4・また首根っこを掴まれました

 お披露目からひと月が過ぎた。


 エドガー取り巻き令嬢たちの嫌がらせは、エドガーの目につかない所で密かに続いてはいたけれど、陰口叩かれたりものを壊されたりするくらいであたしは別段凹まない。勿論エドガーに言いつける気も起こらない。

 エドガーはあたしをなるべく傍に置きたがったけど(ペットは主人の傍にいるものだと)、やはり王太子である以上、色々な公務があって、あたしのような微妙なものを常に連れ回る事なんて出来る筈もなく、日中は殆ど離れている事が多くて、たまにシャルムさまやレガートさまが時間が空いた時に話し相手になって下さったりはするものの、他にあたしに話しかけてくる天使さまなんていないので、あたしは独りで過ごす事が多かった。

 ちなみに、いくらペット扱いと言っても、別にエドガーと同じ部屋で寝るように言われたりする訳ではない。『俺のペットに相応しい部屋』と言って用意されたあたしの部屋は、とても綺麗で豪華で、村娘だったあたしは未だどうにも慣れずに落ち着けず、部屋にひとりでいるのも居心地が悪いのだった。


 中庭にあるひと際大きな樹。そこに、身体がすっぽりはまって寝心地のいい枝元がある。あたしは勝手にそこをお気に入りにして、そこに書物やお菓子を持ち込んで昼間はダラダラしている事が多かった。あたしは昔っからこういうのが大好きだったんだけど、天使さまには木登りなんて概念もないのか、誰もあたしに気付かない。天空のお城の書物は勿論小難しいものばかりで、娯楽になるものではないのだけど、シャルムさまの教育によって、あたしは歴史書を眺めるのが好きになっていた。


 エドガーがあたしに要求するのは、朝食と、予定のない晩に夕食を共にする事、時々開かれる晩餐会や舞踏会に一緒に付いてくる事、くらいだった。口を開けば『出来の悪いペット』なんて罵ってくるけれど、最初はつられて怒っていたあたしも、これは結局、村の悪ガキレベルの悪態で、本気で馬鹿にしている訳でもないのだ、と解ってきた。

 ……と言っても、やっぱり『不細工なペット』『さっさと喰え、もっと喰え、のろまなペット』なんて言われると、むかついて応戦してしまうんだけど。

 おまけに、王子さまの癖に、晩餐会では当たり前だけど作法通りにきちんと食事しているというのに、あたしと食べる時は、『お、これうまそう』なんて全皿つまみ食いというはしたなさなのだ! 


「ちょっと、それあたしの!」


 言ってみれば居候みたいなあたしではあるのだけど、これは怒ってもいいよね。ただの村人であった時でさえ、こんな事兄弟にしたりしたら怒られたものだもの。自分のお皿にも山盛りある癖に、嫌がらせとしか思えない。

 ちなみに、新米天使のあたしには、エドガーと同じメニューはどうも重すぎて食が進まないので、申し訳ないけど別メニューにして貰っている。なので、もしかしたら王子さまには粗食メニューが物珍しいのかもしれない。でも、だからって、それなら自分用にも作って貰えばいいものを、人のお皿からとるなんてやっぱ色々おかしいでしょ。

 でも、


「怒るなよ。ほれ、こっちを喰え」


 なんて、代わりのつもりなのか、自分のお皿から、あたしの食べられる美味しいものをよそってくれたりもするので、そうなると、むぐぐ、と思いながらも結局、残すのも勿体ないしと頂いてしまうので、それ程怒りは発散できないのだった。

 命を助けて貰い、分不相応な暮らしをさせて貰っているあたしだから、本当はそれくらい我慢しないと、と心の奥では思うのに、あたしが強気で敬語も使わず言い返しても、エドガーは本気で怒ったりあたしを追い払ったりする事もないものだから、元々持ち合わせの少ない『謙虚』というスキルは、全く発動する時がない。

