10・罪と責任

 あたしが落ち着くまでエドガーは黙ってあたしを抱き締めて片手で頭を撫でてくれていた。

 あたしの翼は固まったままでぴくりとも動かない。もしかして翼が駄目になってしまったかも知れないと思うと凄く不安に襲われて、その事をエドガーに言うと、お城に戻って聖水で治療すれば大抵の翼の不調は元に戻るだろうということ。良かった。無理やり松脂を剥がしてそのまま羽根が抜けちゃったらどうしようって思っちゃった。


「こんな事やらせたのはカステリアだな。あいつ……許さん」

「ち、違うよエドガー! やったのはリベカと他の二人だよ。カステリアさまはあたしの事認めて、嫌がらせは止めるように、ってみんなに仰ったんだけど、リベカは最初から計画してたみたいで……」

「リベカはカステリアの腰巾着だ……だがまあいい、奴らの話くらいは聞いてやろう」


 そう言うと、エドガーはひょいっとあたしを抱き上げた。うわあ、お姫様抱っこ! なんか恥ずかしいけど、確かに、飛べないあたしを運ぶには一番楽な姿勢なんだろう。

 でも、顔、近いよ。エドガーのアイスブルーの瞳をこんなに間近で見るのは久しぶり。その瞳は、安堵と怒りの両方を含んでいるみたい。


「エドガー、あの、本当にありがとう……。ねえ、どうしてあたしの事が解ったの?」

「おまえは能天気でアホで無防備だから、誰の誘いでも無警戒に付いていくだろ。おまえを煙たく思っている奴はたくさんいるんだって教えてやってたのに、何やってんだ。館の敷地内にいれば安全だし、出かける時はマニーを連れていくように言っただろ。あいつ、結構強いんだぞ」


 はあ、と溜息をついたエドガーの腕に力がこもる。無意識みたいだけど、取り戻せてよかった、と思っているのは伝わってきて、ちょっとくすぐったい。でも、あたしの質問の答えになってないんだけど。それを指摘するとエドガーは更に呆れたように溜息をついて、


「おまえは俺様のもの。おまえが俺の翼から分けてやった翼を持っている限り、おまえの居場所はすぐに解る、って最初に言っただろうが」

「あ……」

「勝手にいなくなるなんて……許さないからな。……勿論、おまえは馬鹿なだけで悪くないのは判っている。この落とし前は奴らにきちんとつけさせてやる!」

「あの……あたしはホラちゃんと助かったし、あんまり酷い事はやめてね? そりゃあ、あたしだってリベカの奴は引っぱたいてやりたいけど」

「何を生ぬるい事を言っている。おまえ、魔界に堕とされるとこだったんだぞ!」


 それはそうなんだけど。あたしの事で何かおおごとになって、エドガーが反感買ったり、そのせいであたしがエドガーと引き離されるような事になるのだけは絶対に嫌なんだもの!

 そんな事を考えているうちに、エドガーはあたしを抱っこしたまま、ピクニックをした場所に近づいていた。


「エアリスの姿が見えません。リベカ、貴女さっきあの娘に何か話しかけていたでしょう。何処へ行ったか知りませんか?」


 カステリアさまの声が聞こえてくる。エドガーは大樹の陰に身を隠し、会話を聞くつもりのようだ。

 リベカは、むかつく事に白々しい声で、


「さあ、存じません。フラフラ林の中に入って迷子にでもなったのではないでしょうか」


 なんて言ってる。

 『お叱りを受けるのは仕方ない』なんて言っといて、結局あたしが勝手に行方不明になった事にするつもりなんだ。どこまでも腐った奴だ。


「そろそろ暗くなりますわ。自分勝手にうろついている者の事など放っておいて、戻った方がよいですわ」

「何を馬鹿な事を。エアリスはわたくしがエドガーさまの所から連れ出したのですから、わたくしは責任を持ってあの娘をお館へ返さなければなりません。皆で手分けして探しましょう。まだこの辺りの事がよく判っていないのでしょう。危ない事はないと思いますが、暗くなってもこんな所にいたら風邪をひいてしまいます」

「ほらね、カステリアさまはあたしを心配してくれてるんだよ。悪いのはリベカなんだから」

「……ふん」


 ……なんでこんなにエドガーはカステリアさまを嫌っているんだろう? 幼馴染で婚約の話もあったらしいというのに、余程話がこじれる事でもあったんだろうか?

