30話:噂

 残暑も終わり、季節はすっかり秋になった。夏の主役だったひまわりやマリーゴールド達が花壇から消えて、代わりに秋の花が咲き誇っている。


「秋の花壇ってちょっと地味だよね」


「そうかな。ほら、コスモスとか可愛くない?あ、コスモスといえば知ってる?秋の桜って書いてコスモスって読むんだよ」


「全然似てないのに?」


「昭和の時代に流行った有名な歌のタイトルが由来なんだって」


「愛華ちゃんって、雑学王だね」


「お母さんが雑学好きだから」


 苺ちゃんと話しながら土を弄っていると、ふと視線を感じた。以前私に告白してくれた真木くんだ。目が合うと逸らされた。あれ以来、彼とは未だに気まずい。


「愛華ちゃんは何の花が一番好き?」


「んー……お花は何でも好きだけど……あ、苺の花とか可愛いよね」


「やだぁ。なんか照れる」


「ふふ。苺ちゃんも可愛い」


「ありがとう」


 出会った頃なら確実に「そんなことない」と返ってきていたのに。部長の一言で彼女は変わった。部長の言う通り、素直にお礼を言われた方が気持ち良い。


「あとは……マリーゴールドとか」


「あー。可愛いよね。マリーちゃん。もうそろそろ終わっちゃうけど」


「お疲れ様。マリーちゃん。菊とか牡丹とか、丸い花って可愛いよね」


「カレンデュラとか良いよね」


「カレンデュラ?あぁ、キンセンカのことか」


「あぁ、うん。そうだね。そっちの方が一般的か」


 カレンデュラといえば、海菜さんの従姉が所属しているクロッカスというバンドの曲にカレンデュラというオリジナル曲がある。"失望"や"別れの悲しみ"などの花言葉に由来した失恋ソングだ。


「……苺ちゃんってさ……クロッカスのファンだったりする?」


 問いかけると、彼女はパッと目を輝かせて興奮気味に「愛華ちゃんも!?」と私の手を取って叫んだ。


「う、うん。まぁ」


「何が好き?誰が好き?」


「えっと……『I hate you』とか」


「あー!私も好き!」


 直訳すると『私はあなたが憎い』という意味で、『嫌い』という言葉を繰り返すサビが印象的な曲だが、実は全体の歌詞を見ると切ないラブソングになっている。


「嫌い嫌い嫌い嫌い大嫌いよ。太陽みたいに眩しい貴女が大嫌い」


「お願い優しくしないで。もっと私を苦しめて」


「その手を離して私を絶望の底に突き落として」


 暗いフレーズを歌い合う私達に、部員達は「何その曲」と苦笑い。クロッカスの曲は暗いものが多いが、この曲は特に暗い。


「嫌い嫌い嫌い嫌い大嫌いよ。陽だまりみたいに暖かい貴女が大嫌い。お願い優しくしないで。私以外に優しくしないで」


 誰かが歌詞を続ける。部員達と一緒に歌声が聞こえた方を振り返ると「よっ」と月島先生が手を挙げた。


「暗い曲歌ってんなぁ。もっと明るい曲聴かせてやれよ。花がひいてんぞ」


「カウンセラーの先生。クロッカス好きなんですか?」


「まぁ、そこそこ」


「そこそこって。『I hate you』知ってるって相当ですよ」


「妻がよく歌ってるから」


 その妻というのは実は、クロッカスのヴァイオリン担当のみのりさんだ。星野姉弟といい、クロッカスといい、鈴音先生といい、海菜さんの周りには芸能人が多いが、自慢しようと思ったことはない。むしろ黙っておきたい。会わせて欲しいと頼まれたら困るから。私にはそこまでの権限はない。


