31・白薔薇姫の毒

 エドガーの結婚式はいよいよ数日後に迫った。

 やっぱりエドガーも普段よりずっと忙しいので、人目のある所でさえ中々会えない。ただ、前祝いの宴は連夜催され、そこでエドガーの顔を見る事は出来る。エドガー……何だか前より少し顔が細くなった気がする。ちゃんと食事してるかな。忙しくてあまり食べれていないのでは? 何度かレガートさまに頼んで、こっそり差し入れはしたけれど。エドガーはすごく喜んでくれたそうだけども……。

 辛いのは、エドガーの隣にいつもいるのは、当然アリーシャ姫だ、という事。美しく着飾ってお似合いなふたり、みんなから祝福されているふたりを、あたしはレガートさまの隣で見ているしかない。


「大丈夫、エアリスちゃん? 無理しなくても、戻っててもいいんだよ?」


 レガートさまのお館でお世話になるようになって程なく、レガートさまはあたしが好きなんだ、って周囲に拡散しちゃった。勿論父上の天使長さまは、半端者のあたしへの求婚なんか認めてくれる訳ないんだけど、一応王妃陛下から身柄を預かった形にはなっているし、今までにもひとときの恋人は何人も入れ替わってきたのだからと、今の遊び相手としては認めて下さっている形。だから、レガートさまといれば、エドガーを見る事が出来る。レガートさまを利用しているみたいで申し訳ないのだけど、レガートさまはいつもの笑顔で、


「エアリスちゃんの望みなら出来る事は叶えてあげたいんだよ」


 なんて言ってくれる。レガートさまは以前にあたしの事を、亡くなった妹のリリアンヌさまみたいに思っていて、幸せにしたいなんて仰ってくれたけど、でもあたしはエドガーが好きなのに、甘え過ぎだとは思う。だけど、レガートさまも、恋愛感情ではないみたいだから……いいよね、って、自分に言い訳してる。


「いいんです。あたし、少しでも長くエドガーを見ていたいから……」


 今やレガートさま派の令嬢たちから一斉に敵視され、カステリアさま派閥の令嬢たちから護って貰っている、という謎状況で夜会に出ているのだけど、勿論程度の低い嫌がらせなんて気にもならないし、カステリアさまのお計らいがありがたいばかりで。

 そんな事より、エドガーがアリーシャ姫に優しく微笑みかけても、鮮やかにダンスを踊っても、それを見てるあたしは、『心の中ではずっとおまえを愛してるって思ってる』と言ったエドガーの言葉に縋るしかない訳で……覚悟してた筈なのに、やっぱり辛い。四百年の別れを思えば大したことではない、と理性では思えても、辛いものは辛い。

 そんなあたしを、いつもレガートさまは心配顔で見て下さっている。



 エドガーがアリーシャ姫から離れてミカエリスの天使長と話している時、侍従の方があたしの所に来た。


「エアリスさま。よろしければ、アリーシャ殿下が貴女様とお話しなさりたいそうです」

「えっ……」

「貴女様は元人間で、エドガー王太子殿下のペット……だそうで。興味がある、と」


 アリーシャ姫と話す? そんな事、考えてもなかったので、あたしなんか眼中にもないだろうとしか思ってなかったので、戸惑ってしまう。


「この令嬢は私がエスコートしているのです。私も同行してよろしいですか?」


 ってレガートさまが援護してくれたけど、侍従は頑なで、


「エアリスさまだけをお連れしろと仰せですので」


 と断られた。次期天使長のレガートさまでも、アリーシャ姫には逆らえない。だけどそれでも抗議の言葉を放とうとしているのがわかって、あたしは急いで、


「わかりました、行きます。レガートさま、ちょっとお傍を離れますね!」


 と答えた。


「大丈夫?」

「平気ですよ。どんなお方なのか、自分の目で見て来ます」


 また出ちゃった強がり。敵う筈もない相手に対して、本当は怖いんだけど。


―――


「そなたが、エドガーさまのペットの人間?」


 とアリーシャ姫は、ふんわかした気持ちの良い声で仰る。


「はい。エドガー殿下に天使の身体を頂きました。私はエドガー殿下のお心をお慰めする道化でございます」


 考えていた台詞を言えた。


 アリーシャ姫は幾重にもレースを重ねた豪華な真紅のドレスを纏っていて、複雑に結い上げてキラキラしたティアラを飾った金髪は眩く輝かんばかり。お美しい、以外の感想は湧きません。


