17・つなぎに過ぎない癒し

 寝ろとか何も気にしないでとか言われたって、もう頭がわやくちゃで、一睡も出来なかった。そして夜明け頃に眠り込んでしまって、エドガーとの朝食に間に合わなかった。


 あたしが起きたのは昼前で、エドガーはとっくに執務に出かけてた。マニーさんによると、相変わらず不機嫌な様子で、あたしを起こしに行きましょうか、とお尋ねしたけれど、「あんなヤツほっとけ! 来ないなら知らん!」って怒鳴られたそうで……ごめんなさい、マニーさん。八つ当たりするなエドガー! 尤も、マニーさんもエドガーが生まれた時からお傍付きなので、別に自分が怒られている訳ではないとすぐに解ったそうなので、何も気にしていないとの事。そして、エドガーとの間に何があったのか、と心配されてしまう。


 昨日の一件は、最早あたしがいくら一人で考えても何がどうなっているのかわかりっこない、と眠りに落ちる前に結論付けていたので、誰かに……カステリアさまかシャルムさまに相談しよう、と思っていたんだけど、レガートさまの告白の事を、勝手に言っちゃっていいものか迷ってもいたので、まずはマニーさんに相談してみる事にした。マニーさんはエドガーにも信用されてる位頼りになるし、知ったからって誰かにぺらぺら喋る筈もないし、直接レガートさまやエドガーに何か言って更に面倒が起きることもない。

 マニーさんにとっては、エドガーもレガートさまも、シャルムさまもカステリアさまも、みんな子どもの頃からお世話をしているお坊ちゃまお嬢ちゃまなのだ。四人は元々幼馴染なのだから、マニーさんはみんなの性格や行動パターンを良く知っている。「知っていなければエドガーさまのお傍仕えは務まりませんよ」とはマニーさんの言。まさに侍女のプロ。

 エドガーとカステリアさまが長年ぎくしゃくしていた事にも相当気を揉んでいたらしくって、あたしは直接何もしてないって何度も言ったけれど何度も感謝されている。

 それはともかく、あたしの話を聞いたマニーさんは、難しい顔になってしまった。


「レガートさまは、一見、誰とでも遊んでいる軽くて気さくな方に見えますが……」


 と言いかけたマニーさんに、


「ううん、あたしは最初っからそうは思ってなかったです。レガートさまって、本心が見えなくって、親切に色々教えてもらったのに申し訳ないと思いつつも、ちょっとこちらからは近寄りがたい感じ、とも思ってました」

「そうですか、エアリスさま、凄いですね。殆どの方は、レガートさまの事、見た通りのお洒落で浮ついた所のあるお方、と見ていますのに」


 うーん、そうなのか。まあ、レガートさまに纏わりついてる令嬢たちは、確かにそう思っていそうではあるけれども。


「レガートさまは、見た目よりずっと繊細な方なのです。そして、大事な存在とそうでない存在への線引きがとても明確なんです。お遊びになっているお相手は、皆さま、大事でない方だと、わたくしは思っています」

「ええー、それって、相手に対して不誠実なのでは?」

「いいえ、レガートさまは最初にちゃんと、誘ってこられた令嬢に、自分は当分結婚する気もないし、他の相手に誘われたらそっちに行くかも知れないけど、それでもいいなら、と念を押されるそうです。それでもいい、と言ってお付き合いなさる令嬢は後を絶ちませんけど、多分皆さま、『そうは言っても自分の魅力で落としてみせる』とお考えなのでしょうね。ともかく、わたくしが申したいのは、レガートさまの方からお付き合いの申し込みをなさった事はかつてない筈だ、という事です。だって、もしそれで振られてしまったら、その令嬢はレガートさまを責める筈ですけれど、そんな話は聞いたことがありませんから」


 えええーっ!! あのモテ男のレガートさまが、初めて自分から「付き合って欲しい」って申し出た相手があたし、っていう事?! それどんなカオス?!


「そんな……あたしにはどうしても、レガートさまがあたしに本気の恋愛感情を持たれているなんて……思えません」

「レガートさまは、嘘は仰いませんわ。きっかけはどうであれ、「一生かけて幸せにする」と仰ったのならば、本気でそう思われているのだろうとわたくしは思います」

「で、でも、そんなの、そもそも周囲が許す筈ないでしょう? あたしはエドガーのペットで、レガートさまは次期天使長でしょ」

「それは……ええと、エドガーさまさえお許しになれば、エアリスさまには相応の地位が与えられる、と思われての事ではないでしょうか……」

「でもエドガーは許す気はないみたいで……あたしもどうしたらいいのか良くわからなくて……レガートさまを嫌いな訳ではないけど、まさかそんな対象に、なんて目で見てなかったし……」


 そうだ。あたしは今の生活が好きだし、一生エドガーのペットでも構わない、って思ってた。エドガーの元を離れてレガートさまと結婚、なんて……いや別に、求婚された訳ではないけれども、「一生かけて幸せにする」ってそういう意味を含んでいるよね。

 マニーさんは、悩んでいるあたしを、気の毒そうな目で見ている。


「レガートさまは、エドガーさまとエアリスさま、双方の事を思われて行動されたのだと思います。でも……確かに、エドガーさまの仰るように、『なんで今?』という気は致しますね。エアリスさまが偶然聞いてしまったという、シャルムさまとレガートさまの会話から考えても、わたくしもシャルムさまのお考えに近いのですけど……」

「ええ? 『癒しでいればそれでいい』ってところですか?」

「そうですね。エアリスさまには、今と同じ気持ちで、エドガーさまの傍にいて頂くのが一番良いと思います。レガートさまとの事は、それからゆっくりお考えになればいいですわ」

「……それから? それからって??」


 マニーさんははっとした様子で息を呑み込んだ。ちょっと間を置いて……そして言った。


「その……つまり、いずれエドガーさまもしかるべきお方とご結婚なさるでしょうから、それからエアリスさまもご自分の結婚について考えられたら良い、という事です、わ」

「……。そうですね。エドガーもいつかは王様になる訳だから、その前には結婚するんでしょうね。結婚したら、お妃さまがエドガーの癒しになるだろうから、あたしはそれまでのつなぎ……って事ですね。うん、なるほど。シャルムさまもそうお考えなんですね。いい考え、っです、ね……」


 なんでだろう。マニーさんは当たり前の事を言ってるのに、どうしてだろう、あたしの目から、ぽろぽろ涙が零れた。


「エアリスさま! すみません、わたくし、悲しませるつもりでは……」


 おろおろするマニーさんにあたしは精一杯の強がりで笑って、


「いやいや、色んな事があったから、あたし、ちょっと気分が昂ぶってるみたいで。気にしないで下さい」


 意味もなくマニーさんの肩をぽんぽんと叩くと、涙が飛び散った。駄目だ、限界だ。相談に乗って貰ったお礼を言わないといけないのに、と思いながらも、もうマニーさんの顔を見ているのが辛すぎて、あたしは部屋を飛び出して自室に駆け込んだ。

 あたし、どうしちゃったんだろう。馬鹿みたいに悲しい。マニーさんは、誰でも普通にそう思う未来を言葉にしただけなのに。最初の頃はあたしだって、『エドガーが結婚しちゃったら、あたしはどうなるんだろうなあ』なんて、呑気に考えていられたのに。

 でも、そうだ、そんな風に思えたのは、きっとそれがずっと先の事だと思っていたからなんだと思う。なのに、なんだかそう遠くない将来の事みたいに、マニーさんが思っているのを感じてしまったんだ。マニーさんがそう思っているなら、シャルムさまもそう思っているなら、きっとそうなんだろう。


『黙れ。黙れよ。エアリスは俺のものだって、最初っから言ってる。なのに、なんで今だよ? まだ、時間はあるじゃないか』

『エアリスは俺のものだ! ……少なくとも今はそうなんだ。帰れよ! 勝手に手出しするな!!』


 エドガーの叫びが脳裏に甦る。『まだ時間はある』『少なくとも今は』……それは、言い換えれば、『そんなに時間はない』って事なんじゃないだろうか。

 本当に、レガートさまは『なんで今』あんな事を言ったんだろう。こんなに悲しくっちゃ、いつもみたいに笑ったり怒ったりしてエドガーの癒しになるなんて、無理だよ……どんな顔してエドガーに会えばいいのかすらわからない。

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