45・急報

 蒼天はどこまでも明るく高く続く。雲一つない美しい空を、翳りのない白い翼を羽ばたかせながらペガサスは駆け、曳いている王室御用達の立派な馬車と、それを囲む守護騎士たちを乗せたペガサスたちと共に、高く高く舞い上がり、天の見えない道を上ってゆく。見送るあたし達の前で、それは段々と小さくなり……豆粒のようになり……そして遂には、視界から消えた。

 あたしは消えてゆくその光景をしっかりと目に焼き付けた。四百年後のいつか、あたしもあの道を辿ってエドガーを迎えに行けますようにと願いながら。

 エドガーが馬車に乗り込んでその扉が閉められた途端、啜り泣きは嗚咽に、咽び泣きに変わっていたけど、視界から消えてしまって暫く経つと、皆は徐々に正気を取り戻したようにゆっくりと動き始める。エドガーは行ってしまった……誉れあるお務めに。嘆いても今は戻らない。エドガーの望んだように皆が幸せに暮らしていく為には、皆が自分の役目を今まで通りに行わなければ。暫くは火が消えたようであっても、シャルムさまが戻って来れば、徐々に日常に返ってゆくだろう……。

 あたしは半ば茫然としながら、いつまでもエドガーが消えてった空を眺めてた。傍ではカステリアさまが泣いている。


「良かった……最後に、王妃陛下とのわだかまりがとけて……」


 と呟いてる。あたしもそう思う。お母さんに愛されていない……それは、あたしにもどうする事も出来ない、エドガーが長年抱えていたトラウマだって知っていたから。エドガーは強いから、そんな事は何でもない、って振りをしてたけど、本当は傷ついていたし、王妃陛下の本心を知って、とても嬉しかった筈。


 そんな王妃陛下は、みんなが大聖堂を出てゆく中、あたしに近づいて来られた。傍らのカステリアさまとレガートさまははっとして跪き、あたしも慌ててそれに倣う。

 王妃陛下はまだ泣き顔を腫らしていたけれど、それでもいつもの威厳を保って、


「エアリス……エドガーに、そなたを娘と思うよう、頼まれました」


 といきなり本題に入られた。いつの間にか、国王陛下も傍にいらしてた。


「……畏れ多い事でございます。わたくしはエドガー殿下……陛下の、ペットに過ぎず……」

「でも、比翼でしょう」


 と王妃陛下は弱々しく笑む。


「結局、エドガー陛下は、どうしてわたくしを比翼にしたのか、教えて下さいませんでした……」


 そう。日々が慌ただしくて、結局聞くのを忘れてた。『知ったらがっかりするからまだ教えない』なんて、尋ねた時に言われたっけ……。


「あの子は、模範的な贄の王子ではなかった。運命を憎み、もがいていた。わたくしはそれを知りつつも、誉れあるお務めをそのように思うとは不徳、と思い、抑えつけてばかりだった……。でも、そなたと出会い、比翼にして、あの子は変わったのです。悟りながらも、わたくしはそれを受け入れたくなかった……あの子を殺す人間のひとりが、あの子を救うなんて思いたくなかったからだ、と今はわかります」


『人間が大嫌いだ!』


 出会ったばかりの時のエドガーの言葉。そう、円環のお務めは人間の為の犠牲。エドガーや王妃陛下が、人間を護るべき立場でありながら人間を憎んでた気持ちがいまは理解できる。


「王妃陛下。わたくしはただ、エドガーさまが秘めていた、全世界への慈悲の心を、ほんの少し揺り動かすきっかけになったに過ぎません。わたくしこそ、エドガーさまに救われ、今ここにあり、大変な恩義を感じております」

「エアリス……」

「レガートさまには、わたくしを娶りたい、と有り難き申し出を頂きましたが、わたくしは、いま、違う事を考えています。わたくしはもっと天使として研鑽を積み、次期天使長であるレガートさまの側近としてお助け出来たら、と考えています。少しでも、エドガーさまの愛するセラフィムの役に立ちたい……元人間風情のわたくしが、おこがましい、とお思いかも知れませんが……」

