8・令嬢天使とピクニック
その翌日。
あたしに珍しく来客があった。
あの、最初にエドガーに作ったお菓子にいちゃもんをつけた令嬢、カステリアさま。あたしの顔なんか見たくもない、という態度だったんだけど、どういう風の吹き回しだろう?
「エアリスさま、カステリアさまは公爵令嬢で、エドガーさま派の令嬢がたの筆頭です。元々エドガーさまとは幼馴染で、小さい頃は仲良く遊んでおられましたし、一時期は婚約話も内々に持ち上がっていたらしいのです」
と、彼女に会う前にマニーさんが豆知識をくれる。
「え、そんなに仲がいいようには今は見えないのに」
「……ええ、まあ、ある時期から、エドガーさまは多くの方々を遠ざけておしまいになられたので……」
「え、どうして?」
「! そ、それはわたくしの口からは申せません。いえ、今申した事もお忘れになって下さい。エアリスさまは、今のエドガーさまだけを見ておられたらいいんだと思いますわ!」
「えっ、ちょっと、マニーさん!」
けれどそれ以上聞き出す前に、マニーさんは、余計な事を言ってしまったという表情をありありと浮かべながら部屋を出て行ってしまった。
なんなんだろう、気になるなあ。そう言えば、前にもマニーさんは、あたしがエドガーの笑顔を取り戻した、とか言っていたっけ。確かに出会った時にはやたら不機嫌そうな顔つきだなと思った気がするけど、最近は笑う事も多くなった……殆ど、あたしを揶揄ってる時だけれども。
マニーさんが立場上話しにくいのなら、今度シャルムさまにでも聞いてみよう……。
そんな事を思っていると、カステリアさまが部屋に入って来た。
「御機嫌よう、エアリス」
「あ、はい、おはようございます、カステリアさま」
緊張。いったい何しに来たんだろう?
あたしが畏まっているのを見て、カステリアさまは不思議そうな顔になる。
「何をそんなに固くなっているのですか。エドガーさまにはあんなに馴れ馴れしい癖に」
あ、そう言えば、エドガーは王子さまでカステリアさまは貴族のお嬢様。普通に考えれば、エドガーに対しての方がもっと緊張するべきなのに、エドガーにはなんだか喧嘩友達みたいなノリになってしまって、カステリアさまやシャルムさま、レガートさまに対しては、貴い方だと思ってしまうのはなんでだろう。
「……まあいいでしょう、エドガーさまがお許しになっているのですから、わたくしからはもう何も言いません。今日来たのは、先日の詫びと、ピクニックのお誘いです」
「えっ」
「そなたには別段エドガーさまを害する意図はないようですから、先日の不作法はわたくしの勘違いだった、と言っているのです」
ええっ。あんなにあたしを見下して敵視してたのに、どうしたんだろう?
