27話:不安
7月29日。翼のお姉さんの涼さんから私のスマホに電話がかかって来た。翼が家出をしたらしい。
「うちには来てないです」
「そっか……分かった。ありがとう。翼から連絡あったら教えて」
「はい」
時刻は午後八時。こんな時間に一人でどこへ行ったのだろう。電話をかけてみるが、出ない。希空にも電話をしたが、通話中だ。相手は涼さんだろうか。
「……心配ね」
「……うん。翼、昨日の夜、彼氏のことで涼さんと喧嘩したってグルチャで愚痴言ってたから……」
涼さんも、涼さんと翼のお父さんも、百合香さんも、海菜さんも、周りの大人はみんな翼の彼氏のことを警戒している。私と希空も。私達は最近まで小学生だった。そんな女の子と、二十歳すぎた大人の男性の恋。素敵だねとか、羨ましいって言う子もいるけど、私は正直、怖い。希空も同じ気持ちだ。
翼の味方をしてあげたいけれど、私は大人達の意見も聞いた方がいいと思う。昨日はそう伝えたが、それ以来返信はなかった。いまだに既読はつかない。完全に無視されている。色んな人から否定されて辛いのは分かる。だけど、翼のことを思えば『私は君の味方だよ』なんて軽々しく言えない。
子供を洗脳して支配して利用しようと悪い大人は存在する。私は、子供を物としか思っていない大人をたくさん見てきた。海菜さん達に出会う前に出会った何組かの夫婦の中に、そういう人達がいた。
彼らは優しかった。だけどそれは最初だけ。彼らにとって都合の良い私で居る時だけ。機嫌が良い日だけ。
偽物の優しさと本物の優しさの違いは冷静にならないと分からない。今の翼は多分、冷静じゃない。好きな人を大人達に否定されて、私や希空も味方してくれない。悪い大人ならきっと、そこに漬け込んでくる。そうなる前にどうにかしたい。
「!……海菜からだわ」
「海菜さん?仕事中じゃないの?」
「もしもし?どうしたの?仕事は?何かあったの?」
慌てた様子で電話に出て質問を畳み掛ける百合香さん。海菜さんは今仕事中だ。それなのに電話をかけてくるということはよっぽどのことがあったのだろう。まさかとは思うが、翼のことだろうか。
「翼ちゃんが?……分かった。まだお酒は飲んでないから、車で迎えに行くわね」
「翼、海菜さんのところに居るの?」
「ええ。そうみたい。今日はうちに泊まらせてあげてって。家には連絡してあるからって」
「そっか……」
「愛華、お留守番出来るわね?」
「うん。待ってる」
「良い子ね。じゃあ、ちょっと行ってくるわね」
私の頭を撫でて、家を出て行く百合香さん。翼は見つかったようだ。良かった。
希空にもそのこと連絡を入れると『ボクも今からそっち行っても良い?』と意外な返事が返ってきた。『百合香さんが翼を迎えに行ったから帰ってきたら聞くね』と返して、百合香さんの帰りを待つ。
「ただいま」
「百合香さん、おかえり。……翼も。いらっしゃい」
「……お邪魔します」
百合香さんが泣き腫らした顔の翼を連れて帰って来た。希空も呼んでいいか聞くと許可をくれたが翼はどこか嫌そうな顔をした。
「翼、良かった。私、君が家出したって聞いて心配したんだよ」
「……ごめん」
「ちゃんと涼さんとお父さんにも謝るんだよ」
「……分かってるよ。同い年のくせにお姉さんぶらないで」
「……ごめん」
「あ……いや……私の方こそ……ごめん。……心配かけて。心配してくれて……ありがと……」
素直だ。海菜さんにお説教でもされてちょっと冷静になったのだろうか。
「翼ちゃん、先にご飯食べる?お風呂にする?ご飯といっても残り物しかないけれど」
「……ご飯、いただきます。残り物で充分です。ありがとうございます」
「分かった」
「座ってて、出してくるから」
「ありがとう。愛華」
夕食の残りの味噌汁に火をかけ、肉じゃがとカレイの煮付けを冷蔵庫から取り出して電子レンジに入れ、ご飯をよそって食卓に持っていく。
「……いただきます」
「どうぞ。あ、味噌汁はね、私が作ったんだ」
「あぁ、だからニンジンがこんなガタガタなんだ」
飾り切りに失敗したニンジンを汁の中から発掘して悪戯っぽく笑う翼。なんだかいつも通りだが、少し違和感がある。いつも通りを装っている感じだ。なら、私も出来る限りいつも通り接した方が良いだろう。
「むぅ。味は美味しいんだから!」
「うん……美味しい」
「でしょ?」
「……愛華が作ったのは味噌汁だけ?」
「じゃがいも剥きました。えへん」
「いばれることか?それ」
「この間一人で親子丼作ったよ。肉も野菜も一人で切って」
「へぇ……凄いじゃん」
「ふふ。もっと褒めるが良いぞ」
「はは。偉い偉い」
「わーい。ふふ」
「ふふ……」
翼の笑顔が歪み、涙が溢れる。やはりいつも通りを装っていたようだ。
「味噌汁、おかわりいっぱいあるからね」
「ありがとう……この味噌汁めっちゃ美味いわ……」
「愛華ちゃんの優しさがたっぷり入ってるからね」
「……そっか。……ありがと。ごめんね」
「ゆっくり食べてね」
