46・斬り裂かれたマント

  伝令の騎士さまの案内で騎士団が現場に急行すると、既に戦いは終わっていた。


 聖域である円環に大人数で近づくのは憚られる事なので、馬車に随行していたのは、騎士団長以下数名に過ぎなかった。いずれも他国にまで名が通った猛者であったらしいけれど、生き残った伝令騎士さまの話では、襲ってきたのは、『辺りを真っ暗にする程の数百の黒き異形』……エドガーもシャルムさまもかなりの剣の腕前とは聞いていたけれど、ふたりともそもそも儀礼用の剣しか持たず、ちゃんとした武装なんてしていなかった。

 現場には、横転した無人の馬車と、血に塗れた騎士さまたちの遺体、そして斬り伏せられた数十の異形の襲撃者の遺骸のみ……。エドガーとシャルムさまの消息は全く判らない……勿論アリーシャも。

 不幸中の幸いと言えるのかどうか……伝令騎士さまは目にしていた。アリーシャが襲撃者に命令を下すのを。これで、アリーシャの魅了は完全に終わった。皆はアリーシャが悪であると確信せざるを得なかった。

 ……でも、どうして……? アリーシャの目的は、エドガーにお務めをさせて、シャルムさまや皆を魅了して王太子妃になり、誰の子か知れぬ子を産んで、セラフィムを牛耳る事ではなかったの……? 魅了を続けたいならば、アリーシャは伝令騎士さまを見逃す筈がない。


 あたし達も現場に行った。騎士さまたちの亡骸の間に、エドガーの纏っていた紺地のマントが落ちていた。そして恐ろしい事に、マントは斬り裂かれ、大量ではないものの、べっとりと血がついていた……誰かが、背後からエドガーを刺した……多分、アリーシャ……? 何故なら、騎士さまたちの傷は鉤爪のようなものによる裂傷だったけれど、これは刃物による傷だから……。でも、なんでアリーシャに背を見せるようなことを?

 あたしは思わずマントを抱き締めて、エドガーの命の無事を祈って涙を落し、カステリアさまも泣きながらあたしに寄り添って祈りの言葉を呟かれたけれど、レガートさまは冷静さを保とうと努めているようで、周囲を見回して、


「もしもただ、エドガーさまとシャルムさまのお命だけが目的でそれが果たされたなら、ここに死を示すものがある筈です。それがないのは、お二人が生きて何処かへ連れ去られたからに相違ないと思います」


 と陛下に仰った。


「そうだな。願望を含めてだが、私もそう思う……贄の王子が道中で攫われるなど、前代未聞だ。もしやこれは、魔族の仕業なのだろうか……」


 陛下は声を落とされる。この無惨な鉤爪の跡は、人型の敵とは思えず、この天界に、天使を襲うような大型獣はいない筈。

 魔族は太古から、天界の円環の破壊を目論んでいた。天界の円環は光の円環、魔界にも円環があって、闇の円環と呼ばれている。両者は逆回りして、光の円環は人間界を秩序に導き、闇の円環は人間界を混沌に陥らせようとしている。それが人間界の、善悪の拮抗のとれた状態を生み出している。でも、魔族はただ混沌を望んでいる……。

 魔族と言えば、堕天して魔族となったリベカを思い出す。リベカは、『魔界は円環の儀を阻止したい』って言ってたっけ……。自分の恨みと魔界の望み、両方を果たす為にエドガーを殺すと……。その言葉をエドガー達に伝えたら、『魔族はみんな古来からそう狙ってるんだよ』なんて言ってたけど、いま、本気で魔界は天界を攻めに来ている……?


「もしかしたら、魔族は円環の儀を壊すと同時に、エドガーさまの魔力を欲して、どこかへ連れ去ったのかも知れません。円環が止まり、贄の王子の魔力が魔界のものになれば、天界も人間界も魔界の支配下に……」


 レガートさまの言葉に、あたしは続けて叫ぶ。


「私たちの知っているアリーシャ妃が、魔族が成り変わったものだとすれば、符号は合います! 魔族は人間界に出入り出来る。彼女は人間の貴族に成りすまし、無作為に糸をつけた私を殺した……。だって、私を殺した貴族の紋章の入ったブローチを持っていましたから! 糸は、元々私を覗き見する為のものではなく、輪廻の螺旋にいた私を、引っ張って魔界まで落とす為のもの……。そうすれば、天界に侵入する為の真穴が、狙った位置に開きますから!」


 そうだ、記憶が浄化されていく途中で螺旋から落っこちたあたしだけど、何だか誰かに足を引っ張られた感じがした、と今更に思い出す。あの、紋章の入ったブローチは、リベカとは無関係で、元々アリーシャのものだったに違いない。大事に天界まで持って来てたのは、何らかの魔道具なのかも知れない。あれは、シャルムさまにお預けしたまま……。


「でも、きみが螺旋から落ちた時の真穴は、即座にエドガーさまが塞いだと聞いたけど」

「そうですね。まさかあたしが誰かに拾われるとは……しかもよりにもよってエドガーさまに、とは全く予期してなかったでしょう。でも、糸付きの人間が贄の王子の比翼に。最初の目論見は外れたけど、何かに使えると思ったでしょうね」

