2・天使として生きていきます

「そうそう、コツを掴んできたじゃない?」

「もう大丈夫でしょう。休憩したらまた勉強しましょう」

「うぅ……はい」


 フラフラと下りようとして、柱にゴツンとぶつかった。


「あうっ……」

「あれれ~やっぱまだ駄目だな~。じゃああと五十往復行っとく~?」

「いやいやいや! 今のは疲れですから! 無理無理無理!」

「ま~、だよね~」


 あたしの、本当に疲れ切った無理宣言に、


「おまえ、この程度で音を上げてて、この先ここで生きていけると思うのか! オラ、五十往復!!」


 と鬼畜な声がかかる……。生まれた時から翼生えてるあんたとは違います。あたしは元々か弱い人間なんですから!

 腕組みして進行状況を眺めている王太子エドガー。こっちは汗だくなのに涼しい顔して、ホント腹立つったら!


 今、あたしは天空のセラフィム城の中庭で、飛ぶ練習をしている。辺境の村娘だったあたしが、天使さまの一員になる為の特訓だ。


 飛行訓練担当のレガートさまは、飄々としてて、物腰は柔らかいんだけど、一歩引いてみている感じがする。栗色の髪に細い瞳の立派な天使さま。位も高いらしいし、あたしなんかの相手なんて嫌なのかな、と最初は思ったけれど、どうもそうでもないみたい。

 そして、天使として当然の知識を詰め込むべく、家庭教師役となった隣の方は……この天空の国の第二王子、シャルムさま。……つまり、あいつの弟。だけどシャルムさまはあいつの雑さとは真逆に紳士で優しくて、あたしをまるで淑女のように扱ってくれる。長い金髪はキラキラ輝くように素敵で、あいつなんかよりシャルムさまの方が余程王太子に向いているのでは? なんて思ってしまう。

 素敵なお二人の指導は、ただの村娘だったあたしには苛酷ではあるけど、なんかおいしいし、生きてるって実感もあるし、嬉しく感じられる。


 なのに。

 何かと理由をつけては、お忙しい王太子さまなエドガーがやって来ては、やたらと難易度を上げて来る。何これ、いじめ?! って思うくらいに。


 ……まだ、ここに来てから三日。なにもかもが夢のよう。


―――


 天空のお城は、田舎者のあたしにとって、もう言葉にならないくらい立派だった。雲の上にそびえる宮殿と、その周囲にいくつも並ぶ塔。

 そして、あたしを連れ込んだ俺様天使は、自分で言った通り、この城の王子だった。


『エドガーさま! 急にお姿が見えなくなって随分お探ししました!』


 従者らしき天使たちがわらわらと駆けつけてきて。


『あの……それはなんでございましょうか?』


 『それ』とはあたしの事だとすぐに察する。皆さんの視線が、エドガーの手にぶら下げられたあたしに集まっていたからね。『それ』とは何よ! と言う前にエドガーはうるさそうに、


『拾った。俺のペットだ』


 と事もなげに言う。


『ひ、拾った……ですって。それは、人間の魂でございましょう? まさか、輪廻の螺旋から……』

『奪うか、愚か者。こいつがアホだから落っこちてきたんだ。魔界行きは哀れだと思って、優しい俺が飼ってやることにしたんだ』

『か……飼う?! しかし、我々天使族が人間に直に関わる事は法に……。それに、人間は天空では暮らせません。魂から生前の姿を復元しても、翼がないと落ちてしまいます』

『判っているわ、んな事は。ちゃんと考えてある。つべこべ言うな。こいつは俺のものと決めた。……それとも、俺のする事にケチをつける気か?』


 この言葉に、詰めかけた従者たちはうぐっという感じで黙ってしまい、エドガーは彼らを無視してさっさとその横を通り過ぎる。


『まさか……一族にお加えになるおつもりか?』

『そんな馬鹿な。穢れた人間など……』

『一時のお戯れだろう。我々が意見して聞かれるようなお方でもない』


 そんな事を後ろでコソコソ言いあっていた。穢れた人間、て、陰口ですか! 天使さまも意外と陰湿だな!

 ……なーんて思ったけれど、こんな事は序の口に過ぎなかった、とすぐに悟る事になった。


―――


 エドガーがあたしを聖石とやらに触れさせると、妖精サイズだったあたしの身体は他の天使さまたちと同じ大きさを取り戻した。


『くっ……重いな、おまえ!』


 片手でぶら下げていたあたしが急に大きくなったので、エドガーは顔をしかめて悪態をつく。


『何よ失礼ね!』

『うるさい。ちょっとそこに座ってろ』


 あたしは豪華な肘掛け椅子に座らされる。机と寝台の置かれたご立派なこの部屋は、私室なんだろうか。エドガーは、光の射す窓際に立って、ふぁさっと翼を広げる。そして自分の翼の左右の付け根から、一枚ずつ羽根を抜いた。ちょっと顔を顰めているのは、痛かったのかな?