「道化ねえ……でも、元人間が、話に聞くと随分ご寵愛だったそうで。しかも、今はレガート殿の恋人だとか。セラフィム王国の方は、皆さま好みが変わっているのかしら」


 はい、来ました、嫌味が。

 でも、アリーシャ姫の表情は心から思った事を言っている、という風にしか見えなくて、嫌味の自覚もないのかも知れない。まあ確かに、嫌味と言うより、心からの疑問だと思った方が正しいのかも。こんな平々凡々の容姿のあたしが王族貴族に可愛がられるなんて。でも、レガートさまが見繕って下さったセンスのあるドレスに、最初より随分まともな大きさになった翼を鏡で見ると、自分ではそこまで捨てたものでもないとは思うけども。けども……そりゃあ勿論、アリーシャ姫と並んだら宝石と石ころみたいなものな訳で……ああ、エドガー、こっちを見ないで欲しい……。

 けれども、アリーシャ姫は固くなって立っているあたしを手招きして、隣に座れと言ってくる。なんかの嫌がらせですかと思いたくなるあたしの僻み。でも勿論姫はあたしの事をエドガーのペットとしか思っていない訳で、余程歪んだ性格でない限り、嫌がらせをする理由は特にない筈。

 傍に座ったあたしにアリーシャ姫は、


「エドガーさまに対するのと同じように、わたくしも楽しませてくれると嬉しいわ」

「は、はい……でも、本当は特に私は何かの芸が出来るとか言う訳ではないのです」

「まあ、じゃあ何故エドガーさまはそなたをお気に召したのかしら?」

「恐らく、人間だったというのが珍しかったのではないかと存じます。最初の頃は私もエドガーさまがどれ程偉大な方か理解しておらずに、無礼な物言いも致しましたのですが、それが逆に新鮮に感じて頂けたのでは……お心の広いお方ですから」


 ……不思議だ。胸の内では過去に経験のない程どす黒い嫉妬が渦巻いているというのに、あたしはとても冷静に受け答えが出来ている。姫には何の悪い所もないのに、と思えば思う程、無邪気にあたしのエドガーを奪い、幸せを壊したこのひとが憎らしくて。ああ、あたしって嫌な奴だ……。


 でも、次の瞬間、そんなぐちゃぐちゃした感情は吹っ飛んだ。

 姫のお付きの人々が監視している中、アリーシャ姫は楽し気に優し気にあたしに顔を寄せてきて、あたしにしか聞こえないように囁きかけてきたのだ。


「そうじゃないでしょ。それだけの筈ないわ。比翼にするくらいだもの……」


 瞬間、息も出来ない程の衝撃を感じた。何故、何故、信じあった五人しか知らない筈の秘密をこのひとが知っているの!

 あたしは顔色を変えまいと必死なまま、なんとか、


「なんの事でしょうか? 比翼……って? 生憎、まだ天界の言葉には、存じてない言葉もあって……」

「誤魔化さなくていいのよ。ちゃんと知っているんだから。だって、あのひとが話してくれたもの……」

「あのひと……?」

「もちろんエドガーよ! あのひと、おまえには、心変わりなんてしない、って言ったんでしょ。お馬鹿さんね……そんなの、哀れなおまえへの慰めに決まってるじゃないの!」


 可憐な笑顔であたしの髪を撫で、本当にペットを可愛がるような無垢な様子で、姫は言葉の毒を投げつけて来る。周囲の人は、あたしが微かに震えているのを、緊張しているのだろうという位にしか思っていないみたいだけど。