「だけど、一体どうやってアリーシャ妃や侍女に成りすました高位魔族とその眷属、襲って来た魔族は天界に侵入した?」

「リベカがあたしを亡き者にしようと、あたしの翼を使えなくして真穴を開けた事があったじゃないですか。あの小さな穴は、魔界がすぐさま感知する事もないだろうって、翌朝までそのままにされてたと聞きました。それでリベカはあそこから飛び降りて魔界へ堕ちて堕天使になった。それと入れ替わりに、糸を通して真穴が開いた事をすぐに知った魔界が、人間界にいた偽のアリーシャ妃やその他の魔族を送り込み、かれらは好機が来るまでどこかに潜んでいたのでは? 彼女たちの目的は、セラフィムを乗っ取る事じゃなかった。目的は、円環の儀を阻止する為に、天界に攻め入ること……!!」


 ……この時。

 どこかから、聞き覚えのある高笑いが響いて来た。


『愚かな元人間が、随分賢くなったこと! 贄の王子の比翼になったから、おつむも良くなるなんてあるのかしら?』


 アリーシャだ! 騎士さま達が慌てて声の出所を探すと、馬車の中から、あのブローチの紋章と同じものが彫られた指輪が見つかった。どうやら魔道具で通信の機能があるようだ。ブローチはシャルムさまから取り上げたに違いない!


「貴様! エドガーさまとシャルムさまをどうした!!」

『あらあら、命を捨ててあたしを庇った騎士道精神を発揮した者の言葉遣いじゃないわね、レガート!』

「五月蠅い! 早くお二人の現状を言えよ! それを知らしめて交渉でもしようと、こんな手段で通信してきたんだろうが!!」


 今まで一度たりとも声を荒げた事のなかったレガートさまが、まだ傷も完全に癒えていないのに、必死の形相で叫ぶ。


『交渉の余地なんてないわよ。その娘が推測した通り……そして贄の王子を手に入れ、あたし達の、魔界の勝利は決まったも同然。その勝利宣告と、おまえたちに絶望を与えようという親切心よ? シャルムは、魔界一と言われるあたしの本気の洗脳に屈したわ。そして、エドガーを背後から刺した……信頼し合った兄弟の裏切り、面白かったわよぉ! その後、シャルムは一瞬正気を取り戻して、これ以上利用されまいと意識を閉ざしてしまったのは残念だけどね? 儀式用の短剣だから、勿論エドガーは死んでないわ。でも、傷口から、魔族の瘴気をたっぷり注ぎ込んでやった。それでも抵抗しようとしてたけど、逆らえば城に残ったあたしの部下がエアリスを殺すわよ、って言ったら大人しくなったわ。今は、魔力を魔具に吸い込んで頂戴してるところ。全部魔力を抜かれたら死ぬわね。円環の儀はこれで成立しなくなり、光の円環は壊れるわ。あはは……!!』


 ぶちっと通信が切れた。何と、陛下が指輪を踏み潰されたのだ!


「へ、陛下!」

「これ以上、魔族の邪悪な言葉に耳を傾けてはいかん! どうせこの指輪からあやつの居場所を探知するのは不可能だろう。良いか、まだエドガーもシャルムも生きている! 今の話から得た情報の肝はそこだ。どうにかして場所を特定せよ! エドガーが持ちこたえるのを信じるのだ!」

「陛下、私はこの辺りの地理に通じています。この戦闘後から、そう遠くへは移動していない筈。確か、少し行った先に、寂れた聖堂があります。魔族が聖堂に身を隠すとは思うまい、という計算でしょうが、半年間も聖王国の王太子妃に化けていた程の者なら造作もないでしょう」

「レガート、そなたは傷が癒えていない。その場所を示せば、騎士たちを向かわせよう」

「いえ、陛下、多勢で行けば奴を刺激するでしょう。何と言っても、お二人を質に取られているのですから、接近をあの女に気付かれてはいけません。……私とエアリス、それに騎士を数名付けて頂けたら。エアリスはエドガーさまの比翼、きっと役に立ってくれる筈。策がありますから。他の騎士たちは、私の読みが外れていた時の為に、よそを捜索させて下さい!」


 レガートさま……まだ自力で飛ぶことも出来ないのに、幼馴染のお二人を救おうと必死な様子。

 ああ、エドガーは比翼のあたしの居場所を感じられるのに、何故あたしはエドガーがどこにいるのか、分からないのか。無力さに涙が出そう。でも、レガートさまについていこう。きっと手伝える事がある筈……。


「判った、そちらはそなたとエアリスに任す。他の者は近辺を捜索する。まずカステリアはすぐに城へ戻り、アリーシャの残した侍女たちを探して尋問するよう伝えてくれ」


 と陛下。

 カステリアさまは捜索に参加出来ないのが悔しそうではあったけど、自分に出来る事をしようと、ペガサスを急かしてお城へ戻って行った。

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