王子さまに首根っこを掴まれました

青峰輝楽

1・王子さまに首根っこを掴まれました

 地面がない。

 眠りから覚めたあたしが、最初に思ったのは、これだった。

 あたりはやけに眩しくて中々目が慣れなくて、ただとにかく、足の下に何もない事だけが判った。


「えええ?!」


 パニックに陥ったあたしがやたら足を振り回すと、どす、と、つま先がなにかにヒットした。


「……ってぇぇ!!」


 男の叫び声と共に、首根っこから振り回されるあたし。

 ようやくわかった。あたしは首根っこを掴まれて、宙ぶらりんな状態。っていうか、感覚が戻ってくると、


「首、痛い痛い!!」

「うるせぇ、俺様の髙い鼻も痛ぇ!」


 なんか鼻声の男。

 どうやらあたしは、謎の男に首根っこを掴まれ、振り回した足は思いっきり男の鼻っ柱に決まった模様。謎の男、ざまぁ。さっさと手ぇ離しなさい。相変わらず状況は謎だけど、あたし、もしかして山賊か何かに捕まってんの? 確か、村を出て弟と隣町までお使いに行って……。

 などと思っていたら、眩い光はさあっとひいていって。


「……どこよ、ここは」


 見た事もない場所にいた。こんな場所、村から町までの間には絶対にない。なんか、キラッキラしてふわっふわした、草原??

 きょろきょろしていると、相変わらず首根っこ持ってあたしをぶら下げたまま、謎の男が言った。


「大体、なんだ、おまえは? 落っこちて来たからつい拾っちまったけど、こんなモノ初めて見るぞ? どっから来た?」


 あたし、エアリス・ビスタ、17歳。生まれも育ちも、辺境に近いウェスタ村。村一番の強気な娘とよく言われます……。

 でも、この訳のわからない状況で、そんな当たり前の自己紹介をする気は起きなかった。

 アイスブルーの瞳が、あたしの顔を覗き込んでいる。あたしは大男に首根っこを鷲掴みにされて宙ぶらりん。それにしても、顔! 超近いんですけど! そしてでかい!


「ちょ、ちょっと何なのあんたは? 顔、でかっ!!」

「あぁ? 俺様に向かって、あんた呼ばわりたぁどういう了見だ? ……つか、喋った! 未確認生物喋った!!」


 何よ、未確認生物って! 怒ったり驚いたり、忙しい奴。


「あんたこそ未確認生物じゃないの?! あたしはふつーの人間だし、ふつーに喋るわよ!」

「……人間だと? こんな妖精サイズの人間がいるか!」


 と叫んだあとで、かれはふと、ああそうか、とひとりごちる。こっちはまるで訳が解らない。


「つか、おまえ人間なのかよ汚ねぇ! だったら寄るな! 俺様は人間が大嫌いだ!」

「汚いって?! ちゃんと身体は洗ってるわよ! 寄りたくて寄ってんじゃないし! だったら離せばいいじゃない!」

「へえそうですか、離していいんですか」

「いいに決まってるでしょ! 女の子に対して失礼でしょ! あ、でも怪我しないようにそっと下ろしてよね?」

「はー、じゃあ離すぜ?」


 意味深な微笑。意外にも素直にそうっと腕を下げて手を離してくれたのはいいけれど!

 次の瞬間。あたしの身体は急降下していた。何なに?! すぐ足元に地面があると思ったのに、あたしの身体はその地面を突き抜けて、更に靄のようなものの中を落下し続けていた。


「や、ややや! 死ぬぅ~!!」

「いや、もうおまえ、死んでるんだぜ?」

「はぁ?!」

「ウソみたいだろ? 死んでるんだぜそれで……」

「いや今要らないからそういうの!」


 自分でも何を言っているのかよく解らないけれど、こいつが性格極悪なのはよく判った。……それにしても、なんでこいつまで一緒に落ちてるんだろう?? と思ったら。

 ばっさばっさばっさ……羽ばたきの音。こいつ、羽根生えて飛んでるぅ!


「ははは、驚いたか、俺様は天空のセラフィム王国の第一王子にして大天使のエドガー・セラフィムさまだ。おい人間、泣いて助けて下さいと言うなら助けてやってもいいぜ? 俺様は心が広いからな?」


 キラーンと決めて言うけれど、逆さになって落下中ではあまり威厳を感じない。それはともかく、『死んでるんだぜ』で、眠っていた記憶が甦って来た。確かに、あたしは死にました。隣町にお使いに行って、道端で籠から落ちた野菜を拾っていたあたしに、速度も落とさず貴族の馬車が突っ込んで来たんだった。最期に見たのは、馬車についた貴族の立派な紋章……。


 教会の教えによるなら、善なるあたしの魂は、『輪廻の螺旋』に導かれた、という事だろう。見たこともない螺旋階段を上っていくうちに、前世の記憶は浄化されて、新しい魂としてまた世に返る筈、だったのに……あたしは、その階段を、踏み外して落ちてしまったんだった。