 そして、そんな毎朝が意外と楽しいものだという事に、あたしは少しずつ気づき始めてもいた。


―――


 そしてある日のこと。


 あたしの樹(と勝手に決めている)の下を、二人の衛兵天使さまが通りかかった。

 ちなみに、天使さまは常に飛んでいる訳ではない。飛ぶのはそれなりに疲れるので、普段は普通に歩いている。この天空のお城には雲で出来た地面や床があって、普段はそこを歩いている。雲からは浮力が働いて、翼はそれを受け止めて意識せずとも身体は支えられ、自立出来るという仕組みだそうだ。だから、翼がなければ落ちてしまう。

 それはともかく、樹の下を通りかかった二人の兵士は、あたしに全く気付かずに、声高に話していた。


「それにしても、エドガーさまは一体どうなさるおつもりなんだろう?」

「あの人間の娘?」

「ああ。何せ、円環の儀まであと一年もないんだぞ。早くお妃を決めるよう、毎日王陛下ご夫妻にせっつかれているって専ら噂だけど、あんなのが傍にいちゃ、なあ」

「そう言えば、エドガーさまはお妃を決めるつもりがないんじゃないかって話も聞いたな。だから令嬢がたを牽制するためにあの娘を……」

「ありそうな話だな。そうでもなきゃ、あんな猿みたいな女を侍らせるなんておかしいしな」


 そんな話をしながら、歩き去って行った。別に盗み聞きしようというつもりもなく、彼らが勝手にあたしの傍を通りながら喋ってただけなんだけど、気になる内容にあたしはどきどきしてしまう。

 だって、毎日のように結婚を勧められているなんて、エドガーは全くそんな様子を見せないのに。


『令嬢がたを牽制するためにあの娘を』


 ……やっぱ、あたしはエドガーにとって、都合のいい道具でしかないのかな。

 そうだよね、それ以外にあたしなんかを傍に置いとく理由なんかないよね。猿みたいなペットだもんね。嫌がらせにむかついていたけど、もしかしたら令嬢たちの中には、本気でエドガーがおかしくなったかと心配してる人(天使)もいるかも知れない……。


「…………っく」


 ぽた、って広げたままの本の上に水滴が落ちる。


「? なによこれは……」


 しょっぱい滴。目をこすってみると、どうやらあたしの涙のようだ。


「嘘でしょ……なんで今更」


 あたしが泣いた記憶は、5歳の時に樹から落ちて骨折して、治療があまりに痛かった時、が最後だ。死んだ時は、泣く暇もなかったし。

 なのに、なんで、解ってた筈の事で、今更涙なんか出るんだろう? あたしは唇を引き結んで、頭をふるふると振った。


「バカバカしい……あいつが結婚しようとすまいと、あたしには何も関係ないじゃない」


 でも結婚したらやっぱり朝食はお妃と食べるんだろうな、とか、いやあいつは結婚したくないからあたしを利用してるんだし、とか色んな考えがぐるぐる湧いてきて、気がつけば、あんまり頭を強く振ったせいでクラッとなっていた。


「あう……」


 気づけば、身体が傾いて、樹から落下していた。慌てて翼を動かすけれども、まだ咄嗟に場面に対応できる程飛ぶことに慣れてない。

 急降下していくなか、どっかでばたんと大きな音がした。


「……ぐえ」


 地面すれすれのところであたしは止まった。激突してたら、それなりの大怪我してたかも知れない。


「アホかおまえは!! 何やってんだこのドジペット!!」


 首根っこを掴まれてました。


「エドガー……な、なんでここに??」

「おまえの居場所はわかると言ったろうが。俺様は忙しいんだ。馬鹿やって手間かけさせんじゃねーよ、馬鹿っ!!」

「ば……馬鹿馬鹿言わないでよ! 別に好きで落っこちた訳じゃないし!」

「じゃあ尚更馬鹿だろうが」


 そう言いつつ、エドガーはあたしを下ろすと、さっさと二階へ向かって飛んで行く。会議室の窓が開いていて、そこからこちらの様子を眺めるシャルムさまのお顔がちらりと見えた。

 会議の途中で気づいて、すっ飛んで来てくれたんだ……。なのに、あたしはお礼を言うのを忘れてしまったままだった。

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