30・お務めと結婚

 いま生きて共にある事が大事だ、とは言っても、エドガーとアリーシャ姫の顔合わせの場から逃げ出して意識を失っていたあたしはやはり、あの後どうなったのかは当然気になる。

 それを口にすると、エドガーは深い溜息をつき、カステリアさまは眼を伏せた。


「はあ……参ったよ全く」

「ええ……素晴らしい策だと思いましたのに」


 アリーシャ姫のたっての願いで、エドガーとの結婚式の準備は着々と進んでいるそうだ。

 ミカエリス王国の狙いは確かに、アリーシャ姫の子どもをセラフィム王国の王太子に据える事だった。あと半年では子どもは生まれないけれど、妊娠する事は出来る。エドガーがお務めに……旅立ったあとで、アリーシャ姫が子どもを産めば、性別に関係なく、第二王子のシャルムさまより上の王位継承権を与えた上で、アリーシャ姫は、望めば赤子を置いて故郷に帰り、望む結婚を出来る……。これが、王妃陛下がミカエリスに約束した内容だったそう。ミカエリスから、子どもを産む道具として差し出された形のアリーシャ姫だけども、その、「子どもを産む」という目的が決して達せられないのであれば、わざわざ第一王女の身を他国に委ねる益はミカエリスには何もない。だからこそ、ミカエリスの天使長は『話が違う』と激怒して帰ろうとし、エドガーの目論見はまんまと達せられそうだったのに……。


 自国の利益の為に、会った事もない王子に乙女を捧げる為にやって来るアリーシャ姫。本当は嬉しい訳がない。だって仮に、どんなにエドガーが理想的な夫になり得るとしても、半年で別れなければならない。エドガーを好きになっても嫌いになっても苦しい思いをするのは目に見えている。

 贄の王子の妃は、贄の妃と呼ばれて崇められ、国母になれる可能性がある上、経産婦であっても処女性を保っているとして扱われて身分の高い人と再婚出来る……エドガーを狙ってた令嬢天使たちがいくら袖にされても諦めなかった狙いは、多くはこの点にあったのだ、とようやくカステリアさまは教えてくれた。

 でも、ミカエリスの第一王女という、既に申し分のない身分を持っているアリーシャ姫にしてみれば、自分の身を投げ出してまで得たい程の魅力的な地位ではないだろう。だから、エドガーのせいで子どもを産めないと知れば、母国から咎められる事もなく元の生活に戻る事が出来た筈で、あの時、エドガーの種なしトンデモ宣言を聞いた誰もが、アリーシャ姫もまた天使長と同じように、怒って国に帰ると言い出すだろうと思った。子どもに恵まれる期待があるならともかく、そうでないと判っていても、妃になれば閨をともにしないといけないのだから。

 なのに。


『わたくしも、エドガーさまに対して、何の不満もございません。たとえ子を産む事が出来なくても……アリーシャはエドガーさまの妻になりとうございます』

『わたくしが、エドガーさまを幸福にしたいのですわ』

『きっと、最期までお傍について、幸せな夢を見せて差し上げますわ……。世界の為に、円環にその身を捧げるさだめの、気高き贄の王子さま! 全ての天使を代表して、わたくしはあなたの癒しになりたいのです』


 それは、多くの者に、おお、なんと健気な姫、という印象を与えた言葉だっただろう。

 『贄の王子』という言葉は、口にしないようにシャルムさまが独断で緘口令を敷いていたので、ずうっと誰も口にしていなかった言葉ではあったけれど、エドガー本人を含めみんな元々知っていたのだから、アリーシャ姫が残酷な事を言った訳ではない。そもそも、その言葉は、王妃陛下が過去に仰っていたように、『誉れ高きお役目』なのだから、本当は禁句にする必要もなかったのだ。シャルムさまはただ、あたしの耳に入らないように、と気を遣って。

