33話:体調不良の原因

 お腹が痛い。気持ち悪い。気分が重い。そして、微熱。朝起きて、布団のシーツにできた赤黒いシミを見て、昨日の症状の原因をなんとなく察した。

 重い体を起こして、ズボンと下着を履き替えてぬるま湯で洗っていると、それを見て察してくれたのか、百合香さんが布団のシーツを洗面所にもって来てくれた。


「あとは私がやるわ。愛華は休んでて大丈夫よ」


「……うん。ありがとう」


 お言葉に甘えて、部屋に戻ろうとして、やめる。今はなんだか一人になるのが寂しくて、シーツを手洗いしている百合香さんに抱きつく。彼女は一旦手を止めて、タオルで手を拭いてから、私の頭をぽんぽんと優しく撫でてくれた。


「体調はどう?」


「……昨日よりはマシ」


「休む?」


「……学校行きたい」


「じゃあ、頑張って行ってみる?」


「……うー……」


「休みましょう。無理しちゃ駄目よ。ね?」


「……じゃあ、百合香さんもお仕事休んで」


「ごめんなさい。それはちょっと難しいわ。けど、今日は定時で帰れるように頑張る。良い子で待っていられるわね?」


「……」


「返事は?」


「……じゃあ、ぎゅーしてくれたら頑張る」


「ふふ。甘えん坊ね。これ、洗ってからね」


「……うん」


 洗い終えて洗濯機に入れると、彼女はしゃがみ込み、おいでと両腕を広げた。抱きしめられると、下腹の痛みが少し和らいだ気がした。


「……元気出た?」


「……ううん。まだ」


「ふふ。仕方ないわね」


 百合香さんの温もりを堪能していると、ふと背後から視線を感じた。振り返ると、海菜さんと目が合う。


「浮気者めぇ……」


「はいはい。あなたもおいで」


 百合香さんが私を抱いたまま手招きをすると、海菜さんは近づいてきてしゃがみ込み、私ごと抱き寄せた。


「……マナ、まだちょっと体温高いね。大丈夫?」


「風邪ではないけど……体調は良くないから、今日はお休みする」


「そうかそうか。ゆっくり休みな」


 体調が悪くて心まで弱っているのだろうか。二人の優しさに涙が溢れてしまう。


「私、朝ご飯作ってくるね。マナ、食欲はある?」


「……あんまり無い」


「じゃあ、とりあえず百合香の分だけ作ろうかな」


「ありがとう。海菜」


「ふふ。はぁい。どういたしまして」


 私達を離して、海菜さんは出て行く。


「さぁ、マナ。歩ける?」


「……もう少しだけ」


「もう少しだけよ」


「……うん」


 目を閉じると、とくんとくんと、百合香さんの心臓の鼓動がよく聞こえる。心地よくて、優しい音。

 微かに、リビングの方から鼻歌が聴こえる。海菜さんの声。女性にしては少し低めで中性的な、よく通る綺麗な声。

 とん、とん、とん……と、百合香さんが私の背中を叩く音。

 睡魔が、おいでおいでと私を優しい夢の世界へ誘う。下腹の痛みなんて忘れて、誘われるがままに夢の世界へ足を踏み入れた。





「ん……」


 気付けば私は自分の部屋に戻って来ていた。あれは夢だったのだろうかと一瞬思ったが、昨夜寝る時に穿いていたズボンと別のズボンを穿いている。私はあのまま百合香さんの腕の中で二度寝をしてしまったらしい。

 時計を見る。九時過ぎ。百合香さんはもう仕事を始めている時間だ。授業も始まっている。希空達は心配しているだろうか。

 起き上がり、スマホを手に取ると、メッセージが来ていることに気づく。希空からだ。学校が終わったらお見舞いに来てくれるらしい。「ありがとう」と返信をすると、既読が付いた。学校にはスマホを持ち込んではいけないはずだが。「校則違反だぞ」と送ると「いつもは持ち込んでないよ。今日だけ。見逃して」と、手を合わせて懇願するスタンプと共に返ってきた。それ以上は返信せずに、既読だけつけてスマホを机の上に置く。

 二日も学校を休んでしまった。明日は学校に行けるだろうか。みんなに会いたい。寂しい。何か送れば希空はきっと授業中でも返してくれるだろうけど、流石にそれはやめておこう。


「愛華、起きてる?」


 ノックする音と共に、海菜さんの声が聞こえた。返事をすると扉が開く。


「お買い物行こうと思ってるんだけど、どう?行けそうなら一緒に行かない?」


「うーん……」


「お留守番する?」


「……今、お腹と相談してる」


「休みたいって言ってる?」


「昨日よりは全然痛くないんだけど……ちょっと気持ち悪い」


「そっか」


 昨日はほとんどベッドから動けなかった。それに比べると今日はマシだが、あまり動きたくない。


「……留守番しようかな。休んでるのに外に出るの、サボってるみたいでちょっと罪悪感あるし」


「真面目だなぁ。私なんてよく学校サボって出歩いてたよ。一人で映画見に行ったり、図書館行ったり、ヤンキーのお兄さん達と遊びに行ったり」


「不良だ……」


「ふふ。先生から信頼されてたし、優等生だったよ」


「海菜さん、人を騙すのが上手いからなぁ……」


「騙しはしないよ。誤魔化しはするけど」


「一緒じゃないか」


「違うよ。私、嘘は吐かないもん」


「うわっ。ずるい。屁理屈だ」


「世渡り上手と言ってくれたまえ」


 確かに海菜さんは世渡り上手だ。人の懐に入るのが上手い。クラスメイトの親や先生達とも知らない間に仲良くなっている。


「ふふ。じゃあマナ、行ってくるね。何か食べたいものある?」


「……お腹に優しいものが良い」


「ん。じゃあお昼はおかゆにしようか」


「ささみ入ってると嬉しい」


「はぁい。ささみね。分かった」


 私の頭をぽんぽんと撫でてから、海菜さんは部屋を出て行く。足音が遠ざかっていき、玄関の方からガチャガチャと鍵をかける音が聞こえてきた。

 静かな部屋に一人、取り残される。一人になるのを待っていたように、睡魔が私を襲う。今寝たらきっと、いつもの夢を見る。そんな気がした。

 机の上に置いたひなたリリカ子犬カナのぬいぐるみをベッドに招き入れ、抱きしめて寂しさを紛らわせながら眠りについた。

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