 暫く見ていると、林の中に入っていった従者のひとりが、青くなって戻って来た。


「カステリアさま、大変です。林の中に『真穴』が開いています!」

「なんですって?!」


 カステリアさまは叫び、リベカ達以外の令嬢もざわめく。


「エドガー、『真穴』ってなに?」

「地面に出来た、魔界まで通じる穴の事だ。最初におまえが落っこちた時も、地面に穴が出来たろ? あれは実は放っておくとまずいものなんだ。魔界から悪い気を呼び込んでしまう可能性がある。あの時のは勿論俺がすぐに塞いだし、今回のも後で塞いでおかないとな。リベカの奴、自分で塞ぐ力もないのに穴を開けやがって……」

「そ、それ、早く塞がなくっていいの?」

「魔界の方でよっぽど目を光らせてない限り、短時間で真穴が出来た事を察知するのは不可能だから大丈夫だろう。でもあまりぐずぐずするのは良くないな」


 一方で、真穴を見つけた従者は、松脂の入っていた容器を回収して来ている。あたしの不在、松脂、真穴……カステリアさまは険しい表情になる。


「まさか、リベカ、貴女は……」

「なんですの? ああ恐ろしい、真穴だなんて。早くお城の魔力の高い誰かに知らせて、塞いでもらわないと。でもカステリアさま、とにかく、こんな場所からは早く離れましょう?」

「本当に、なにも知らないと言うのですか?」

「わたくしが何を知っていると思われているのですか?」


 あくまでリベカはしらを切り通すつもりのようだ。確かに、自分で認めない限り、証拠はない……生き証人のあたしが、目論見通りに魔界に堕ちていたら、だけどね。

 カステリアさまは溜息をつき、リベカから目を逸らすと、


「分かりました。では、あなた方は城へ行って穴を塞げる者を呼んで来なさい。わたくしは、もう少しエアリスを探します」

「え……そんな、カステリアさまが御自ら? あんな人間風情の為なんかに!」

「その言い方はおよしなさいと言ったでしょう! エアリスが見つからなければ、わたくしはエドガーさまに対して申し訳が立ちません。エドガーさまが死ねと仰せならこの命で償います」

「そんな……カステリアさま……」


 さすがにリベカは真っ青になる。……けれども、やはり自分がやりましたとは言わない。とことん腐ってるよこの女は。


 ここで、エドガーは、


「ちょっとここにいろ」


 と、あたしを大樹の枝に座らせる。

 そして、皆の前に出て行った。


「おまえら、何してる? エアリスが館にいないんだが……何やらおまえらとピクニックに行ったという話だが、あいつ、どこにいるんだ?」


 ちょ、ちょっとエドガー、今の話を聞いていて、まだカステリアさまを試すような事をするつもりなの? それはちょっと、いくら嫌っているにしたって、酷くない?

 ……いや。エドガーはそんな意味のない事はしない。カステリアさまはあたしの話を聞いてあたしを認めてくれた、その事は、今のやり取りを聞いていれば充分に解る筈だ。


 突然のエドガーの出現に、皆は心底驚いたようだけど、一番に我に返ったのはカステリアさまで、固まっているリベカの脇を通り、エドガーの前に膝をつく。


「エドガーさま……勝手にエアリスを連れ出した上に、見失ってしまった事をお詫び致します。更に……この近くに真穴があるようなのです……。もしかしたら、エアリスは……」

「いくらあいつが馬鹿でも、翼があるんだから、真穴があったって、落ちちまう事はないだろう」

「いえ、それが、あの娘の翼は使い物にならなくなっていた可能性が……」


 カステリアさまは、手短に松脂の容器の事を説明する。エドガーの表情が怒りに変わってゆく。


「つまり、誰かが俺のペットを魔界に堕としたという事なのか?! 俺のペットに手を出す奴は許さんぞと言ったのにか?!」

「申し訳ございません……まさかそこまでの事が起きるとは思わず……」

「おまえの差し金じゃないんだな?」

「はい……」

「じゃあ誰だ。犯人は名乗り出ろ。大人しく罪を認めれば、罰は軽減してやろう」


 しーーーん。


 リベカはもう、自分は関係ないけど誰だろう、みたいな表情を作ってる。


「エドガーさま。この会の責任者はわたくしです。わたくしは誓ってそんなつもりはありませんでしたが、もしもエアリスがこのまま見つからなければ、わたくしを罰して下さいませ!」


 カステリアさまの胸を打つ言葉にも、リベカはだんまりを決め込んでいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る