40・魔術の糸
レガートさまは一命をとりとめた。
面会謝絶なんだけど、あたしは癒し手として認められて、毎日病室に通った。枕元に座って歌う。まだたまにしか意識が戻らないのだけど、あたしが歌うと少し顔色も良くなって、琥珀色の瞳が開く。意識がきちんとしてるようには見えないけど、歌に反応して、時々微笑が洩れる。早く元気になって欲しいけれど、医師の診断では、起き上がれるようになるには二か月はかかるだろうと。
二か月……円環の儀は、あと二か月に迫っていた。
あの時、中庭に突然エドガーが現れた事を、多くの人々は、魔力の多いエドガーだから危急の事態を察知して魔術で飛んで来たのだろう、と緩く解釈したみたい。そりゃあ確かに、普通、ペットのあたしが王太子エドガーの比翼だなんて思いつかない。
でも、両陛下にはばれてしまった。エドガーはあの時、国王陛下と遠出していたので、シャルムさまが気づいた時と同じで、目の前にいた息子が一瞬で消えてしまったらやっぱり思い当たってしまう。まあ、陛下は最初、比翼の相手はアリーシャだと思われてたみたいで、あたしと知ってびっくりなさっていたけれども。
王妃陛下はさぞ立腹なさるだろうと思ったのだけど、色々ショックが重なり過ぎて寝込まれてしまったそうで、何も言われる事はなかった。
国王陛下は、怒るような事はなさらなかった。こんなに問題にならないのならば、あんな怖い事を我慢せずに、早くエドガーを呼べばよかった……なんて思ったり。
「もうそうなってしまったものを、後からどうこう言っても仕方がない。エドガーが、エアリスに命を分け与えてもお務めに支障はないと言うなら、それを信じるしかあるまい。わたしはなるべく、エドガーの自由にさせてやりたいのだよ。……しかし、アリーシャには不愉快な事実だろうな」
普通、比翼は夫婦や恋人がなるものなのだから、自分の夫に別の比翼がいて隠していたとなれば、妻は怒るのが当然だ。でもアリーシャは前から何故かその事を知っていたし、それを詰るでもなかった。アリーシャはエドガーを憎んでいる。自分よりあたしがいいなんて侮辱だ、とか言ってたけれど、嫉妬だけが理由であんな深い憎悪を持てるだろうか? 多分、他にも何かあると思う。
アリーシャは一応、あたしが犯人と決めつけ証言をした事を詫び、その後、堕天使に狙われたなんて恐ろしい、と言って、また何か企んでるに違いないけど、心労が溜まった、と自室に閉じこもってしまった。
―――
何のつもりか知らないけど、あの女が口出ししないので、ようやくあたしとエドガー、シャルムさまとカステリアさまは一緒に話す時間を持てた。シャルムさまとカステリアさまは、この貴重な時間を二人にさせてあげたいけれど、相談しないといけない事が山積みだから、と申し訳なさそう。そんなに気を遣ってもらってあたしも申し訳ない。あたしはエドガーの傍にいて普通に話せるだけで充分に幸福を味わっているのだから。……ここにいないレガートさまに申し訳なく思いつつ。
「兄上……確かに、あの場を収めるには最高の手段だったとは思います。しかし! あんな事をして、兄上はどうなってしまうのです! 古来から……」
「その話はよせ、シャルム。俺は後悔していない。俺の事はどうとでもなる」
シャルムさまは、あの時エドガーが御神に願った事を仰っているのだ。『ただひとつの願い』とエドガーも王妃陛下も言っていたので、それは本当は、何か特別重要な事に使われるべきものだったに違いない。でも、エドガーに聞いても教えてくれないし、シャルムさまも口止めされているそうで。カステリアさまは知らないと……そもそも、円環の儀の詳細については、贄の王子の肉親しか知らないのだそう。その中でも、王子本人しか知らない事もあるそうで……。
詳細を知るのは怖い。眠るだけだとエドガーは言っていたけど、辛い事はないのだろうか……。
不安そうなあたしの顔を見たエドガーは笑ってあたしの頭をぽんぽんと軽く叩いて、
