18・今まで通りと言われても
でも、翌朝には何とか気分を切り替えた。泣くだけ泣いたら、何が悲しかったのか良く解らなくなる、前向きなあたしの脳。
とにかく、『まだ時間はある』。めそめそうじうじしてても、いい事がある訳ない。
朝食の席にいくのは勇気が要ったけれど、何とか自然な振る舞いであたしはエドガーにおはようと言えた。
「おう、寝坊助。今日はちゃんと眠れたのか」
と、エドガーも何もなかったみたいな返しで、機嫌は直ったみたい。ほっ。
いつも通りの朝。最近はあたしも殆ど天界の食事に慣れて、同じメニューを頂く。でもエドガーは、ちょっとよそ見している間に、食べかけのお皿をすり替えたり、とか、本当に王子さまですかと言いたくなる程子どもみたいにマナーが悪い。
でも、今ではシャルムさまから、あたしの食事を盗るのは、誰かがあたしに嫌がらせで変なものを食事に混ぜたりしていないか、確認する為にやっていた事だって、密かに教えて貰っていたので、悪い気はしない。それにしても、最初の頃は確かに、色んな所からあたしへの敵意みたいなものは感じられていたけど、今ではもうそんな心配はないっていうのに、変なの。
あたしの食べかけの料理をおいしそうにぱくついているエドガーを見ていると、何だか複雑な気分になってくる。人間の世界では、そういう事って、家族や恋人でしかしないと思うのだけど(というか王子さまはしないと思うのだけど)、天使の感覚は多分違うんだよね? でも、なんか少しくすぐったい気持ち。
「あ、おまえ、もっとこれ喰う?」
なんて自分の食べかけも差し出して来たりして、更にもやもやしながらも、思わず頂いてしまう。だ、だって、食べ物は粗末にしちゃいけないもんね!
それにしても、あんまりにもエドガーが普段通りなので、昨日と一昨日の事がまるでなかったみたいで、何だかおかしな感じもする。あたしはあんなに悩んだのに、そしてエドガーもあんなに怒っていたのに、どうしたんだろう?
食事が終わり、執務に出かけようとしているエドガーに、あたしは思い切って聞いてみた。
「あの……レガートさまとはあれからお話ししたの?」
一瞬口角が下がったけど、エドガーはめんどくさそうに、
「ああ、あいつは暫く出禁にしといたから話してねーよ。ま……そのうち許してやるつもりではいるから、心配すんな」
明らかに、この話はしたくない、という感じだったので、あたしもそれ以上は突っ込めなかった。
―――
エドガーがいつもの通りに出かけてしまって、あたしは何だか拍子抜けしてしまった。怒鳴られたり泣いたりするかも知れない覚悟で朝食に臨んだのに、あまりにいつもの朝だったから。
でも、何だかエドガーは、考える事から逃げてるようにも感じた。いつも通りにしていれば、いつも通りの日々が続くと……そう願っているみたいに。
あれれ? そう願っていたのはあたしなのに。エドガーが結婚してしまって今の生活がなくなってしまうまで、あまり時間がないかも、って思っただけで、凄く悲しくなって。
そう言えば、エドガー自身は結婚を望んでいない、って噂話を聞いたんだった。エドガーも、あたしとの今の生活が続けばいい、って思ってる……なんて考えてもいいのかな。それを、レガートさまが壊そうとしたから、怒った……?
エドガー自身は今のままがいいと思っているのに、シャルムさまやレガートさまやカステリアさまが、エドガーは結婚しなくちゃいけない、って思っているのなら、例えばそれが国王陛下のお望みだとしたって、本当はおかしいよね。でも、王太子さまなんだから仕方がないんだろうか。王族や貴族は、平民とは違って自分の意志より家の都合で結婚させられる、とは人間界ではよく言われていたけど、やっぱ天使の世界でもそうなのかな……。だとしたら……結婚が王太子の責任なんだとしたら、それはやらなくちゃならない事だよね。エドガーの、立場に対する責任感は誰よりも強い、ってあたしも知ってる。
『まだ時間はあるじゃないか』
つまり、結婚自体はエドガーも受け入れているけど、残された時間は自由にしたいのに、レガートさまが横槍を入れたので怒った……でいいよね。
ホント、あんなにエドガー大好きなレガートさまは、何を考えて『なんで今』だったんだろう。マニーさんの言うように、あの告白が本気のものだとしても、そういう状況なら、エドガーが結婚してしまってから言えばいいのに?
―――
あんまり思いつめても、どうしようもないものはどうしようもない。別に、結婚したって、二度と会えない訳でもない……多分。
とにかく、エドガーはいつ結婚するんだろう? 以前にエドガーに、結婚をどう思っているのか直接聞いた時には、なんかうまくはぐらかされちゃった気がするし、今は……なにか色んな意味で怖くて直接なんて聞けない。
円環の儀に関する質問は禁止されてしまったけど、結婚の予定はどうなっているのか位、聞いてみたってそう酷く怒られることもないだろう……と思って、あたしはシャルムさまに聞きに行く事にした。
「え、兄上はいつ結婚するのか、だって?」
執務の合間にシャルムさまが中庭に休憩に出られる時間をあたしはちゃんと知っている。勿論エドガーのもだけど、エドガーには毎朝会えるので、わざわざそこを狙って会いに行った事はないけれど。
それはともかく、シャルムさまは怪訝そうに、
「何故? ああ、レガートに言われた事から気になったのかな?」
「あ、ああ~ご存知なんですか、それ」
「いや、彼からは直接聞いてないけれど、兄上に出禁にされるなんて余程の事だから、兄上に何があったのか聞いてみてね。そうしたら、『あいつ、俺のものを横取りしようとしやがるから』って仰って。まあでも、誰が誰を好きになるかなんて自由だから。別に貴女を無理やり兄上から引きはがそうという訳でもないのだし、そのうちお怒りは収まると思うよ」
「はあ。まあ今朝も、『そのうち許してやるつもり』とは言ってましたけども」
「そう……兄上は、どこまで解っておられるのかな……」
なんだかシャルムさまは憂い顔になってしまう。あの、あたしの質問の答えは……?
「兄上はね、確かに、両親から、早く妃を娶って子どもを、と言われているけれど、それから逃げ回っているから、別に今の所予定はないんだよ」
「……え?」
「ん?」
「いや、だって、『まだ時間はあるのに、なんで今』みたいな事を言ってたから、あたしは逆に、あまり時間がないのかな、と。結婚してちゃんとしないといけない時期が迫っているから、今は私邸でくらいは、ペットのあたしと戯れてのんびりしていたいけれど、ペットを奪うのか、って感じで怒ったのかなって思って……」
「……なるほど」
シャルムさまは、あたしの言葉を脳内で反芻して吟味しているような表情だったけど、考えを整理されたみたいで、顔を上げて、
「エアリス。兄上は恐らく、誰とも結婚なさるおつもりはないと思います。時間がどうだとか、貴女が考える必要はない。今の兄上との生活が楽しいんでしょう? だったら、何も心配せずに、今まで通りにしているのが一番いい。前にも言ったと思うけど、貴女と兄上の為に」
「そんな。考えなくていい、なんて誤魔化さないで下さい。無理です、犬や猫じゃないんだから、考えます。天使の寿命は五百年もあるんでしょ? だったら、あと何十年かこのままでもいい筈でしょ? なのに、なんだか皆さま焦っているみたい。あたしだけ何も知らなくて、あたしだけ置いてけぼりで……!」
なんか、泣いちゃった。最近涙もろいな、あたし。
でも、そしたら、シャルムさまはちょっと驚いた顔をした後で、あたしの手に触れて、
「貴女だけが何も知らない、という事が、良い事なんですよ。そう……確かに、考えるな、というのは無理な要求だったね。でも、こう考えてみて貰えないだろうか。知らない事が、貴女の強みなのだと。貴女が知ってしまえば、兄上は今まで通りに出来なくなるかもしれない、と」
「……でも。何か怖い事が起こるのが、今日か明日か、なんて思いながら過ごすの、耐えられないです。それとも、耐えないと、エドガーの傍にいる資格ないですか?」
「そんな、今日明日、なんて事はないよ。そう……貴女が知るのは、半年以上先。その後だって、決して貴女の悪いようにはしないから。私もレガートも、貴女を全力で護ります」
「シャルムさまとレガートさまが? エドガーは?」
「勿論、兄上は貴女の事を一番に護られると思います。……だから、思いつめないで」
「……っ、もう、いいです。あたしがどうなるか、なんてどうでもいい。エドガーがどうなるのか、知りたかったのに! でも、誰も教えてくれない! 解りましたよ、今まで通り、癒しのペットでいればいいんでしょ?!」
シャルムさま相手にキレ気味になるなんて思ってもなかったけれど。
でも、シャルムさまは冷静に、
「そうお願いします」
と言ったのだった。
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