「エアリスちゃん……」


 そう……ここ数日、考えていた事。エドガーと離れて、あたしに何が出来るのか。ただ、祈ったり歌ったりするだけで毎日を過ごしていていいのか。そうじゃない……あたしにも、セラフィムの為に、出来る事がある筈。それが、レガートさまを癒せる事であれば更にいい。そうして、四百年を幸せに過ごして待つんだ。


「それは、エドガーの為に考えたこと……?」

「はい。わたくしは、セラフィムの為に働きながら、エドガーさまがお務めを終えてお戻りになる日を待ち続けます」


 王妃陛下は目頭を押さえて、


「ごめんなさい、エアリス。わたくしはそなたを誤解していました」


 そのまま、あたしを抱擁されたので、あたしは緊張に固まった。でも王妃陛下は、


「エドガーの比翼……悪い存在である筈がなかったのに……。エドガーの望み通り、わたくしはそなたを娘として扱いましょう」


 と涙声で仰った。

 アリーシャが立ち去って、魅了の効果もなくなって、王妃陛下は素に戻られたのかな……嬉しい……。


「勿体ないお言葉……ありがとうございます。王妃陛下のお気持ちは、きっと今頃エドガーさまに伝わっていると思います」


 王妃陛下は解って下さったよ、エドガー……きっとあたしのこの気持ち、伝わっているよね。


 国王陛下は黙ってこの様子を眺めておられたけど、


「わたしもエアリスを我が娘と思おう。……だが、問題は、アリーシャとその子どもだな……。こうなったからには、シャルムがカステリアを娶って王太子となり、レガートとエアリスが結婚するのが一番良い事に思えるが……我々はミカエリスと約束してしまった。エドガーは最後まで、アリーシャの子は自分の子ではないと主張していたのに」


 だからあたしはレガートさまと結婚はしませんってば、と言いたかったけど、流れを壊しそうなので口をつぐんでいた。するとあたしの気持ちを察したレガートさまが後ろからあたしの肩に手を置いて、


「別に僕は今まで通りでも構わないよ。エアリスちゃんが僕の手伝いをしたいって言ってくれただけで嬉しいよ。後は、エアリスちゃん次第……別に、返事は四百年保留にしてくれたっていいんだよ」

「もう……なんでそんなに優しい事ばっかり……。それじゃレガートさまが不幸になっちゃいます」

「ならないよ。僕はエアリスちゃんが幸せな気持ちでいられるようにしたいのが望みなんだから、別に結婚という形には拘ってないよ。僕に求婚されてるって事で、エアリスちゃんの立場を守りたい、って意図もあったけど、エアリスちゃんは王女さまになっちゃうのかな? だったら僕の方が格下だね、あはは」

「王女さまだなんて! あたしは両陛下の先ほどのお心だけ頂ければ、それだけでも有り難すぎるくらいです」


 王女さま。この言葉を口にした時、あたしははっと何かが脳裏を稲妻のように走るのを感じた! ちょっと、待って! もしかしてもしかしたら……!


『なんだか真実は単純な事だという気もする』


 エドガーの言葉が耳に甦る。


 王妃陛下は国王陛下のお言葉に溜息をついて、


「本当に陛下の仰る通り……。わたくしは、直系の血などに拘った訳ではありません。ただ、エドガーがいなくなる事が辛くて……せめて忘れ形見が欲しいと……エドガーの赤ちゃんの成長を見守れたら、などという思いに憑りつかれて、エドガー自身の気持ちを蔑ろにしてしまった……。エドガーにもっともっと詫びを言わなければならなかった……。おまけに、エアリスへの憎しみに囚われ、アリーシャの一方的な言葉を鵜呑みにして、エアリスの命を危険に晒し、大切な『贄の王子の願い』を使わせてしまったなんて! 本当にわたくしはなんと愚かな母だったのでしょう!」


