9・悪意と、救いの手

「ともかく、今日はエアリスの事も少しわかりましたし、有意義だったと思います。何と言っても、エドガーさまがペットとしてエアリスをお気に入りであるのは間違いないし、エアリスもそれを弁えて身の程知らずに思い上がっている訳ではないと判りましたので、わたくしはエアリスを認めます。皆も、つまらない嫌がらせは程ほどにしておきなさいな。でないと、本当に、この娘の言うように、自らの程度を下げる事になってしまいますよ」


 カステリアさまの締めに、他の令嬢方は明らかに不服そうだった。


「わたくしには、この娘が身の程を弁えているとは思えません。むしろ罰を与えたいくらいですわ」


 と物騒な事を言うのはリベカさま。罰ってなに、罰って!


「そんな事をしても、エドガーさまの不興をかうだけですよ」

「それでも! 人間風情がここにいられるだけでも有り難がって這いつくばるべきなのに、調子に乗り過ぎですわ!」

「エアリスはもう、天使の一員として認められているのです。いつまでも拘っていても仕方がないでしょう」


 何故カステリアさまがそう、あたしを庇ってくれるのかよく解らないけれど、とにかくこれでピクニックはお開きになった。ああ、足が凝った……。


 従者の方々が後片付けをし、カステリアさまが木陰で休んでいる時。

 リベカさまと他二人の令嬢が怖い顔であたしの方へやって来た。宣戦布告かな? 受けて立ちますよ?


「エアリス、カステリアさまをうまく懐柔したつもりでいるかも知れないけど、わたくしには、あなたの腹黒さはちゃんとわかっています!」

「はあ……」

「あなたはエドガーさまの傍にいるのにも、天使であるのにも相応しくありません」

「そんな事を言われましても、どちらもエドガーが決めた事なので……」

「また呼び捨てですか。そこにあなたの本性が現れているのです」

「あたしの本性ってなんですか?」

「エドガーさまに取り入り、あわよくば愛妾にでもなろうというのでしょう。穢れた人間の考えそうな事ね、図々しい! あいにく、この天界ではそんな事はまかり通りませんから!」

「はああ?! そ、そんな事考えた事もないです!!」

「お黙りなさい! 身分の低い人間の娘が高貴な男性に取り入ろうとするのはそういう企みを持つ時だ、という人間の性を、わたくし、ちゃあんと知っていますからね! まだ話したい事があります。付いて来なさい」


 アイショウ……? 相性でも愛称でもなく、愛妾……。

 村娘であったあたしには、概念以外に何の実感もない言葉で、勿論そんなものになろうなんて思いつきもしなかった事なので、唖然としてしまう。でも、リベカさまと、他の二人に挟まれて、なんか林の中に連れて行かれてる。


「わたくしも、カステリアさまには及びませんが、エドガーさまの王太子妃候補として教育を受けてきました。子どもの頃のエドガーさまは、お優しくて明るくて凛々しくて、わたくしはお傍にいてお支えできたら、とずっと思って来たものです」

「はあ」


 林の中の人気のない場所で、あたしはリベカさまと他の二人に、敵意剥きだしの顔で睨まれる。なんだかなあ。リベカさまがエドガーを好きだっていうのは解るけど、別にあたしは邪魔するつもりもないんだけど。無論、応援してあげる義理もないけどね。


「あなたごときがエドガーさまの大切な時間を奪っていると思うだけではらわたが煮えくり返りそうです」


 そんな大袈裟な。一日の中の僅かな時間でしかないと思うけど。それに天使には500年も寿命があるっていうのに。


「あなたが本当に分を弁えていると言うのなら、今すぐ輪廻の螺旋に行って人間に戻りなさい。それがわたくしの言いたい事です」

「そんな……そりゃあ、エドガーがそうしろって言うなら仕方ありませんけど、なんでリベカさまの命令であたしが自殺しないといけないんですか?」


 なんかムカムカしてくる。折角エドガーに貰ったこの命を、なんでこの女の命令で捨てる必要があるのか。どうせ死ぬ筈だった人間風情と見下し、目障りだから死ねと言ってくるその傲慢さに反吐が出そうだ。


「なんですか、その目つきは。折角道理を説いてやっているというのに」

「どこが道理なのよ! 高位の貴族だからって、他人の命を軽く扱おうというその性根こそがおぞましいじゃないの! 表じゃ、エドガーさまぁ、なんて可愛いふりして、あんた、心はドロッドロに腐りきってんじゃないの!」