驚いて固まっているあたしの様子に、何故かカステリアさまは溜息をついて、
「何故そなたのような娘をエドガーさまはお気に召したのでしょう。でもまあ、そなたがここにいるのに相応しい者であるのか、わたくしももう一度見直そうと思ったのです。昼前に王宮の馬車の所に来なさい。一緒に出かけましょう」
「あ、はい」
カステリアさまの威厳に、なんだか反射的に返事してしまう。まあ、断る理由もないしね? もし、カステリアさまと仲良くなれたら嬉しいな、っても思ったし。
―――
そうして、あたしはカステリアさまの仰るままに、馬車に乗り込んだ。二人ではなく、エドガー派の令嬢たちが七人ほど一緒だ。何やら楽し気に談笑しているけど、勿論あたしはその輪の中には入れず、衣装を褒め合ったりひとの噂話をしたりしてるのを黙って聞き流していた。そんな話を聞くよりも、窓から外の風景を眺めている方が余程楽しいし。
時々カステリアさまはそんなあたしをちらっと見ているような気がする。でもそっちを見るとそっぽを向かれてしまう。何がしたいのか全然わからない。
やがて馬車は目的地の丘について、従者天使さまたちが折り畳みテーブルや何やら、立派な昼食の準備を始める。ピクニックって、地面に座ってお弁当を食べるものかと思っていたけど、さすが貴族さまは違う。あっという間に、簡易パーティ会場みたいなものが出来上がってしまった。
「エアリスはこちらへどうぞ?」
令嬢天使さまの一人が、ちゃんとあたしの分の席を用意してくれている。
でも、座ろうとしたら、椅子の脚の一本がグラグラしている。きちんと行儀よく座るには、足を踏ん張っておかないと、気を抜いたらひっくり返りそう。従者天使さまに言おうかな……と思った時、令嬢たちがあたしを見てクスクス笑っているのに気が付いた。……なんだ、要するに嫌がらせする為にあたしを呼んだんですね。なら、こっちも受けて立とうじゃないの。
そういう理由でわざと駄目な椅子を用意されているのなら、従者に言っても無駄だろう。あたしはシャルムさまから学んだ作法通りにテーブルにつく。勿論、すっごく足が疲れはするけど、軟弱な令嬢と違って、元々村娘ですから、足腰の強さでは負けません。
あたしが優雅に(テーブルの下では足を踏ん張ってはいるけど)澄まして座っているので、令嬢たちは不思議そうながっかりしたような顔で見てる。ああ、やっぱりこの方たちと友達に、なんて無理な話だった。
これって、カステリアさまの指示なんだろうか? 相変わらず時々あたしを見ているけれど、今一つその表情は読めない。
それからも、食事にゴミが入っていたり、紅茶に塩が入っていたりと、馬鹿馬鹿しい地味な嫌がらせが続いたけど、あたしは涼しい顔でマナー通りに、微笑みながら食事を終えた。そりゃ、内心腹は立ったけれども、わざわざ人を呼び出してまで、レベルの低い嫌がらせをしてくる令嬢たちにげんなりして、とにかく弱みを見せるものか、と心は奮い立っていたのだ。
(つまらないわねぇ)ひそひそ。
(怒って猿みたいに暴れてくれると思ったのに)ひそひそ。
(そういう噂を広めれば、エドガーさまも愛想を尽かされると思ったのにねえ)ひそひそ。
デザートを頂いていると、聞こえよがしにひそひそ話をなさってらっしゃる。ほんっとに下らないな!
「エアリス」
と、それまで静かだったカステリアさまが突然あたしに話しかけたので、令嬢たちはしんとなる。
「はい?」
「そなたは何故、何も言わないのですか? 不当な扱いを受けて何故抗議しないのです? 自分は程度の低い人間だからと甘んじて耐えているのですか?」
「え? いいえ、程度の低い天使さまに合わせてたら、自分も程度が低くなってしまう、と思っただけですけど」
「ちょっと!! どういう意味ですの?! 人間風情が、わたくしたち天使より程度が高いと言うつもり?!」
怒ったのは、カステリアさまではなく、リベカさまという別の令嬢だけど、あたしはそちらを見ずに、カステリアさまに向かって、
「天使さまは皆さま優れた方だと地上では思われていますけど、私はここに来て、人間とか天使とか関係なく、それぞれに程度があるんだなって知りました。勿論、私ごときより程度の髙いお方はたくさんいらっしゃる事くらい、わかっています」
「そう。それは感心ね。ではそなたは、エドガーさまの事をどう思っているのです?」