「おまえは何も心配しなくていいよ。……たぶん、辛く思う事もあるだろうが、おまえが幸せな気持ちでいてくれたら、それは俺に伝わってくる。それだけが俺の希望なんだよ」
と優しい事を言ってくれる。
でも、エドガーが妙に優しい時って、なにかを誤魔化している時のような気もする……。
けれど、教えてくれない事を考えても仕方がないので、あたしはあの時のアリーシャの心の声の内容を三人に打ち明けた。アリーシャが邪悪な心の持ち主だとは、魅了を受けていない三人は気づいていたけど、そこまで残忍性を秘めているのかと絶句する。
多分、他の誰に言っても、こんな事信じて貰えないだろう。でも、三人は、あたしが嘘を言う筈もないと、疑うことなくあたしの言葉を信じてくれた。
「そんな恐ろしい方がこの国の王妃になるなんて、この国は一体どうなってしまうのでしょう……。でも、そうね、エアリスの歌がなければ、レガートは本当に彼女を護って死んでいた筈なのに、そんなレガートの行為を感謝するどころか、逆手にとってエアリスを犯人に仕立て上げる程の、狡猾で冷酷な方なんですものね……」
「カステリア、おまえは本当に気をつけろ。シャルムは取りあえず利用価値があるから奴も手出しはしないだろうし、この間の事で、レガートとエアリスも、少なくとも言いがかりで断罪されたりする事はない。今の話を聞くに、奴はただ自然に見せかけて獲物を暗殺するような事じゃ満足できないんだろう」
「でも、何故妃殿下はわたくし達を狙うのかしら……」
「それは、おまえらが俺にとって大事な存在だと知っているからだ。エアリスだけじゃなく、俺はおまえらみんなにずっと幸せに暮らして欲しいんだ。本当は、俺がおまえらを大事に思うせいで危険に晒してると思うと心苦しい。でも、この気持ちを捨てる事は出来ない……」
「エドガーさま……エドガーさまにそう言って頂けるだけで、わたくし、とても幸せですわ……」
「その幸せが損なわれないように、何とか奴を国に帰せる策はないだろうか……。俺がいなくなれば、おまえらも魅了されてしまうかも知れない。そうなったら、セラフィムは破滅だ」
あたしはふっと思いつく。
「ねえ、アリーシャ妃とリベカはどうやって繋がったのかな? まさかほんとに偶然にリベカが妃を暗殺しようとしてた訳じゃないよね? そりゃ、リベカの性格上、エドガーの子どもを妊娠してると思った妃に殺意を持つ事はあり得るだろうけれど、あんな目立つ場所でわざわざ……」
「うーむ。確かに、偶然とは思ってないが……どうやって繋がったか。言われてみれば、セラフィムの堕天使とミカエリスの王女に何の接点があるっていうんだ? そもそも、どうやって接点を作るんだ? 大体リベカは俺が確かに斬り捨てたのに……」
「リベカは長寿でしたから、堕天する前に、我々の知らない所でミカエリスに何らかのルートを築いていたという可能性は否定できませんが……」
「なるほど……アリーシャにしてみれば、悪趣味だから、俺を恨む堕天使が瀕死で頼って来たら、助けてやって手駒にしよう位は考えるかも知れないな」
「鏡の中で力をつけさせながら、あたし達の動向を見張らせていた訳だね」
「だろうな。ただ、それだけにしては、こちらの情報が洩れすぎている気もするんだが……」
考え込んでいるエドガーの横顔が近くにあって、こんな場合に不謹慎だけれど、それだけであたしは嬉しい。もう何か月も、ろくに話も出来なかったんだもの。
でも……。
「ねえ、エドガー、また少し痩せてない? まさか病気じゃないよね?」
「は? 俺はどこもどうもないぞ。なあ、シャルム」
「ええ、私は気づきませんでしたが……?」
「いえ、わたくしもエアリスと同じように感じます。シャルムさまは、毎日お会いだから気づかれないのでしょう」
「知らん。俺の健康はちゃんと昔から俺だけについてる侍医が管理している。俺の身に何かあれば大変な事になるからな。それが何も言ってこないって事は大丈夫だろ。今はそんな事はどうでもいいだろ」