 シャルムさまもエドガーも他の方々も、そしてあたしも、本当は、見かけ上の幸せが壊れるのを先延ばしにしているだけだ、って解ってた。

 でも今、結果論になるかも知れないけれど、シャルムさまがして下さった事は無駄なことだったとは思わない。おかげであたしはエドガーの癒しになれて、いつの間にか愛し合えるようになれたもの……。

 だけどそう言えば、エドガーはいつも、何も知らないあたしが癒しで愛してると言ってくれていたけれど、あたしが知ってしまっても、あたしの事を愛せるのだろうか。


「エドガー……その……あたしが知ってしまっても、あたしは、エドガーの癒しになれるの?」


 まだ愛してるのかと聞くのはやや怖かったので、そう聞いてみたら、


「おまえが俺を憐れんでめそめそ泣いてばかりいたとしたら、俺はおまえへの罪悪感で辛くなって、癒しにはなれないだろうな」


 なんて言って来た! でも、口元には、微かに揶揄うような笑みが浮かんでる。なんで……なんでこんな状況で笑えるの?

 するとエドガーは、あたしの考えなんか全部お見通しみたいで、


「さっき、俺が謝ったら、おまえは、『どんな状況でも愛してる』って言ってくれたじゃないか。……今までおまえは充分に俺の癒しでいてくれたよ。むしろ今は、どうやったら俺はおまえを癒してやれるのかと悩んでる。でもさ……おまえは強いだろ……もう、状況を受け入れて、それでも俺を愛してるって言えるじゃないか。俺は、おまえが知ったら、隠し事をして甘い事を言ってた、って思うんじゃないかって心配してた……でも、そんな事はなくてさ。おまえは残りの日々を、めそめそ泣いて過ごしたりしないだろ。おまえは馬鹿だから、俺の為に何が出来るだろう、って一生懸命考えてくれるだろ。それでいいんだよ。知ってもおまえはおまえだった……それが俺にとっては何よりも有り難い。俺はずうっとおまえを愛してるし、おまえのおかげで幸せだよ」


 そう言ってくれた……。『馬鹿だから』は聞かなかった事にしよう。エドガーの物言いは何故かあたしに対しては、悪意なく村の悪ガキレベルになるんだから。


「めそめそなんて……しないよ。ねえ、エドガー……エドガーはそんなに強いのに……贄、って何をするの……。絶対に、帰って来られないの……? あたし……一緒についていけない……?」


 不躾なのは解ってるけど、聞かずにはいられない。贄と言えば、子どもの頃、隣村で雨乞いに、山羊を捧げてているのを見た事がある。そんな風に、ころされてしまう……? 本当に、希望はないの? ないのならば、あたしはエドガーの傍で一緒に死んでしまいたい……。めそめそしないと言いつつも、思わず涙を零してしまう。

 そんなあたしを痛ましげに見たエドガーは、


「ん……。いや、贄、ってのは要するに、俺の魔力を円環に差し出す事だよ。円環、ってのは、御神が人間界の時間が平穏無事に流れていくよう、常に回されているものだ。それを回すには、天使の魔力の供給が必要なんだよ。俺は代替わりまで四百年、円環で……ひとりで眠っていないといけない。だからおまえは、レガートと幸せに生きて欲しい。仮に俺が戻ってこれるとしたって、そんなに待たせたくないしさ」

「! エドガーは魔力が多いもの。きっと、戻ってこれるよ。あたし、待ってる!」


 四百年なんて、気が遠くなりそうだけど、でも、生きてたら待てる。希望があれば、待てる。天使の寿命は五百年だもの。四百年待って、八十年一緒に過ごせたら、それは、幸せ、だろう!


「馬鹿、そんなに簡単に考えるな。おまえはその時その時を楽しんで生きろ。待つだけなんて苦しいだけだ。待ってたって俺は眠ってる間におまえの事を忘れてるかも知れない。だから、そのままどっか行っちまうかも知れないぞ! 待つな、馬鹿」

「エドガーさま……」


 あたしには、何故か悲し気なカステリアさまの呟きも何故か慌てた様子のエドガーの言葉もろくに耳に入らない。エドガーはその場で殺される訳じゃない……希望は、ない訳じゃないんだ! 待つなって言われたって、あたしはその日が来たら、エドガーを迎えに行きたい!

