5・お礼をしたいと思ったので

 その晩、よくある事なんだけどエドガーは遅くまで本宮殿から帰ってこなかったので、結局昼間助けて貰ったお礼を言う事は出来ず仕舞いだった。


 あたしはだだっ広いベッドでなかなか寝付けずに色んな事を考えた。

 エドガーの結婚話になんで動揺してしまったのか、自分でも良く解らないけれど、考えてみたらあたしはエドガーに助けて貰ってばっかりで、それに対してあたしは文句を言ってばっかりだ。いくら、あたしを勝手にペット扱いするいけすかない奴でも、これじゃよくないよね……。

 そもそも、エドガーはどうして結婚したくないのだろう? 多少態度がアレでも、何といっても次の王様な訳だし、黙ってさえいれば美形なんだから、本気で狙ってる美しい令嬢天使の中から、よりどりみどりだろうに……。

 ふと、あたしはがばっと起き上がる。


「まさか、女の子が嫌い……」


 そう言えば、素直な感じで話してる相手と言えば、シャルムさまとレガートさま以外見た事ない。シャルムさまは弟だから別としても、まさかエドガーが好きなのは、レガートさま?!

 ぼふっと顔が赤くなるのが自分でも分かる。いやいや、ちょっと飛躍しすぎでしょう、あたし! 天使さまに対してなんという事を!


「……だって、天使さまっぽくないんだもん……」


 元々教会で習った話では、天使さまには性別もなく身分も人間みたいに明確でなく、結婚とかも勿論なくって、ただ人間界を護って下さる為に神さまが作られたありがたい存在だという事でしたのに、どうにもここで見聞きする事、体験する事、そりゃあ一介の村娘だったあたしには、人間の王族貴族様がたがどんな風に暮らされているのかなんて知りもしないけれども、なんかこう、想像よりやたら人間に近い。というか人間くさい。キラキラして善意の塊みたいに見えるのはシャルムさまくらいで、レガートさまだって親切ではあるけど、なんか何考えてるのかわかんない部分もあるんだよね。だからどうしても、人間の感覚で考えてしまう。

 まあ、エドガーが男性を好きだなんていうのは飛び過ぎだとしても、女性嫌いだという事は考えられる。いつも、取り巻き令嬢たちに対して鬱陶しそうにしてるしね。

 ……はっ、すると、あたしは? 出来るだけ傍にいるように言われているあたしは、ペットだから、女として見られていない……? 

 元人間風情の猿みたいなペットのあたしを、女性扱いして貰おうなんてそもそも図々しい事かも知れないけれども、でもやっぱりあたしは女の子として生きてきた訳なので、少しがっかりな気はする。


「……まあ、いっか……」


 エドガーが何故結婚したくないのか、そもそも本当に結婚したくないのかさえわからない噂話で、悩んでも仕方がない。そもそも悩む必要もないでしょう。結婚したら、ペットのあたしはどうなるのか、というだけの問題で、今までの事を思えば、いきなり放り出される事もないだろう、と考えておこう。


 そんな事より、お礼だよお礼。

 強気で通して来たけど、義理は忘れない人間だったつもりです。あたしがあたしである以上、天使になったって、そこは一緒。


―――


 翌朝、いつものように朝食をとる為にエドガーの私室に呼ばれたあたし。

 エドガーは昨日の事なんか忘れたみたいに、


「おい、今日は少し遅いぞ、この寝坊助。俺は忙しいんだからな」


 なんて言ってくる。少しだけ遅れたのには理由があるのでちょっとむかっとしたけど、今は我慢。

 ごめんなさいとだけ言って席に付き、いつも通りの食事風景。


「じゃあな、もう馬鹿やるなよ」


 食事が済んで、そう言い捨てて席を立とうとするエドガーに、あたしは、ちょっと待って、と言った。少し不思議そうな顔をするエドガーに、あたしは懐に入れていた包みを差し出す。


「あの……その、昨日はありがとうね? これ……お偉い天使さまのお口にあうかわかんないけど、今朝、厨房借りて作ってみたの。材料が同じじゃなくて似た物だし、うまく出来たか自信ないけど、一応、あたしが得意だったお菓子なの。お仕事の合間にでも、と、思って!」


 ふう。言えた言えた! 義理通せた!