 でも、エドガーがそれを手にあたしに近づこうとした時、ノックと同時に部屋の扉が開いた。エドガーは思わず反射的に掌の中に隠す。やって来たのは、どうやら、位の高そうな美しい女天使さまたち。


『エドガーさまっ! 人間の娘をお傍に置かれるおつもりだと伺いましたわ! まさか本当ではないですわよね?!』

『人間なんか、ここに相応しくありません。ましてやエドガーさまのお傍になんて。わたくしが輪廻の螺旋に返して来ますわ!』


 ぎゃいぎゃいと美しい女天使さまたちはあたしの事で騒いでいた……。えっ、あたしってそこまで嫌われ者?? 人間ってだけで、なんで? 天使さまは、人間を慈しんで下さる存在ではなかったの……? 確かに、エドガーは『人間なんか大嫌い』と言ってはいたけど、その言葉とは裏腹に、あたしを助けてくれたのに……。


『うるせえ! どっか行け、おまえら! 俺様に口出しする気か!』


 エドガーが一喝して彼女たちをギロリと睨みまわすと、彼女たちは一応大人しくなったけれど、


『と、とにかく、そんな人間の娘なんて、わたくしたち絶対に受け入れられませんわ!』

『俺のペットをおまえらに受け入れて貰おうなんて思ってねえから安心しとけ』

『あ、安心なんて出来ませんわ! その娘が何を企んでいるか知れた事では……』

『黙れ!』


 エドガーは本気の怒気を放っているみたいだった。女天使たちは、不服そうにぶつぶつ呟きながらも、失礼いたします! と言って扉を閉めて出て行ったのだった。


『……あたしって、とんだ厄介者なのでは……』


 思わずそんな言葉が出てしまった。育った村はのどかで、あたしは強気な娘として一目置かれていたので、こんなにあからさまな悪意を向けられた事がなくて、ちょっと茫然としてしまったのだ。


『へえ、初めてしおらしい事を言ったじゃねえか』


 エドガーはうっすらと笑っていた。さっきまで怒っていたのはどこへ行ったのか、ってくらいに。


『あいつらなんかほっとけほっとけ。おまえは俺のペットなんだから胸を張っていい』

『ちょ……っ、だから突っ込む暇なかったけど、なんでペット扱い?! 靴磨きはどうなったのよ?!』

『磨きたいなら磨いていいぜ?』

『いや特に磨きたくはないけれども! あたしの立ち位置を知りたくて!』


 何故かぷっとエドガーは吹き出した。


『なによ、なんなの!』

『いや……やっぱおまえ、面白いわ。俺様はこの天空のセラフィム国の王太子なんだぜ? さっきの奴らなら、ちょっと優しい顔でもしてやれば、靴だって舐めましょう、って勢いなんだぜ?』

『な、舐めさせたの?! 外道だわ!!』

『ちょ、いや、別にそんな趣味ねーよ! 靴が汚れるだけだろ』


 そう言うと、改めて掌を広げて、二枚の羽根を眺める。それまで気にしていなかったけど、対等な大きさになってかれを見てみると、銀色の髪も白銀の大きな翼も本当に綺麗で、これで中身も王子様らしければ、まさにひれ伏したくなるような美しい天使なのに、なんだかなあって思ってしまった。


 かれは厳かな様子で二枚の羽根をそっとあたしの両肩に刺した。最初は痛みも何の感触もなかったけれど、徐々に羽根は温かみを持ち、じんわりとあたしの中に根を伸ばしてくるような感じがしてきた。そうして、段々と羽根はその数を増やし(わさわさ増えるその様は、傍から見たらなんか不気味だったかも知れないけれど、幸い後ろなのでその時はよく分からなかった)、僅かな時間で、なんと立派な翼になった! 勿論、エドガーのに比べれば子どもの玩具みたいに小さくはあるんだけれど、それはとても温かくて、気持ちがよくて、まるで翼が『これからは一緒だよ』って言ってるみたいに思えた。

 あたしはゆっくりと翼を動かしてみた。まるで元々あった腕を動かすみたいに、自然に翼はひらひらと揺れた。

 この光景を、エドガーは腕を組み、黙って眺めていた。そのアイスブルーの瞳には、色んな感情がごちゃ混ぜになっているように見えて、あたしは気になった。


『あの……ありがとう』


 何はともあれ、エドガーのおかげで魔界行きを免れたのは事実なので、一応お礼を言う。すると、かれはにやりとして、


『うむ、うまく融合して良かった。これでおまえは完全に俺様のものだな』

『は?』

『その翼は、おまえが俺のものだっていう、まあ印みたいなものだな。こんな高度な魔道は俺様くらい凄い魔力を持った奴にしか扱えないんだぞ。 それに、これでおまえがどこにいたって判るからな!』


 ドヤ顔でそんな事言われても! あたしはあたしのものだよ?! ってさっきからずっと言おうと思ってたんですけど!


『はあ? なにそれ! 先に言ってよね! あたしをつけ回すつもり?! お、お風呂とか覗いたり!』

『アホか! そんな貧相なもんに興味ねーし、第一俺はそんなに暇じゃないっつの!』

『じゃあなんであたしの居場所なんか知りたいのよ?!』

『う……別に知りたい訳じゃない! 気にすんな!』


 なんか肝心な所をはぐらかしたまま、そっぽを向いてしまう。


『…………』

『なに、なんて言ったの?』

『いや、何でもない。まあとにかく、これでおまえは天使の一員になった。それで、とにかくおまえの立ち位置はだな』

『うんうん』

『俺様のペットだ。靴は磨かなくていい。その代わり、俺の傍にいつもいられるよう、天使としての振る舞いと教養をまず磨け!』

『えええええ!!』


―――


 こうして、飛行訓練と教育が始まったのだ。


 あとになってあたしは、エドガーは、前代未聞の元人間天使であるあたしの身を害そう、って輩がいるかも知れないから守ってやる為に印をつけたのだろう、とシャルムさまに言われたんだけれど、その事でお礼を言わなくちゃと思いつつも、エドガーと顔を合わせるとついいつも言いあいになってしまって、その機会を逃してしまうのだった。

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