25・愛する資格

「エドガー……」

「……」


『女を愛したりする事は、ない』


 ああ、そうだ、エドガーは散々、結婚なんかしない、って言っていたじゃない。それはつまり、誰も愛さない、という宣言でもあったんだ。

 エドガーの言葉は氷の壁のよう。誰も愛さない。あたしを愛さない。でもなんで。ペットのあたしは好きでも、友人のカステリアさまは好きでも、誰かを愛しはしないなんて。


「エドガー……なんで、泣いてるの……?」

「ばーか。俺が泣く訳、あるか」

「じゃあ……こっち、向いてよ」

「嫌だね。なんで飼い主がペットの命令を聞くかよ」


 まるで駄々っ子みたい。


「泣かないで」

「泣いてない。おまえこそ……泣いてるのか?」


 何気ない仕草でぐいっと袖で目を拭ったエドガーは、ようやくこっちを向いてくれた。流石にあたしみたいにぽろぽろ泣いてた訳ではないので、一瞬、あれは夕日が見せた錯覚だったのかと思ってしまう。でも、アイスブルーの瞳は、微かに湿っていた。


「どうした……なんで泣く? もう大丈夫だって言ったろ。泣くな、って言ったろ。おまえの泣き顔は、もう見たくない」


 ああそうだよね。あたし、みっともない顔をしてる。一杯泣いて来たけど、あれはエドガーの為の涙だった。でも、今は主に自分の為の涙。多分、とても醜い……。


「な、泣いてないし! 汗だし! でもごめんね、鼻が赤くなっちゃって醜いでしょ? 見ないで!」


 何故か変な強がりが出てしまう。


「そんな意味で言ったんじゃない。どんな顔でもおまえの顔は好きだ。おまえみたいに表情がころころ変わる奴は他にいないからな。でも、なんでそんなに泣く?」


 自分で振っといて、なんで泣く? って普通聞くかな。おかしいでしょ……でも。


「っ、エドガーが、悲しい事を言うからでしょ! 誰も愛さない、なんて決めちゃ駄目だよ! あたしでなくていいから、誰かを愛さないと!」


 振られたから悲しい、とは言いたくなかった。強がりもあるけれど、それだけではないって、自分でも解ったから。


「……俺の事は放っとけよ! 俺には、誰も愛する資格なんかないんだ! いくら愛したって、幸せにしてやれない! 何にも知らない癖に口出しするな!」

「何にも教えてくれないのはそっちでしょ! だったら教えてよ! なんであたしだけ、教えて貰えない事があるの?!」

「……っ。おまえは知らなくていいんだ。どうせいつかわかるから、その時まで、知らないでおいてくれよ……」


 突然、部屋に嵐が吹き荒れた。エドガーの魔力が暴走してるんだ、って今は教えてもらったから、魔力について少しは分かる。すごく魔力の高い人が相当心が乱れないと、こんな事は起きないって聞いたけれど……。

 でも、それ以上魔力の事を考えていられなくなった。エドガーが突然あたしを抱き締めたからだ。


「え、エドガー……?!」


 あたしの声が裏返る。えっ、なに、この状況?!


「すまん……少しだけ、少しだけでいいんだ……エアリス……俺の……」

「エドガー、どうしちゃったの!」


 思わず、抱きついてきたエドガーを反射的に小さい子にするみたいに抱き寄せてぎゅってしてしまう。でもエドガーの方があたしよりずっと身体が大きいので、あたしの足はもつれてふらふらしてしまい、そのまま仰向けに倒れてしまった! ふかふかのカーペットが敷いてあったのでそれ程痛くはなかったけど、反射的に、


「わわっ!!」


 と声を上げてしまう。なんか、エドガーに押し倒されてしまった形だ。エドガーはすぐに謝って離れるかと思ったけれどそうはならない。相変わらず、小さな嵐は収まらなくて、食器や花瓶が飛んだり割れたり、客間が目茶目茶になっていく。異変に気付いたお館の方々が、大丈夫ですかエドガーさまと扉を叩いているけど、嵐のせいか開かないみたい。


 エドガーは温かい大きな両手であたしの顔を挟む。


「泣くなよ……」


 って言ったけど、泣いてるのはエドガーの方。どうしたの。まるで小さな子供みたい。

 ……と思っていたら、顔が近づいてきて……。


「…………」


 キスされました。身体がふわっとなる気がする。天使の舌は甘い味。それとも人間もそうなの? 初めてなので解らないけど、多分違う……。それに、エドガーの涙が伝ってきて、少ししょっぱくって……。


(エドガー、エドガー、大好き……!)


 あたしも思わずエドガーの頭を引き寄せる。離れないで。離さないで。エドガー!!