 エドガーは、手渡された包みをぽかんとして眺めてから、


「おまえ……料理とか出来んの?」

「そりゃあ、元々庶民だもの。お料理番なんて雇える訳ないし、これくらい当然よ。あ、でも、あたしは割と上手いっては言われてたんだからね?」


 元々の腕に自信がなければこんな事はしない。でもやっぱり、王子さまのお口に合うかどうかは不安だけども。

 エドガーは暫く、包みとあたしを交互に見ていたけれど、なんとも言えない表情のまま、その場でそれを開け始めた。


「あ、あのっ、後ででいいのよ? 口に合わなかったら、そっと捨てといていいから?」


 目の前で味見されて駄目だしされると流石になんか辛い。でも、そう言ってる間に、エドガーは、ぽいっと焼き菓子を口に放り込む。


「……」

「……」

「……あの……吐き出しても怒ったりしないよ?」


 育ちが違うんだし、好き嫌いもあるんだし、まずいと思われたって、それは仕方ないと最初から思ってる。

 だけど。

 エドガーは、村の悪童みたいににかっと笑って。


「おう、なんだこれ、美味いじゃないか! こんなの初めて喰ったぞ!」


 って言ってくれたのだった……。

 ああよかった、とあたしの胸にもじんわりと安堵が広がる。


 けれども、この時、扉を叩く音がした。あ、なんか嫌な予感。


「エドガーさま? お出ましがいつもより遅くていらっしゃるので、様子を見てこいと父が……」


 聞き覚えのある澄まし声は、公爵令嬢天使の、確か、カステリア嬢。エドガーの取り巻き令嬢の筆頭だ。令嬢の中でも一際美しくて高貴な印象がある。エドガーへの態度を咎められた事はあるけど、他の令嬢のような程度の低い意地悪をされた事はない。でも、あたしの事を好ましく思っていないのはわかっているのでちょっと身構えてしまう。

 彼女は幼馴染でもあるそうで、部屋係は言われるままに扉を開けてしまった。エドガーが立ったまま、彼女にとっては怪しげなものをもぐもぐ食べているのを見たカステリア嬢の柳眉が吊り上がる。包みと、佇んでいるあたしを見て、女の勘で状況を察知したみたい。


「んまあ! エドガーさま、何を召し上がってらっしゃるの!」

「なんだよ、いきなりやって来て。別におまえに関係ないだろ」

「いいえ、おかしなものを召し上がって、毒でも入っていたらどうしますの!」

「……。んなもん入ってねえし、仮にあったって、俺に毒は効かないって知ってるだろ。いちいちうるさいんだよおまえは」

「でもこの娘が渡したものなんでございましょう? 下界の未知の毒が入ってないとは限りませんわ!」


 ……あったとしたって、あたしがどうやって持ち込むって言うんだろう。魂だけの状態でここに来たというのに。怒るというより半ば呆れて見ていると、カステリア嬢はつかつかとエドガーに歩み寄り、


「とにかく、わたくしも毒見させて頂きますわ!」


 と強引に包みを奪おうとする。エドガーの為ならばたとえ怒られたってかまわない、という意気込みが見える。エドガーは不機嫌そうにさっと身を躱したけれど、その拍子に、包みから焼き菓子がこぼれ落ちてしまう。


「あ……」


 床にばら撒かれてへしゃげたお菓子に、思わず、夜中まで考えて早起きして作った苦労が声になって出てしまう。

 エドガーはカステリア嬢を睨み付ける。


「おまえはいつも! 俺の邪魔ばっかりしやがって!」

「も……申し訳ありません……そんなつもりは……」


 青ざめるカステリア嬢が可哀相になってしまう位、エドガーは怖い顔をしている。


「あの、ちょっと、そんな、大袈裟な事じゃないし? カステリアさま、ここの厨房にある材料だけで作りましたから、毒は入ってない、って保証します。それに、エドガー、また作るから、そこまで怒んないで?」


 と思わず口を出してしまうと、折角仲裁してあげようとしたのに、カステリア嬢に睨まれてしまう。


「貴女なんかに気安く話しかけられる覚えはありません! それに、エドガーさまを呼び捨てにするとは何事ですかと前にも言ったでしょう!!」

「おい、カステリア……」

「エドガーさまのお邪魔を致しました事はお詫び致します。皆、待っておりますので、執務室の方へお出ましをお願い致します」


 流石に公爵令嬢、堂々としている。あたしにはそれ以上目もくれずに、彼女はエドガーに一礼して部屋を出て行ってしまった。

 あたしは呆気にとられて扉の方を眺めていたけれど、ふと気づくと、エドガーは床にしゃがみ込んでいる。


「ちょ、ちょお、何やってんのあんた?」


 と、叱られたばかりなのに、あんた呼ばわりしてしまう位にあたしはびっくりした。王子さまの癖に、落ちたお菓子を拾って包みに戻しているではないの! いくら掃除が行き届いた床ってったって、それは王子さまが触るものじゃないでしょ!


「こんな美味いもん、無駄に出来るか。形が崩れただけだ。床は掃除したばっかだし、まだ喰える」

「喰うの?!」


 とまた驚きの声を上げるあたしに向けたエドガーの顔には、もう怒りはない。


「ペットの手作り。こんな珍しいもん持ってるのは、天界広しと言えども俺様だけだ」


 って笑って、ポケットに入れて行ってしまった。


「はぁ……なんか疲れた」


 もし、エドガーがおなかを壊しでもしたら、絶対毒だって言われそうだなって思ったけど、でも、ちょっと、いや、かなり嬉しくもあった。

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