「ところで先生、なんでここに?」


「散歩。相談室にこもってると息詰まるから。今日誰も来そうにないし」


「……カウンセラーって暇なんですか?」


「私が暇ってことはそれだけ平和ってことだよ。まぁ、とっつきにくくて相談し辛いって可能性もあるけど」


「そっちの説の方が有力そうです」


「失礼だなぁ。満先生は世界一可愛くて優しいのに」


 笑ってそう言いながら先生は両手で私のこめかみをぐりぐりとこねくり回す。


「い、痛いですー!」


「ははは。悪い悪い」


「もー。お母さんに言いつけますよ。サボってるって」


「サボってねぇよ。見回りも立派な仕事」


「けど、相談室に居なくて良いんですか?」


「身代わりに人形置いてるから大丈夫」


「人形って……」


 海菜さんや百合香さんは先生のことを『ああ見えて真面目な人』と言っていたが、この姿を見ているととてもそうは思えない。


「あ、先生!こんなところに!もー!相談室に生徒来てますよ!」


「えー。浅井先生代わりに対応してくれません?」


「何言ってるんですか!早く行ってください!」


「冗談っすよ。行ってきまーす」


 めんどくさそうに欠伸をしながら去っていく姿はやはり真面目な人には見えない。


「……カウンセラーの先生、やる気なさすぎじゃね?大丈夫か?」


「けど割と評判いいらしいよ」


「良い意味で適当なのかも。なんか、堅苦しくなくて話しやすそう」


「愛華ちゃんって、先生とどういう関係なの?」


 苺ちゃんが首を傾げる。


「あぁ、えっとね。お母さんの幼馴染なんだ」


「母さんってどっちの?」


 真木くんが首を傾げる。


「海菜さん。背が高い方」


「もしかして授業参観来てた人?」


「そう」


「あぁ……デカかったな……」


「ヒール履いてなくてあれだもんね……」


 同じクラスの子達が苦笑いする。海菜さんの身長は185㎝。私より45㎝も高い。教室に入る時も屈んで入っていた。


「部長に身長分けてやってほしい……」


「10㎝もらっても全然届かないわね」


「部長って、何センチくらいなんですか?」


「150」


「ちっさ」


「うるさいわよ


 部長を揶揄う、デカ杉と呼ばれた彼は175㎝。海菜さんよりは小さいが、先輩達と並ぶと頭ひとつ抜けて大きい。園芸部の先輩達は小さい人が多いというのもあるが。ちなみに、あだ名はデカ杉だが、本名は小さい杉と書いて。三年生で、副部長だ。部長とは家族ぐるみで仲が良いらしい。


「小桜」


「あ、桜庭くん。今から外周?」


「そっ。じゃ、行ってくるわ」


「行ってらっしゃい」


 校門の方に走っていく桜庭くんに手を振る。彼は私の一番古い友人だが、幼馴染と呼べるのだろうか。後で幼馴染について詳しく辞書で調べてみよう。


「小桜ちゃん、男子が苦手って言っていた割には意外と男友達居るわよね」


「大人の男性がダメなんです。同年代なら、それほどでもなくて。女の子の方が話しやすいですけど、先輩達みたいに慣れてしまえば全然。といっても、昔ほどではないので、今はもう、大人相手でもなんとか会話することは出来ます」


 施設に引き取られた頃は大人の男性を目の前にすると言葉が出ないくらいだった。少しずつ慣れて、今では何とか会話することは出来るが目は見れない。怒鳴られると発作が出そうになる。


『お前!何やってんだ!』


 不意に、グラウンドの方から怒鳴り声が聞こえてきた。サッカー部の部員が顧問に叱られているようだ。誰かが誰かに叱られている場面を見ると、どうしても耳を塞いで目を背けたくなる。異変に気付いた二年生の小柴こしば千晶ちあき先輩が手を握ってくれた。


「大丈夫か?」


「すみません……人が叱られている場面がちょっと……苦手で……」


「大丈夫だ。君が叱られているわけではない」


「はい……それは分かってます……」


 小学校が同じだった同級生は全員事情を知っている。噂ですぐに広まった。


『……もしかして、あの噂って……』


『どの噂?』


 どこからか、そんな声が聞こえた。もしかしたら先輩達や小学校が別だった同級生の耳にも、もう多少は入っているのかもしれない。そのことで気を使われるのはあまり得意ではない。今すぐにこの場から逃げたい。


