15話:旭お姉さん
翌日。今日から三連休だ。ゴールデンウィークの前半。開けて2日挟んだら、ゴールデンウィーク後半の四連休。大人はこの真ん中を有給で休みにしてさらに長い連休に出来るらしい。百合香さんは毎年そうやって連休にしている。3+2+4だから、九連休だ。大人ってずるい。
しかし逆に、海菜さんの方はゴールデンウィークは水曜日以外仕事だ。みんなが休んでる時に働かなきゃいけないなんて、サービス業は大変だ。もちろん海菜さんにも有給があるから休もうと思えば休めるのだけど、有給には当然限りがある。特にゴールデンウィークなどの大型連休は忙しくなるから休みが取りづらいのだとか。
「じゃあ、またね。凛々、王花」
「「ばいばいマナちゃん」」
「またね」
「またおいでよー」
午前十時過ぎ。従姉妹の家を出て、母達に寄り道してくことを連絡してから、自宅とは逆方向の図書館に向かう。せっかくのゴールデンウィークだから、何か借りたい。学校の図書室でも良かったのだけど、市営の図書館の方が圧倒的に本の量が多い。あと、ここならどんな本を読んでいても馬鹿にする人は居ない。私は絵本が好きなのだけど、学校の図書室で読んでいるとよく馬鹿にされたのだ。『その年で絵本なんて読んでるのかよ』と。以来、学校で本を読むことが苦手になってしまった。だけどある日、図書館で堂々と絵本を読む大人を見つけた。
「お。こんにちは。愛華ちゃん」
ちょうど本を閉じて、私を見つけて柔らかく笑った彼女がその人だ。名前は
「こんにちは。今日は絵本じゃないんだね」
旭さんが手にしていたのは絵本ではない分厚い本だ。タイトルは<兄が姉になった日>
「……兄が姉になった日?」
不思議なタイトルだ。
「トランスジェンダーって分かるかな」
「心の性別と身体の性別がちぐはぐな人のことだよね」
「そう。この本は、幼い頃からずっと一緒に育ってきたお兄さんが、トランスジェンダーだったって話なんだ。カミングアウトされた側の葛藤を描いてる作品だよ」
「へぇ……」
「……わたしの知り合いが今、この本の主人公と同じ状況なんだ。だから、何か力になってあげたらって思って勉強してるの」
「そうなんだ。兄弟がトランスジェンダーだったの?」
「うん。そう。……愛華ちゃんは、身近な人がトランスジェンダーだったらどう思う?」
「どう……うーん……」
身近な人。そう言われて浮かんだのは翼と希空だった。男の人は苦手だ。だけど、慣れてしまえば平気だ。翼と希空なら、性別が変わってもきっと仲良く出来ると思う。姿形が変わってもきっと、翼は翼だし、希空は希空だから。だけど、身体の性別を直す前に教えてほしいとは思う。急に変わってもびっくりしちゃうから。それ以外は特に何も思わないが、実際にそうなったらどう思うかは分からない。
「今の私は、そう思うよ」
「……そっか」
しばらく沈黙して、彼女は俯いて独り言のようにこう呟いた。
「……知り合いの話って言ったけど、本当は、妹の話なんだ」
「旭さんの妹さんがトランスジェンダーなの?」
首を振り、ふー……と息を吐いて、彼女は顔を上げて私を見た。怯えるような、不安そうな目。
「わたしが、トランスジェンダーなんだ」
私だけに聞こえるくらいの小声でつぶやくように告げて、目を逸らして、俯いてしまう。
旭さんがトランスジェンダー。それを聞いて私は驚きはしたが、それだけだった。驚いただけ。きっと翼や希空に同じカミングアウトをされても同じなのだろう。
恐る恐る顔を上げた旭さんが私を見て目を丸くする。
「……驚かないの?」
「びっくりしてるよ。けど、私は、旭さんがどんな人かはもう知ってるから。男の人でも女の人ても旭さんは旭さんでしょう?私は女性の旭さんしか知らないけどね」
私がそう言うと、彼女はふっと笑った。ホッとしたような笑みだった。
「……ありがとう。君ならそういうと思ってたよ」
「えー。うそだー。不安そうな顔してたくせにー」
「……うん。ごめん。ちょっと、疑った。ちょっとだけね」
「正直でよろしい」
「あははっ。なにそれ」
「……聞いてもいい?」
「うん」
「旭さんは、どうして、私にそのことをカミングアウトしたの?」
「……肯定されたかったからかな」
「認めてほしかったってこと?」
「そう。性別が変わってもあなたはあなただよって、誰かに言ってほしかった」
「誰にも言われたことなかったの?」
「……妹には、言われた。『兄でも姉でも、あなたがぼくの大切な人であることに変わりはないよ』って。けど、わたしはその言葉を信じることが出来なかったんだ」
「今なら信じられそう?」
「……うん。……ありがとう、愛華ちゃん」
「ふふ。どういたしまして。妹さんと仲直り出来るといいね」
「うん。……まぁ、実家に居るから、ちょっと会いづらいけどね……」
「旭さんは一人暮らし?」
「いや、友達の家に居る」
「居候ってやつ?」
「そう……だね。うん。家族とは家を出て以来会ってなく……て……」
ふと、旭さんが一点を見つめて固まってしまった。彼女の視線を追いかけた先には、旭さんによく似た、ショートカットのボーイッシュな女性。彼女もまた、旭さんを見て固まってしまったが、意を決したような顔をして近づいて来た。
「……ひ、久しぶり。
旭さんの方からぎこちなく挨拶をすると、女性もぎこちなく笑って「久しぶり」と返した。
「その子は?」
「この子は……えっと……ここで知り合った……友達?」
「友達です。ちょっと歳は離れてるけど。小桜愛華です」
「小桜?」
「はい。小桜愛華です」
「君、いくつ?」
「13歳です。中学一年生」
「……もしかして、お母さんが二人いたりする?」
それを聞くということはもしや、百合香さんが海菜さんの知り合いだろうか。頷くと、彼女の表情が和らいだ。
「ぼくは三宅薫。小桜百合香さんの会社の後輩で、そこのお姉さんの妹」
お姉さんと妹さんに手で指された旭さんは目を丸くした。
「なに驚いてんの。姉さん」
「いや……だってわたしは……」
「女性なんだから。お姉さんであってるだろ?」
薫さんの言葉と旭さんの泣き笑いで、勘違いしていたことに気づく。トランスジェンダーと聞いて、旭さんの心の中は男性なのだと思っていた。逆だ。私と出会う前は男性だったんだ。その頃に出会っていたらここまで仲良くなれなかったかもしれない。
「父さんと母さんね、姉さんが出て行ってからずっと反省してる。酷いこと言ったって。……LINK、届いてない?」
「……ブロックしちゃったから」
「だと思った。まぁしょうがないよね。父さんと母さんが悪いんだもん。けどさぁ、ぼくのことまでブロックするのは酷くない?」
「……ごめん」
「いいよ。……会いに行こうと思えばいつでも行けたのに、行かなかったぼくも悪い。言い訳に聞こえるかもしれないけど、ゴールデンウィークの間に会いに行こうと思ってたんだ」
そう言って薫さんは旭さんの隣に座った。
「……姉さん、この後暇?」
「……うん。空いてる」
「じゃあちょっと付き合ってよ。図書館で長話してたら迷惑になっちゃうし。愛華ちゃん、またね」
「はい」
旭さんは薫さんに連れられ、図書館を出て行った。見送ってから、旭さんが読んでいた本を借りて私も図書館を後にした。
妹の話を聞いて仲直り出来るだろうかと心配だったが、あの様子ならきっと大丈夫だろう。
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