41話:恐怖の正体
その二日後の金曜日、私は桜庭くんから呼び出された。
「もう分かってると思うけど、俺はお前が好きだ」
真剣な顔で、そう告げられた。その好きが希空が私にくれた好きと同じものであることは、流石に理解できる。騒めく心臓に、大丈夫だよと声をかけて、息を吐いて、彼をまっすぐ見据えて言葉を放つ。
「ごめんなさい」
「……あぁ、そう言われるのは分かってたよ」
悲しげに笑って、彼は言う。胸が痛んだ。
希空に話したことを、彼にも伝える。彼は黙って相槌を打ちながら聞いてくれた。
「……俺のことはどうなんだ?俺が誰かと付き合うかもしれないって考えたら、嫌な気持ちになるか?」
「桜庭くんは……」
彼が誰かと付き合うことを想像する。寂しい気持ちになる。翼に彼氏が出来た時もそうだった。別れた時は、もう二度と恋人なんて作らないでほしいと思った。
そのことを素直に伝えると、彼はふぅんと悪戯っぽく笑って、私と距離を詰めた。そして「手握っても良い?」と、私に問う。
「えっ、えっと……」
「それ以外のことはしないし、不快に思えば離しててくれて構わない」
差し出された彼の手を握る。熱い。そして少し湿っぽい。不快ではないけれど、希空に手を握られた時のように別に特別ドキドキしたりはしない。
「手までちっせぇなぁ……」
「君が大きいんだよ」
「比べてみようよ」
手のひらを重ね合わせて大きさを比べる。彼の手の方が一回り、いや、二回り大きい。拳を作ると、すっぽりと包み込まれてしまった。
「ちっせー!赤ちゃんかよ!」
「うるさいなぁ……もう」
希空の手も私よりは大きいけれど、もう少し小さい。そして柔らかかった。桜庭くんの手は、ゴツゴツして硬い。
「……男の子の手って、硬いんだね」
女の子の手の方が好きだ。
「……桜庭くん、私、多分、男の子より女の子の方が好きなんだと思う」
「そんな気はした。けど女の子の方がなのか?小森がじゃなくて?」
「……それはまだちょっと分かんない」
「本当に分かんないのか?」
「……桜庭くんは、私が希空に恋してると思ってる?」
「さぁな。俺はお前じゃないから分からん。……お、坂本!」
桜庭くんがちょいちょいと手招きする。振り返ると、その先にいたのは翼だ。校門前で待っていると言っていたが、気になって様子を見に来たのだろう。何?と首を傾げながら近づいて来た彼女に向かって、彼は投げ付けるように私の背中を押した。
「うわっ!?」
「うわっ、ちょっ」
押されて勢い余って転びそうになる私を、翼が抱き止める。
「マナ、大丈夫?」
「う、うん」
「ちょっと桜庭くん!女の子投げ飛ばすとか何考えてんの!」
「悪い悪い。小桜、どうだ?」
「えっ、あっ……」
桜庭くんの意図を察して、翼に手を握っても良いかと問う。
「なに?どういう状況?」
「私が好きなのは女の子なのか、希空なのか、確かめたくて」
「はぁ……?なに?」
「翼の手を握ってもドキドキするのかと思って。さっき桜庭くんに手を握られた時はドキドキしなかった」
「手握られたって……」
「……下心は無かった」
「ほんとか?お前……」
「……」
答えずに目を逸らす桜庭くん。けど、宣言通り何もしなかったし、別に不快感はなかった。男の子は苦手だけど、桜庭くんは平気らしい。だけど、ドキドキもしなかった。
「まぁ、いいよ。手くらい。はい」
翼の手を握る。熱くはない。むしろ冷たい。そして汗もかいていない。私の心臓は穏やかだ。
じゃあ、彼女が希空だったら?考えただけで、私の心臓は、少しざわついた。
『君の笑顔が可愛いからかな。ずっと見ていたくなるくらいに』
『声も好きだよ。君の優しい声が好き』
『ちょっと大人っぽい雰囲気も好き。ボクより小さいのに、たまに年上のお姉さんと話してる気持ちになるんだ。しっかりしていて頼もしいお姉さんみたい』
『自分は幸せになっちゃいけない人間だって言う君を見て、苦しくなった。ボクは君に幸せでいて欲しい。笑っていて欲しい。君の幸せそうな顔を、ずっと見ていたいんだ』
『ボクは、君を愛したい。幸せにしたい』
希空の深い愛の言葉が蘇って、心臓がうるさく叫ぶ。
「……マナ、なんかすっげぇ顔真っ赤だけど、何?どうした?私が好きなの?」
翼は私の手を握ったまま、悪戯っぽくそう言う。
「希空の言葉を思い出して……」
「ふぅん?何言われたの?恥ずかしいこと言われた?」
「……好きな理由をたくさん挙げられて『だから愛したいんだ』って」
「「うっわ。キザだな」」
翼と桜庭くんのちょっと呆れるような声が重なる。
「翼ー、いつになったら戻って——どういう状況!?」