「ぶ、部長……保健室……行ってきて良いですか……」


「えぇ。柴ちゃん、付き添ってあげて」


「はい。歩けるか?小桜さん」


「はい……」


 小柴先輩に連れられ、保健室へ向かう。


「……相談室の方がいいか?」


「……いえ。相談室は……さっき、人来てるって言ってましたし……」


「そういえばそうだったな……」


「……先輩は私のこと、噂で何か聞いたことありますか?」


「……」


 気まずそうに目を逸らす小柴先輩。


「……やっぱり。広まってるんですね」


「……恐らく、部内に広まるのも時間の問題だろう」


「……ですよね」


「……ついたぞ。私はどうしたらいい?もう少しいた方がいいか?」


「……いえ……大丈夫です。先輩は戻ってください」


「分かった。またしばらくしたら様子を見にくるよ」


「ここに居なかったら相談室にいるかもしれません」


「あぁ、分かった」


 先輩と別れて、保健室のドアを開ける。小学校の保健室には通い慣れていたけれど、中学の保健室を利用するのはまだ数えるほどしかない。だけど、先生は恐らく私の家庭事情を知っているだろう。


「小桜さん。どうしたの?」


「体調……悪くて。息苦しいです。病気とかじゃなくて……多分……精神的なやつ……」


「何かあったのね」


「サッカー部の子が……先生から怒鳴られてるの見て……ちょっと……色々思い出して……」


「……相談室行く?」


「空いて……ますか?」


「分からないわ。確認してみる」


「ひ、一人にしないでください……」


「大丈夫よ。電話してみるわね。月島先生、今良い?あぁ、そう。良かった。ちょっと保健室に来てほしいの。えっと……一年一組の小桜さん。えぇ。小桜愛華さん」


 数分もしないうちに、月島先生はやって来た。


「よっ。愛華。さっきぶり。先生、あと引き継ぎますね」


「お願いします。小桜さん、またね」


「はい……ありがとうございました」


 月島先生に連れられ、二階に上がる。相談室は保健室の近くの階段を上がってすぐのところにある。入ったことはまだない。中に入ると、病院の診察室のようにパーテーションで仕切られていた。その奥に入ると、二人がけのソファがローテーブルを挟んで向かい合って2台。すでに大きなクマのぬいぐるみが一体座っていた。他にも大きなテーブルが一台。冷蔵庫や給湯器まである。学校の教室じゃないみたいだ。


「なんか飲む?紅茶か、ココアか、コーヒーか」


「じゃあココアを……」


「ん。座ってて」


 クマのぬいぐるみの隣に座り、改めて教室を見回す。動物や人間、建物などのフィギュアが飾られている飾り棚が目には止まった。よくみると墓らしきものも。何故そんな縁起の悪いものを置いているのだろう。


「やっぱみんな墓気になるよな」


 くすくす笑いながら、先生は私の前にココアを置いて、コーヒーを持って対面に座った。


「何故あんな縁起の悪いものを?」


「箱庭療法っていう、心理テストの道具なんだよ」


「箱庭療法?」


「実際に見てもらった方が早いな」


 そういうと月島先生は棚の上から大中小三つの箱を持って大きなテーブルに並べた。手招きされて行くと、箱の中にはそれぞれ砂が敷き詰められている。


「一つ一つ砂の手触りが違うんだ」


 触って見ると確かに違う。サラサラで白い砂。ざらざらで黒っぽい砂。ちょっと湿っぽくて重い砂。砂の下はどの箱も水色だ。


「好きな砂を選んで、あそこからフィギュアを取り出して好きに箱庭を作っていくんだよ。こんな感じに」


 先生が手本を見せるように、箱庭をいじり始めた。砂を寄せて島を作り、木を置いて、人を置いて、何もなかった箱に世界が作られていく。


「これで何が分かるんですか?」


「箱庭を通して心の中を覗けるんだ。やってみるか?」


「心の中を……覗く……」


「まぁ、全てがわかるわけじゃないよ。なんとなーく見えてくるだけ。自分が知らなかった自分も見えてくるから意外と楽しいよ」


「……ちょっと、やってみてもいいですか?」


「どうぞ。フィギュアはそこの棚から好きにとって使って」


 サラサラの砂が入った箱を選び、フィギュアが置かれた棚へ。改めて見ると、本当に色々ある。なんかよくわからない生き物とか、怯えるように耳を塞いでうずくまる人とか、貝殻とか、花とかもある。


「これ使ったらなんかやばいやつだと思われるかなとか、余計なこと考えず好きに作っていいからな」


「……はい」


 とりあえず、この辺に木を置いてみよう。動物も欲しい。

 そうやっているうちに、気付けば夢中になっていた。

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