 エドガーはあたしの様子を見て、今はこれ以上言っても仕方がないと思ったのか、また溜息をついて、話題を変えた。


「……それより、今の事だよ。アリーシャ……あれから何度か二人で話したけど、どうも苦手だ。なんていうか、自己犠牲の精神に酔ってるみたいで気持ちが悪い。それに、喋ってる事も、本心なのかわからない」

「あんなに美人で、エドガーの為に尽くすと仰ってるのに……その、心が動いたり、しないの?」


 あんな可憐な姫が「あなたを幸せにしたい」なんてすり寄って来て心が動かないなんてあり得るだろうか? 百人中百人の男が、あたしより姫を選ぶに決まってる。

 でもエドガーはにやっとして、


「妬いてるのか。俺は騙されないよ。作り物みたいな『健気で美しいアリーシャ姫』より、元気で可愛いおまえがいい」


 と恥ずかしい台詞を言う。か、可愛い……って……「愛してるぞ」は挨拶のように振って来てたけど、「可愛い」は初めて言われた気がする。頬を上気させてるあたしに、でもエドガーはふっと表情を引き締めて、


「だけどやっぱり俺は立場上、これからアリーシャと過ごさないといけない時間が増えてくるだろう。そして結婚式が終われば、もうおまえに「愛してる」って言ってやれなくなる」


 そうだ……天使の世界はその辺は厳しい。たとえ王様でも、結婚してから浮気は許されない。勿論妾も持てない。

 だけどエドガーは続けて言う。


「でも、言ってやれなくっても、心の中ではずっとそう思ってる。そう呼びかけてるから、そう思ってて欲しい……。絶対にアリーシャには言わないし、結婚後もあいつには指一本触れないって誓う。あいつにもそう宣言してある。それであいつが諦めて帰ってくれれば、と思ったんだが、あいつは『それでも構いません』としか言わないし……」

「本当に、アリーシャ姫は、エドガーさまに一目惚れされて、ただ傍にいられればいいと思われているのかしら……」


 とカステリアさま。エドガーは顔を顰めて、


「俺にはそうは思えない。何か目的があるとしか……もしかしたら、俺から機密を探る気かも」


 なんて物騒な事を言ったり。


「ねえエドガー……結婚しちゃったら、もうふたりで会えないの……?」


 アリーシャ姫に悪いなと思いつつも聞かずにはいられない。


「おまえのペット枠はそのままだから、昼間の休み時間に中庭で話すくらいは出来る。レガートにエスコートを頼めば、舞踏会でも会える。だから、今までみたいに出来なくても、俺を信じてて欲しい……だって、おまえは俺の比翼だから。秘密の比翼だけど、おまえはアリーシャよりずっと、俺と結びついているんだから」

「エドガーが……旅立っても……?」

「そうだよ。おまえが元気に生きてる限り、俺も元気になれるよ。離れていても、俺はおまえを感じる事が出来る。だから、俺を待たなくていい。レガートがきっとおまえを幸せにしてくれる。おまえが幸せなら、俺は幸せだから……」


 でも……そんな事言ったって、エドガーがいなくて幸せを感じられる自信がない。そもそも、強がっているだけで、やっぱりエドガーは、いくら形式上でも、他の人と結婚しちゃうんだ、って思っただけで、本当はめそめそしてしまいそうなのに。


―――


 エドガーが咄嗟に、あたしを傷つけまいとぼかした言い方をしたので、あたしは存在しない希望に縋り、エドガーは死なない、と思ってしまった。

 円環の儀は、あたしが想像したよりずっと苛酷で、生きて帰って来た王子なんて未だかつて誰もいない、というのが、現実……とあたしは後に知る。

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