「どうだ、身の上を思い出したか。俺様は賢いからすぐに解ったぜ。おまえは、輪廻の螺旋から落っこちた魂だ!」


 いやいや、ドヤ顔されても。未確認生物扱いしてたじゃん……。


「輪廻の螺旋から落ちた魂は、魔界へ真っ逆さまだ。魔界がどういうところか知っているよな? さあ、俺様に、助けてくださいと言えよ? おまえは運がいいんだぜ?」


 こんな時、大抵あたしの強気はろくな結果を生まないのだと、享年17年の人生で既に学んでいたけれど……それでもあたしは、


「あんたみたいな性悪には、死んでも頼み事なんかしないわ!」


 と叫んでしまっていたのだった……。


「……死んでるくせに。なんで、魂だけになってるってのに、意地を張れるんだよ?」

「どんな状態だって、意識がある以上、あたしはあたしだもの!」

「……そっか……」


 何を考えているのか解らないけれど、笑いを消したアイスブルーの目に、あたしは、しまった、と思う。いくら何でも魔界へ行くなんて嫌だ。そこに行った人間には、永遠の苦痛しかないと言う。でも、それでも、前言を撤回する気はしない。


 だけど。ひょい、という感触と共に、不意に落下が止まる。


「え……」


 あたしは、天使の大きな手に、受け止められていた。

 頼んでもいないのに、俺様天使は、あたしを助けてくれた。


「勘違いするなよ! 折角俺様が一旦助けたモノが魔界へ堕ちるなんて、最初の俺様の労力が無駄になると思っただけだ! てめえの為じゃない!」


 ちょっと視線を逸らして。ちょっと不貞腐れた顔をして。明らかに、自分に言い訳してる。


「……ぷっ、クスクス……」

「なに笑ってんだよ!」

「あー、いえ、ありがとうございます? 頼んだ訳じゃないけど、助けてくれてありがとうございます? ちっさい人間でも、礼儀くらいは弁えてますからね?」

「てめえ、礼儀を弁えたやつの態度じゃないだろうが! なんだ、その笑いは?!」


 なんて、天使は怒っていたけれど。

 結局は助けてくれた。人間が嫌いだとか言いながらも。

 悪いやつじゃないのかも。

 アイスブルーの瞳に銀色の髪。顔がでかい訳ではなくて、あたしがちっさくなってるだけだった。均整のとれた体躯に白銀の翼。見た事もない程に姿は美しくて神々しいのに、中身は村の悪ガキみたい……。なんだかちょっと胸がくすぐられる。

 でも、あたしは……。


「えーっと、で、あたしはどうなるの? また輪廻の螺旋に送って貰える?」


 あたしは死んでいる。認めるのは本当は嫌だけれど。

 魔界は勿論ご勘弁だけど、輪廻の螺旋に乗って別の人生を送るのも寂しい。あたしはあたしでなくなってしまう。もう少しだけでも、あたしのままでここにいたい。でも、それは我儘だっていうのは解ってる。

 あたしの問いに、天使はちょっと考えていたみたいだけど……、


「いや。それじゃ俺様が楽しくない。おまえは、俺が知ってる、普通の人間とはちっとは違うみたいだ。相手が天使と知っても虚勢を張る辺りな? 顔引きつってて面白かったぞ? だから、俺様の城に連れ帰ってやる。そこで、ちゃんとした姿と翼をやる。おまえは、俺様のものだ」


 えっ。俺様のもの、って、どういう意味? うう、天使の基準が解らないよ。

 あたしの戸惑いを感じたのか、天使もまた、一瞬、しまった口が滑った、みたいな表情をした……ように見えたのは、気のせい?


「あの……あたしはそこで何をすればいいの?」

「うっ……くっ、せいぜい俺様の靴でも磨けばいい!!」

「なにそれ!! なんで結論が靴磨き?! それに、いい加減、物みたいにぶら下げないでくれる?!」

「じゃあまた手ぇ離してもいいのかよ?」


 ああ、やっぱり俺様は俺様だった。いいやつなんて気のせいだった……単なる珍しい物への所有欲みたいなものか。勝手に決められて、どうなるの、あたし?

 わいわい言いあいながら、首根っこ掴まれたまま、ぶら下げられて空を飛んでいるうちに……雲間から、巨大な建物の影が見えてきたのだった。


―――


「これ……なんだ?」


 エドガー・セラフィムは、独りになりたい時に来る、雲の丘の上にいた。単独行動を取れば、大抵大仰に心配され、咎められるけれど……。


『大事なお身体ですのに』


 そう言われるのが大嫌いなのに、でも、時々は、あの、自由に振る舞える広い城なのに実情は窮屈な牢獄から、抜け出さずにはいられなかった。

 丘の上の大樹に寄りかかって座っていた時に、その小さな光は上から落ちて来た。綺麗な小石を見つけた少年みたいな顔になって、思わず両手で受け止めると、光は徐々に輝きをなくして、その中から、小さな娘の姿をしたものが現れた。ひょいと、娘の首根っこを掴んで眺める。


「なんだ、おまえは? こんなモノ初めて見るぞ? どっから来た?」


 柔らかい、声と顔。誰も、見ていないと思っていたから。その娘の目が開いていなかったから、見られていないと思ったから。


 その時には、かれは、それが己を救うかけがえのない光だとは気づかなかった。

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