「なん……のことか、わかりません……」

「だからぁ、お芝居は今はしなくっていいの。馬鹿ねぇ、本当に、自分の方がわたくしより愛されてると思ったの? そんなことある訳ないじゃない。わたくしは古きミカエリスの白薔薇と呼ばれる王女、おまえは人間、しかも人間の貴族ですらない、下民……。あのひとは、初めてふたりになった途端に、愛を告げてきたわ。そして、懺悔したわ。一時の気まぐれでおまえを比翼にしてしまって、妃になるわたくしに申し訳ないと。おまえの事なんかどうでもいいのに、とても後悔していると」


 うそ。うそ……!!

 でも……アリーシャ姫に、シャルムさま、レガートさま、カステリアさまが、そんな話をする理由も機会も、あったとは思えない。

 だけど……エドガーを疑うなんて……『俺を信じてて欲しい』と言ったエドガーを疑うなんて……。


「よく……わからなくて……エドガー殿下が何故そんな事を仰ったのか、伺ってみないと……」

「余計な事を言うんじゃないわ。おまえの夢を壊したくないから言わないでくれ、というあのひとの気持ちが無駄になるでしょう? でもね、わたくしはそれを聞いて、おまえが不憫になったの。あのひとは女心をよく解っていないのね。儚い嘘の夢なんて、与えられたって、結局、いつか真実を知った時、倍以上の苦しみを味わうだけなのに。だから、わたくしは敢えて教えてあげたのよ。これからは身の程を弁えて、あのひとに近づかないで頂戴」

「でも……お願いです、一度だけでも、ちゃんと話を……」


 この時、ミカエリスの天使長と話していたエドガーが、姫とあたしが一緒にいるのに気が付いた。あたしの様子にはっと顔を強張らせ、こっちに近づいて来ようとする。


「エド……」

「余計な事を言って、わたくしが約束を破ったと思われては困ります。黙って引き下がらないと、罰を与えますよ。おまえなど消してしまうのは難しくはないけれど、おまえのような思い込みの激しい娘は、自分の事より親しい者の身を案じるわね。だから、そうね、おまえが余計な事を言えば、レガートを殺すわ。あの男も馬鹿ね。おまえなんかに入れ込んで……。見てたら解るわ、本気だって。でも、ミカエリスには秘伝の毒があるのよ。この国は、平和ぼけして警備もざるだから、暗殺なんて簡単よ」

「なんて事を。平和の為に嫁いで来られた姫君のお言葉とは思えません」

「平和? わたくしはそんなもの、望んでないわ。子種がないというのも嘘だって聞いたわ。わたくしはあのひとの子を産み、セラフィムの玉座にミカエリスの子を就ける為に来たのよ。この国の王妃も、誰も彼も、なんの危機感もなくって、笑っちゃうわ」


 可憐で健気な姫だなんてとんでもなかった! でも、でもエドガーは騙されてしまったのだろうか?


「アリーシャ姫、エアリス……」


 傍にエドガーが来る。どうしていいか分からず、あたしは慌てて立ち上がる。


「ありがとうございました、アリーシャ殿下」


 そう言うのが精いっぱいで。不審そうなエドガーの視線から逃げるようにあたしはレガートさまのところへ戻った。


「どうしたの、エアリスちゃん」

「レガートさま……」


 駄目だ。何か言えば、レガートさまが……。

 澄んだ琥珀色の瞳に、心配げないろを浮かべたレガートさま。本気だなんて嘘だよね。でも、なんにしたって、あたしのせいで傷つける訳にはいかない。


「ごめんなさい……レガートさま。すこし……気分が悪くて」

「わかった、館に戻ろう。少し横にならなくて大丈夫かい?」

「はい……早く帰りたい……」


 人混みを抜けて、あたしの肩を抱いてレガートさまは宴から連れ出してくれる。背中にエドガーの視線が刺さっているのを感じたけれど、振り向く勇気はなかった。

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