 涙は一旦枯れたかと思ったのに、また王妃陛下は泣きだした。そう言えば『贄の王子の願い』って何だったんだろう……。


「……リーゼリア、王族の血の薄いそなたがアリーシャに魅了されていたのは仕方のない事。無理に解呪すればそなたの心身に危険があるかも知れん、と言い出したのもエドガーだ。全ては、アリーシャの企みだったのだから、己を責めるな。責めてもエドガーは喜ばん」

「……どういう事ですの? 魅了……?」

「うむ、古のミカエリスには、魅了の術というものが存在したそうで……」

「待ってください、陛下!」


 畏れ多くもあたしが陛下の言葉を遮ったので、皆さまは驚いてあたしを見る。不敬だとは判っていたけど、あたしは自分の思い付きを伝えようと必死だった。


「発言をお許しください。陛下、『古のミカエリスの魅了』ということに、私たちは捉われすぎていたのでは?」

「どういう事かね?」

「エドガーさまは、『古のミカエリスの魅了』は、皆を幸福な気持ちにさせるもので、アリーシャ妃の使われたような、洗脳に近いものではなかった筈、と仰ってました。つまり、私たちは、あれを魅了と呼んでいたけれど、ミカエリスの魅了とは全く関係なかったのでは!」

「何が言いたいの、エアリス」


 とカステリアさま。


「つまり、あのアリーシャ妃は、本当に本物の、ミカエリスから嫁いで来られたアリーシャ姫だったんだろうか、という事です。邪悪な何者かが、道中で密かに姫に憑りつくか成り変わるか……していたのでは? だったら、『ミカエリスの姫ともあろう方がこんな事をなさるなんて』と感じた多くの出来事に説明がつきます。推測で申し上げてはいけない事かも知れませんが、もし当たっていたら非常事態……。当たっていたら、アリーシャ妃の御子がエドガーさまの御子でないという事も説明がつきます」

「…………!!」


 あたしの言葉に、皆さまは強い衝撃の色を走らせる。


「そんな……でも、たしかに……」

「いや、あれだけの輿入れ行列で警護は万全だった筈……」

「でも、長い旅路で、侍女だけを連れて散策なさったりされる事はあるかも知れませんわ。だって、この平和な天界で、賊が出るなんて普通思いませんもの!」

「侍女ごと成り変わった……? でも、あの天使長がそれに気づかないなんて事があるだろうか?」

「尋常ではない魔力をもってすれば、欺く事も可能だったかも知れません。現に、思い返せばあの初顔合わせの日、ミカエリスの天使長は、姫の言動に少し戸惑っているようにも感じました。姫が『自分を無視して勝手に話を進めるな』というような事を仰った時です。ミカエリスの評判では、姫はとても大人しく、公式行事の際に自分の意思を出されるような事はなかった、と……」


 興奮したように意見を交わす皆さま。ああ、ここにエドガーがいて、考えを聞かせてくれたら……。


 でも、この時。


「陛下! 陛下! 一大事でございます!!」


 一人の騎士が興奮状態で大聖堂に駆け込んできた。立派な正装のあちこちに血が滲んでる!!


「何事だ!!」

「円環への御一行が、何者かの襲撃を受けました! エドガーさまの指揮で応戦しましたが、多勢に無勢……とにかく急ぎ城へ知らせよとのエドガーさまの命で、私だけがその場を離れ……。申し訳ございません!」

「なんだと!! すぐに、騎士団を派遣せよ!! 何としてもエドガーらを守るのだ!!」


 聖堂の中に残っていた天使たちの間で大騒ぎが起きる。陛下は指示を出す為、急ぎ足で歩き去られた。


「ああ、なんということ……御神よ、エドガーを、シャルムをお守りください……」


 そう呟いて、王妃陛下は失神なさってしまう。

 あたしは、あたしの説が正しかったんだとより確信を強めた。アリーシャが手引きしたに違いない。


「そんな……そんなことって……」


 カステリアさまは茫然とした様子。あたしはぎゅっと両手を握りしめた。


(お願い、お願い、無事でいて、エドガー!!)

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