「どう……? どう、とはどういう意味ですか?」
「そなたはまるで気安い友人のようにエドガーさまに接しているではないですか。エドガーさまはそなたをペットだと仰っているというのに」
うーん、つまり、エドガーの程度をどう思っているのか、と聞かれているのか。暫しあたしは考え込む。あたしと二人の時には、村の悪ガキみたいにつまらない悪態をついたり、からかって笑ったり、ばっかりで、とても、『程度の高い偉いお方』という感じはしない。
でも、一日の殆どをエドガーは王太子としてのお務めに費やして、威厳を見せて、みんなに敬われている事も知っている。エドガーを敬う皆さんにとっては、あたしのような者がエドガーに気安く接するのは、目障りで腹立たしい事だとは理解できる。だけどエドガーはあたしという、何の損得関係もしがらみもない者を傍に置く事で、息抜きをしたいんだろうとあたしは思っている。命を救われた事もあるし、今は、エドガーが気を許せるような存在でいたいと思っている。少なくとも、エドガーがあたしに飽きたり、或いは、誰かと結婚してしまうまでは。
結婚、と思うと、つきっと胸が痛む。多分、寂しいんだろう、あたし。そう言えばマニーさんは、エドガーとカステリアさまに縁談があった、なんて言ってたっけ。どうしてなくなってしまったんだろう。
それはともかく、あたしは顔を上げ、カステリアさまに、
「エドガーは偉いなって思っています。毎日忙しくて、大変な重責があるのに、ちゃんと全部立派にこなしていて」
「解っているのですか。では、何故態度で示さないのです?」
「あたしはペットですから。ペットってじゃれて遊ぶのが嬉しい存在じゃないですか? ここのお城で、あたしだけが『ペット』という以外、何の身分も持ってません。だからこそ、本当は対等でない事くらい弁えていますけど、対等にしてあげる事で、喜んで貰えたら、って思ってます」
「『対等にしてあげる』とは、あなたは何様のつもりなのよ!」
「ちょっとお黙りなさい、リベカ」
激昂して口を挟んできたリベカさまを、カステリアさまは嗜める。カステリアさまも怒るかと思ったけど、何故だか冷静な様子。『してあげる』って、別に上から言ったつもりではないんだけどな。
「思っていたより、ちゃんとエドガーさまの事を理解し、考えているのですね、エアリス」
考え考え、カステリアさまは仰る。えっ、まさか褒められるとは思ってもいなかった。それともこれも何かのワナだろうか??
―――
一方その頃お城では、大変な事になっていたとは、勿論この時のあたしは知らなかった。
「あのっ、馬鹿!! カステリアたちと出かけただと?! 何されるかわからんじゃないか!!」
喚くエドガーに、シャルムさまが困り顔で、
「兄上、落ち着いて下さい。中には、過激な事を考える者もいないとは限りませんが、カステリアは大丈夫ですよ。ちょっとした嫌がらせ以上の事は止める筈です」
「ピクニックなんて、毒を盛る絶好の機会じゃないか。折角俺が毎日毒見してやってるというのに何やってんだ!!」
「ああ、やっぱりそういう事でしたか。エアリスが以前、兄上から食べ物をとられる、って言っていたから、何の事かと最初は思いましたが……」
「俺の身体は毒に慣らしてあるが、あいつは成りたて天使でひ弱いから、ちょっと毒見してやってただけだ!」
「兄上のお気に入りだとは、皆判っているのですから、何かするとしても下剤くらいでしょう。それも、今日のピクニックであれば、カステリアがやめさせると思いますよ」
「いいや、あいつはエアリスをよく思ってないし、何があるか解らん。嫌な予感がするんだ。ちょっと出てくる」
そう言い放ってエドガーは窓から飛び立った、と後でシャルムさまから聞いた。
「過保護だなー。大丈夫かな」
と言うレガートさまに、シャルムさまが、
「エアリスは大丈夫でしょう。兄上はカステリアを誤解されているから……」
と返したら、レガートさまは、
「いや、俺はエドガーさまを心配しているんですよ。勿論、エアリスちゃんも心配ではありますけど」
「何故? 兄上の心配?」
「いやいや……考え過ぎでしょう。最近明るくなられて、本当に良かったと思っていますよ」
とだけ答えられたそうだ。
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