希空の声が聞こえた瞬間、心臓が加速する。なんだか希空の顔を見るのが怖くて、翼の胸に頭を埋める。
心臓がうるさいのは翼のせいじゃない。希空のせいだ。
「ちょっと桜庭くん。マナに何したの」
「別に何も」
「ドキドキするか確かめてみようとかなんとか言ってマナの手握った」
「はぁ!?ちょっと!何してんの!?最低!」
「わ、私が頼んだんだ。希空に対する気持ちを確かめたくて。希空以外の人に手握られてもドキドキするのか確かめたくて」
「なんだよそれぇ……」
「わっ!」
希空の腕に引かれて、翼から引き剥がされ、希空の腕の中に仕舞われる。ドッドッドッドッ……と、かなり早い心拍数が伝わってくる。これは希空の心音なのか、私の心音なのか。
「……答えは急がないって言ったじゃん。こんなやり方しなくたって、ゆっくり考えれば良かったのに」
不機嫌そうな声で希空は言う。確かめてみるかと提案したのは桜庭くんなのだけど、彼を庇うために私から提案したことにしたばかりだ。今更本当のことは言えない。けど、早く答えを出したかったのも事実だ。
「……ごめんね」
「……いいよ。……で、答えは出たの?」
心臓は、まだ落ち着かない。むしろ加速した。息苦しい。けど、不快ではない。この苦しさが、なぜか心地良い。
悲しいわけではないのに、泣きたくなる。怖がる必要は無いのに、怖い。
彼女の手が、私の頭を撫でた。それだけなのに、心地良い。お母さん達甘えている時みたいだ。だけど、少し違う。お母さん達に撫でられても、ドキドキはしない。
「……愛華」
名前を呼ぶ希空の声が、ひどく優しく、そして、色っぽいというのだろうか、とにかく、なんだか変な感じだ。希空じゃないみたい。
その声がなんだか怖くて、希空の身体を押す。「駄目。離さないよ」と囁かれて、余計にきつく抱きしめられた。
言葉の代わりに、涙が溢れる。だけど、悲しいわけではない。悲しいわけではないけど、怖い。
「……答え、出たんだよね?」
出た。だけど
『お前に愛される価値は無い』
「っ……」
呪いの声が、私の言葉を奪った。
「……希空……はな……して……」
「やだ。離さない」
「やだ……離して……怖い……怖いよ……」
「大丈夫」
『お前に愛される権利はない』
復唱しろと、呪いの声が響く。
「わた……し……に……愛される……権利は——「そんなのあるに決まってんだろ!」
希空が私をきつく抱きしめて叫んだ。
「何が愛される権利がないだ!ふざけんなよ!お母さん二人に愛されて幸せだって、普段から散々言ってるくせに!今更何を怖がってんだよ!」
「っ……」
「もう後ろを見るなよ。愛華。前だけ、前だけ見ていれば良いんだよ。ボクがそばに居る。ボクだけじゃない、みんなが居る。翼とか、桜庭くんとか、君のお母さん達とか、部活の仲間とか、みんな、みんなマナのこと愛してる。分かってるでしょう?散々受け取ってきたじゃない」
「希空のは……みんなのとは違う……から……」
「違うから怖いの?何が怖いの?」
彼女の言う通りだ。私は何を怖がっているのだろう。何をこんなに——
『
その瞬間、母の名前で、愛おしそうに私を呼ぶ父の姿が浮かんだ。
『お父さん……わたし……愛華だよ……美愛じゃないよ……』
『何を言っているんだ。美愛……愛華は死んだじゃないか』
『愛華は……愛華は生きてるよ……』
『あぁ……可哀想に美愛……子供を亡くして混乱しているんだね……大丈夫……大丈夫だよ……俺が側にいるから……』
母の名前で私を呼んで、私を慰めるように優しく抱きしめる父の姿が、脳裏を駆け巡る。こんな父の姿は知らない。記憶に無い。
いや、違う。違う。
心臓の音が加速する。息が出来なくなる。
『愛してるよ。美愛』
父の手が、私の頬を撫でる。
「嫌!離して!気持ち悪い!」
希空を突き飛ばす。希空のショックを受けたような顔が視界に入る。心が痛む。
君に対して気持ち悪いと言ったわけじゃない。そう弁解したい。しなきゃいけない。なのに言葉が出ない。周りの音が聞こえない。自分の荒い呼吸の音と、ここにはいないはずの父の、不気味なくらい優しい声以外何も聞こえない。耳を塞いでうずくまる。
『愛しているよ。
声は消えない。知らない。知らない。知らない。こんなお父さん知らない。
違う。私は知っている。不気味なくらい優しい父を知っている。
封印していたんだ。ずっと。
人から向けられる恋愛感情に対する恐怖の正体は、これだったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます