのカメラに手を振る希空。「うざ……」と翼の声が聞こえた。カメラの向こうの表情は見なくてもわかる。

 扉が開くと、私の想像通り苦笑いしながら出てきた。


「やあ、ハニー。誕生日おめでとう」


「誰がハニーだ。てか、テンション高いな。なんか良いことあった?」


「推しの限定が一発で出た」


「そんなことだろうと思ったよ……ほんとオタクだねあんた……」


「翼に言われたくないよ。それより、こんなところで立ち話もなんだから中に入れてくれないか」


「はいはい。どうぞ」


「お邪魔いたすー」


「お邪魔します」


 家に入り、翼の部屋へ。

 ぬいぐるみに囲まれたファンシーな部屋。ベッドには私とさほど変わらないくらいの巨大なクマのぬいぐるみ。その側の壁にはアニメのポスター。執事服を着た男性が真っ赤なドレスを着た女性の前にひざまづいて手の甲にキスをしている。女性の手の甲からは赤い液体が滴っている。珍しい。翼はアニメを見るタイプではないのに。しかもこんなちょっとホラーっぽいアニメ。

 "Bloody Butlers"とタイトルが書いてあるが、なんと読むのだろう。


「ブローディ……バトレス?」


「ブラッディバトラーズ。略してブラバト。吸血鬼×執事がテーマのアニメだよ」


「流石アニメオタク。知ってるんだ」


「アニメは毎期全部録画してるからね。翼はどうせ、望さんが声優やってるからそれに釣られたんでしょ?」


「そうですけど何か」


「望さん出てるんだ」


「そう。この執事役。サンプルボイス聞く?てか聞いて。めちゃくちゃイケボだから」


 そう言って翼はスマホを操作し始めた。『なんなりとお申し付けください。お嬢様』と、いかにも執事っぽい台詞が流れる。確かに望さんの声だ。

 よく見ると、ポスターの左下に彼のサインがある。


「この人が吸血鬼なの?」


「そう。ヒロインの血を飲むことで一時的に強くなるの。録画してあるけど見る?」


「いやぁ……ちょっとグロそうだから遠慮しておく……」


「にしても望さん、本業は舞台俳優なのに声優上手いね。流石声優の弟」


 元々は姉に憧れて声優になりたかったと、姉の流美さんがパーソナリティを務めているラジオでも語っていた。


「と……ここに来た目的を忘れるところだった」


「あ、そうじゃん。今日翼の誕生日を祝うために来てたのに」


「おいおい。忘れるなよ」


 カバンから用意したプレゼントを出して翼に渡す。


「シュシュだ。可愛い」


「翼に似合うと思って」


 さっそく水色のシュシュを髪につける翼。思った通り。似合っている。


「ボクからはイヤリングでーす。好きなの一個選ばせてあげる。残りの二つはボクとマナで分けるから」


「月と太陽と星かぁ……じゃあやっぱり星かな」


「意外。月か太陽取ると思ったのに」


「推しの苗字がだからね」


「あー……なるほど。希空はどっち取る?」


「……じゃあ、月を取ろうかな」


「じゃあ私が太陽だね」


 それぞれ一つずつ手に取り、耳につける。二人ともいとも簡単につけたが、私は上手くできない。


「不器用だなぁ。やろうか?」


「お願い」


 希空にイヤリングを渡し、つけてもらうことに。


「右がいい?左がいい?」


「どっちでも」


「ん。分かった」


 希空の手が右耳に触れる。ちょっとくすぐったくて笑ってしまう。


「んっ……ふふ」


「……なんか今の声ちょっとエッチだった」


「えぇ?なんかやだぁ……」


「イチャイチャしてないではよしろ」


「ごめんごめん。ほい、でーきた」


 希空から渡された手鏡を見る。右耳に太陽を模したシルバーのイヤリングがきらりと光る。翼と希空の左耳にもそれぞれイヤリングが光っている。


「うん。可愛い」


「希空も似合ってる。翼も」


「ありがとう。二人とも」


「ふふ」


「どういたしまして。1月、期待してるよー」


「1月?なんかあったっけ?」


 とぼける翼。1月19日が希空の誕生日だ。


「ちょっとお!ボクの誕生日があるんですけど!」


「ごめんごめん。ちゃんと覚えてるよ。19日だろ?」


「ちゃんとお祝いするからね」


「今度は翼が私とプレゼントを買いに行く番だね」


「希空の誕プレとかその辺の石ころで充分」


「んなっ!ひどーい!」


「冗談だよ。ちゃんと買いに行くって」


「まぁでも、珍しい石なら嬉しいけどね」


「昔集めてたもんな。珍しい形の石」


 初めて聞く話だ。二人が私の知らない昔話で盛り上がると、少し寂しくなる。私も二人ともっと早く出会いたかった。

 いや、早く出会いすぎていたら私は二人とは友達になれていなかっただろう。


「……マナ?どうした?」


「……幼馴染っていいなって思って」


「そればかりは後からじゃどうにもならんよ」


「分かってるけど……私の知らない二人がいるのがちょっと寂しい」


「めんどくさいなぁマナは」


 と笑いながら、翼は私の頭をよしよしと撫でる。希空も微笑みながら私の頭を撫でた。


「教えてあげるよ。マナの知らないボクらのこと」


「……うん。知りたい」


「ふふ。何から話そうか?翼」


「そうねぇ……やっぱりまずは——」


 その日は私の知らない二人の話をたくさん聞いた。周りから愛されて育った二人の話は、親から愛されずに育った私にとっては素敵なおとぎ話のような話だった。

 けれど私は今、その幸せなおとぎ話の住民達と同じ世界で生きている。


 あの人の顔色を伺って怯えながら過ごした毎日はもうとっくに過去のこと。親に愛されなかった可哀想な女の子はもういない。

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