インターフォンが鳴った。希空だろう。泣き噦りながら食事をする翼の頭を撫でてから玄関に迎えにいく。
「マナ、翼は?」
「泣きながらご飯食べてる」
「どこにいたの?」
「海菜さんのお店」
「そっか……良かった。無事で」
希空を連れてリビングに戻る。翼はちょうど食事を終えたようで、空になった皿に向けて手を合わせていた。
「翼」
「ごめん。希空。心配かけて」
「ほんとだよ。馬鹿。涼さんにもちゃんと謝るんだよ」
「愛華にも同じこと言われた。……反省してる」
「ならよし」
「……お風呂入ってきます」
「行ってらっしゃい。部屋で待ってるからね。希空はお風呂入った?」
「うん」
「じゃ、行こう」
希空を連れて部屋に戻る。しばらくすると百合香さんのパジャマを着た翼が部屋に入って来た。翼を真ん中にして三人でベッドに入る。流石にちょっと狭い。
「ふふ……狭いね」
「希空がいなければちょっとはマシなのに。なんで来たのよ」
「……ボクもお泊まりしたかったんだもん」
「子供かよ。嘘でも私の心配して来たって言えよ」
「ボクまだ最近まで小学生だったもん。子供だもーん。そんなすぐに大人になんてなれないよ」
「開き直るなよ」
「あははっ。こうやって三人で並んで寝るのって、修学旅行以来だね」
修学旅行があったのは去年の秋。あれからまだ一年も経っていないのに随分と昔のことのように感じる。
「けどさぁ、あの頃は秋だったから良かったけど、エアコン切れたら死ぬよね。これ」
「そうだねぇ……けどうち、予備の敷布団ないんだよ。掛け布団敷いて寝る?」
「私はそれでいいよ」
「じゃあ翼を床で寝かせて、ボクはベッドでマナと一緒に……「お前も床で寝ろ」えぇー!」
「あはは。私は別に良いよ。希空」
「ほら、マナは良いって言ってる。ほれほれ、翼は出ておいき」
「……やっぱこのまま寝るわ」
「エアコン切れたら死ぬよ」
「ちょっとタイマー長めに設定しようか」
普段は四時に切れるエアコンのタイマーを一時間長めに設定し、電気を消す。
「ねぇ、翼」
「何?もう寝るんだけど」
「バーって、どんな感じだった?」
「あ、それ私も気になる」
「どんなって……別に、テレビでよく見るようなお洒落なバーだったよ。てか、マナも行ったことないの?」
「開店してない時にちょっとだけ中見せてもらったことならあるよ」
「あるんじゃん」
「お客さんが居るのといないのとじゃ雰囲気違うでしょ?」
「まぁ、たしかに」
「……良い雰囲気だったよ。私みたいな子供が来ても、お客さんも気を使ってくれて。あと……店長さん?がイケメンだった」
「あぁ、おばあちゃん?カッコいいよね。分かる」
「おば……!?」
「海菜さんのお母さんだから」
「そ、そういや海菜さんが母さんって呼んでたわ……にしても若くない?」
「年齢は知らないけど……五十代後半くらいじゃないかなぁ。六十まではいってなかったと思う」
「そもそも、百合香さんと海菜さんっていくつなの?」
「今年で三十」
「あっ。てことは望様と同い年じゃない?」
「……ちょっと待って、海菜さんって、桃花中出身って言ってたよね?えっ?待って?もしかして望様と同級生!?」
しまった。
「ちょ、マナ!このこと知ってたの!?」
「……ごめん。あんまりそういうことで目立つの嫌だから黙ってたの……別に翼達のことを信じてなかったわけじゃないんだよ?ごめんね。内緒にしておいてね」
「会ったことある!?」
「た、たまに……」
「たまに!?そんなに頻繁に会えるの!?望様に!?」
「……翼、寝るんじゃなかったのか」
「だって、寝れないよ!こんなこと知っちゃったら!てか、望様と知り合いってことは姉の流美さんとも知り合いなんじゃない?」
「……マジで?」
流美さんの名前に反応して希空が寝返りを打って振り返る。
「あー……えっと……二人とも……内緒……だからね?絶対だよ?絶対誰にも言っちゃダメだからね?」
「「分かってる。誰にも言わない」」
「……海菜さんにも迷惑かけちゃ駄目だよ?会わせてほしいとか言って押しかけたりとか……」
「望様に迷惑かけるようなことはしないよ。というか私、そんな軽率に望様に会ったら死ぬ」
「ボクも多分流美さんに会ったら死ぬ」
「そ、そうか……大丈夫そうだね」
その後、二人に質問攻めにされ、話し込んでいるうちに気づけば日付が変わっていた。
「いいかげん寝よっか」
「マナ、海菜さんって何時に帰ってくるの?」
「希空、それまで起きてる気?流石に付き合えないよ」
「多分……三時過ぎじゃないかな……私はもう無理……おやすみ……」
「おやすみ。マナ。さ、希空ももう寝るよ」
「はーい。おやすみ」
目を閉じ、微睡む。隣の翼が動く気配がして、夢と現実の狭間で、翼の声が聞こえる。希空と何かを話しているようだが内容まではもう分からない。
「……翼……大丈夫……」
ぼんやりと残る意識で、翼を抱きしめる。彼女の大きな身体は小さく感じ、少し震えていた気がした。
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