「な……なんという言い草!! やはりおまえのようなものがお傍にいては、エドガーさまに悪影響を及ぼすというもの!」

「エドガーは自分の事は自分で決めるわよ!」

「いいえ、エドガーさまは純粋でいらっしゃるから、おまえに騙されてらっしゃるのです。穏便に話で済めばと思いましたが、所詮言葉も通じぬ猿という訳ですね」

「こっちの台詞だわ!」

「もうこれ以上口もききたくない。わたくしがお叱りを受けるのは仕方がないわ。エドガーさまの為ですもの、目がお覚めになれば、きっと解って下さるわ」


 がしっと両脇からいきなり二人の令嬢に腕を掴まれる。な、何をするつもりなのよ。リベカも思考が怖いけど、この二人も目がいっちゃってるよ。自分の考えが絶対に正しいと思い込み、それを前提に他人に行動を強制する者の不愉快さは、あたしも経験した事はあるけれど、ここまで凝り固まっているのには恐怖を感じる。

 ひ弱な令嬢位、本気を出せば振り払えるとは思うけど、怪我させちゃったら面倒かなー、なんて考えていたけれど……事態は、あたしが思っていたより、ずっと深刻だった。


 リベカは、近くの樹に歩み寄る。樹の根元には容器が置かれている。……何、元々何かの企みで準備がされていて、そこにあたしは呼び出された、という訳?


「おまえの故郷にも松ってあるでしょう? うふふ、丁度良い具合に集まっているわ……」

「え……まさか」


 恐ろしい予感が胸をよぎる。慌てて令嬢たちを振りきろうとするけれど、二人がかりで必死の形相で押さえつけてきて、リベカは傍に迫って来た。


「おまえが、しおらしく説得に従って輪廻に戻るとはあまり期待していなかったわ。言う事を聞かないおまえが悪いのよ。魔界に堕ちなさい!」


 言うなり、彼女は容器の中身をあたしの翼にぶっかけた!


「ちょ、これ……これって」


 べたっとしたものがあたしの翼にまとわりつく。嗅いだことのある独特の臭いが鼻をつく。松脂! こんなものが翼についたら、固まって浮力を受けられなくなってしまう!!


「い、いや……! ちょっとあんた、狂ってるわ!」


 言いながら慌てて隣の令嬢の手にしがみつこうとするけれど、今までとは逆に、ぽんと突き飛ばされてしまう。あたしは必死に翼を動かそうとするけれど、松脂はどんどん固まっていく。

 遂に浮力を感じられなくなって、あたしの身体は雲の地面を突き抜けて落下していく!!

 上の方では、リベカたちの高笑い。まさか、こんな事って……。

 輪廻の螺旋から落っこちて、拾ってくれたエドガーに手を離された時の恐怖が甦り、いまの恐怖がそれを遥かに凌駕する。だって、いまここにはエドガーがいない!


「助けて! 助けて! エドガー!! エドガー!!」


 ぐんぐん落ちていく中、あたしは、近くにいる訳もない、お城で執務をしている筈のひとの名を狂ったように叫んでいた。もう会えないなんて嫌だ!! 魔界に堕ちる事よりも、今はその方が怖かった。


「……エアリス!!」


 ……聞こえる筈のない声。幻聴? それでもいい。声が聴けて、あたしは嬉しい……。

 うっすらと目を開けると、お日様の光を背に、大きな翼を羽ばたかせた人影がぐんぐん迫ってくる。


「まさか……どうして、ここに……」


 息苦しくて、段々頭が酸欠になってきているみたい。こんなところに、あたしの王子さまがいる訳ない。

 でも……。

 がしっと、逞しい腕があたしの手首を捕まえ、そのまま身体を抱きかかえる。なにもない空の真ん中で、あたしは温かな大きな腕に、胸に包まれていた。ごつごつした掌が、あたしの頭を撫で、首根っこを掴む。


「馬鹿……どっか、いっちまうかと思うじゃねーか……」


 腕が、微かに震えてる。


「ごめん……ごめんね……怖かった……」


 でも、この腕に掴まれていれば、なにも怖くない。あたしはエドガーに抱き締められたまま、わんわん泣いた。

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