 でも、永遠にこうしてる訳には勿論いかなくて。エドガーははっと我に返ったようにあたしから身を引いた。途端に、飛んでた小物が割れたり欠けたりする音を立てながら床に落下する。扉が開いたけれど、真っ先に入って来たマニーさんは素早く状況を理解してくれたようで、「エドガーさまは大丈夫です」と他の人々を押し出して扉を閉めてくれた。


「……すまん」


 また、向こうを向いて、エドガーはただ、そう言った。


「なんで。訳がわからないよ……。エドガーとあたしは魂を分け合っているんだよね。だったら、教えてよ。半年後に何があるかは言いたくないなら言わなくていいよ。でも、いま。いまの気持ちを教えてよ。本当に誰も愛してないの?」

「……おまえも、母上が言ってたのを聞いただろ。俺は、情に流されちゃ駄目なんだ。なのに……おまえに……すまん……」

「何も謝る事なんてないじゃない! 誰だって、生きてる限り、情を持つよ!」

「でも、おまえはレガートの嫁になるだろ。俺のペットではあっても、俺はこんな事すべきじゃなかった」

「な……なに言ってるの。そんなの決まってないし、レガートさまは、あたしとエドガーを応援してくれてるし!」

「でもおまえはレガートが好きだろ? 俺が比翼だと知って、あんな風に言っただけだろ。気にするなよ、俺が勝手にやった事なんだから。おまえが幸せなら、俺も幸せだ。だから、泣かないで、今まで通りにしててくれ。もう、俺のものだ、って縛ったりしない……。好きな男の所に行っていい」


 …………なに言ってんの?


「ゆ、勇気を出して告白したのに、何言ってるの? あたしは今、好きな男の前にいます!」


 もう、後には引けない。エドガーは何か盛大な誤解をしているみたいだし。


「……は?」

「は? じゃないでしょ。こっちの台詞だよ。なんでレガートさま? そりゃあ、色々助けて貰って、前よりずっと親しみは感じているけど、あたしの好きなひとはエドガーだよ! なんで信じないし? ひどくない?!」

「だって、レガートはおまえに求婚してるし、あいつの館で暮らして、好きにならない訳ないだろ。おまえ今、レガート信者の羨望の的だぞ。昔っから、レガートは女にもてて、あいつに見つめられて落ちない女はいないって噂で……」


 ……発想が子どもです。そうか、エドガーはあたし以上に恋愛に疎いんだね。情に流されてはいけないと思っていたから、自然な感情に蓋をしてきたのかな。いくらレガートさまがモテ男でも、そんな訳ないじゃん。それに、一緒に暮らした時間はエドガーの方がずっと長いのに。


「レガートさまはあたしを妹みたいに好きだって言ってくれてるし、あたしもそんな感じかも知れない。でも、あたしが好きなのは……そのう、愛しているのは、エドガー、あなたです。あなただけです! 命を救って貰ったから、とかそんなんじゃない。一緒にいれれば嬉しい。笑顔が見れれば嬉しい。エドガーが幸せなら嬉しい。それが、恋、だと思う」


 解って欲しい。その上で、あたしを愛せないなら、しかたない。でも、自分の気持ちに向き合って欲しい。あたしが、頑張って出来た事だから、あたしより強いエドガーが、出来ない訳がないよ!


「……俺は……おまえといると、嬉しい……おまえが笑ってると、嬉しい……おまえが、幸せなら嬉しい……」


 エドガーは、茫然としながら、あたしの言葉を反芻するように呟いた。


「これが、恋……? いや、駄目だ……だって俺は、おまえを幸せにしてやれない……だから、おまえを愛する資格なんか……」

「いま! そう言ってくれてるだけで、あたしがどんなに幸せか、解らないの?! 先の事なんか誰にもわからない。でも、いま、お互いに幸せなら、それでいいじゃない! 資格? あたしにだって資格なんかないよ! エドガーが身を挺して庇ってくれたのを、凄く苦しく感じながらも、心のどこかで、あたしはエドガーの、特別、なの? って期待してた。 醜いんだよ! 恋、って、エゴなんだよ! でも、でも、エドガーがもし死んじゃったら、あたしも生きていけない、とも思った……」


 あの時の事を思いだして、また涙が溢れる。


「エアリス、泣くな。俺が悪かった。そうだよ、おまえは俺の特別だよ。おまえが死んだら、どんなに務めが大切だろうと、俺はもう生きてられない、って思った。だから反射的にあんな事をしたんだ。おまえは俺を愛してくれるのか? 半年後の俺を知ったらおまえは泣くだろう。でも、いま、もう泣かせてる。だったら……残った時間、おまえを……愛して、笑わせてやる資格が、俺にあるんだろうか……?」

「資格、なんて、欲しいと思えば誰にでもあると思うよ……相手が許してくれるなら」

「おまえは俺を許す?」

「半年先に何があるか解らないのに訊くの? でも、いま、幸せだから……いいよ。エドガーこそ……こんなあたしで、いいの?」

「こんなおまえだからいいんだよ。おまえがいなかったら、俺にはなんにもないままだった」


 カーペットの上に向かい合って座ったまま、エドガーは左腕で、くしゃりとあたしの髪を掻き回す。あたしはその腕に触れた。あの、恐ろしい切断面はどこにも見当たらない。


(エドガー……愛してる)


 いま。あたしは幸せだ。

 エドガーはあたしを抱き締める。この腕があれば、怖いものなんか何もないように、思えた。

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