エドガーは元々心配されるのが嫌いなので、むっとした表情で臍を曲げてしまったよう。でも、きちんと診察を受けているのならば大丈夫なのかな……。円環の儀が近づいてきて、食欲も湧かないのかも知れない。いつも食事の時もアリーシャがべったりなんだし。
「あの湖の傍でリベカがエアリスを襲った時、俺は完全に奴を仕留めたと思ったが、エアリスの無事を確認するのに急いていたし、俺も怪我をしたので、きちんと消滅したのか確かめていなかった。だが、僅かに魂を繋いでいたとしても、あそこから自力でミカエリスまで行ってアリーシャに助力を求める力が残っていたとは考えにくい……。アリーシャが、奴の危機を認知して、助けの手を差し伸べない限り、難しかったのじゃなかろうか。つまり、あの時点で既にあいつらには主従関係が結ばれていたという事だ」
「あの時にはまだ、婚約の話もなかったのに?」
「アリーシャにとっては、全てが織り込み済みだったのかも知れん……。あの事があってから、一層、結婚話の押し付けが強くなったしな……。とにかく、俺がいるうちにあいつを何とかしないと。せめて妊娠が嘘だと証明できれば、あいつの立場を危うくする事は出来るのに、あいつは国から連れて来た侍医しか寄せ付けないからなあ……」
こんな話をしている時……あたしは、心のどこかで、押し殺した笑いが聞こえた気がした。
(なに……?)
(ふふ……ああ可笑しい! 馬鹿な頭を寄せ合って、無い知恵をすり合わせたって、無駄よ! あたしを排除しようったって、無駄無駄!)
アリーシャの心の声だ! 何故か、鏡もリベカもなくても、あたし達の会話はアリーシャに筒抜けだった! あたしは慌てて、傍にあった紙にこの事を書いて三人に知らせる。でも、アリーシャは、
(それも無駄。声に出さなくたって、なんだって、あたしには解るのよ。無駄な抵抗はおよしなさい。残り少ない時間を浪費するだけよ)
と言ってくる。余程自信があるのだろう……。これも三人に伝えると、エドガーは怒ってわめいた。
「もう我慢できん! 今からあいつに直談判してくる! ミカエリスとの関係なんか知るか! あいつを放置すればセラフィムは滅亡する。あいつは絶対に身籠ってないのに嘘を言っている。それを指摘すれば、ミカエリスだって抗議のしようもあるまい!」
(ミカエリスは決してあたしの非を認めないわよ。長年、清楚で優しい最高の姫を演じて、両親は全く疑ってない。言いがかりだって怒りをかうだけ。まあ、それも面白いけどね。さあ、今度はカステリアをどう苦しめましょうか)
ああ、もう泥沼だ……。
だけどこの時。目を細めてあたしを見ていたエドガーは突然、
「おいエアリス、少しも動くなよ」
「な、なに?」
エドガーはさっと剣を抜く。その剣に魔力を込める。あ……エドガーの魔力って、こんななんだ。本気の魔力って……。今まで感じたのとは、桁が違う!
剣が素早く空を薙ぐと、なにかおかしな感じがした。
「兄上?」
「見ろ……魔術の糸だ」
エドガーは何かを拾うと、それがあたし達にも見えるように光を持たせる。邪気を纏った細い糸……。
「これ……あたしについてたの?」
「そうだ。やっと判った。あいつ、いつの間にかこれをおまえにつけて、それでこちらの状況を掴んでいたんだ。俺を舐めたな……俺の前で声を送って来たから感じ取れた。もう大丈夫だろう」
「そんな……あたしのせいだったの……」
「別におまえのせいじゃねえよ。俺くらいの魔力がなければ絶対に気付かない。あいつの魔力はやはり相当なものだ」
「でも一体いつ……。あたしが妃に近づいたのって、夜会で呼ばれた時くらい……でも最初っから妃は比翼の事、知ってた……」
「これ、かなり古い。数か月じゃない。一年以上経ってる」
「ええっ?! あたしが人間だった時じゃない、それ!」
「そうなるな……」
全く意味が解らない。ただの村娘だったあたしに、天界のお姫様が魔力の糸を?!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます