11・疑問符だらけの一旦決着
しんと静まり返った中、カステリアさまは膝をついたまま、凛とした表情でエドガーを見上げ、かれの次の言葉を待っている。性悪女のリベカが罪を白状する気配は全くない。あたしは、『あたしはここにいます! やったのはリベカ達です!』って叫びたくってしょうがなかったけど、あたしをここに隠しているのにはエドガーに何か意図があるのだろうと思ってじれじれしながら見守るしかない。
「そうか。おまえが責任をとるって言うんだな」
「はい。わたくしは、もう同じ過ちを犯したくありません。エドガーさまの大事なものをまたわたくしが壊してしまったというなら、もうわたくしにはエドガーさまのお傍にいる資格もありません。何のお役にも立てないどころか、疫病神のようなものであるくらいなら、わたくしなど、いなくなってしまった方がよいと思います」
同じ過ち? やっぱり過去に何かあって、あの二人の仲はこじれちゃったんだろうか。あたしのお菓子を無理やり毒見しようとする程にカステリアさまはエドガーの事を想っているのに、いつもエドガーはカステリアさまには特に冷たいように見える。「大事なものを壊した」って一体なんなんだろう。もしもそれがすごく大事な宝物だったとしても、今回あたしなんかの為に、カステリアさまがそこまで思いつめる事もないのに……。
でも、こんなに真剣な言葉があれば、エドガーもカステリアさまの事を見直すだろう。あたしは無事だったし、終わりよければ、って事になるかな。勿論リベカは引っぱたいてやるけれど。
なんて思っていたら。
えっ??
「おまえの覚悟はわかった」
と言って、エドガーはなんと、腰の剣に手をかけたのだ。
「エドガーさま、お待ちください!」
「カステリアさまは何も……!」
周囲は騒然となる。カステリアさまの表情は微かに哀し気に歪んだけれど、真っ直ぐに顔を上げたまま、唇を引き結んでいる。
あたしは超展開に唖然として、思わず枝から身を乗り出した。
「ちょお、何やってんの! あたしは……」
あたしの叫びに、皆がぎょっとしてこちらを見る。そりゃそうだ、あたしは魔界に堕ちた事になっているんだものね。
「バカ、何してる!」
とエドガーが怒って叫んだ時、あたしは覚えのある感覚を味わっていた。あ、これ、落っこちる……。
ずるっと枝を掴んだ手が滑って、あたしは空中に投げ出される。流石にエドガーのいる位置から飛んできても間に合わないだろう。やばい、また真穴を作ってしまう。今度はさっきみたいに落ちる前にエドガーが助けてくれるだろうけども……。
などと二秒間くらいの間にそんな考えが頭を巡ったのだけども。
「エアリス!!」
また、王子さまに首根っこを掴まえられました。でも、今度は……。
「シャルムさま!」
シャルムさまとレガートさまが、すぐ近くに来ていたようで。
あたしが地面に穴を開ける前に、シャルムさまが助けてくれたのだった。
「おや、翼をやられちゃったのか。これは、エドガーさまの勘が正しかったなあ」
とレガートさま。
シャルムさまは、
「ちょっと失礼」
と仰って、あたしを抱きかかえて元の枝に座らせてくれた。動作のひとつひとつ、エドガーと違って優雅で、ちゃんとあたしを女性として扱ってくれて……、っと、そんな事は今はどうでもいいんだった。
「おまえら、何しに来た?」
「兄上のお戻りが遅いので探しに来たんですよ。いったいこれはどういう騒ぎなんです? カステリアがまさか何かしたのですか?」
シャルムさまの問いに、周囲が、最強の助けが来たとばかりに、わっと、
「シャルムさま、カステリアさまには何の落ち度もないんです。なのにエドガーさまがお怒りで……」
「それに大体、騒ぎの元のあの娘は、あそこにいるというのに! 誰も魔界に堕としたりしてなかったんですよ!」
「シャルムさま、エドガーさまを説得してください!」
と訴える。そりゃ当然だ。
シャルムさまは優美な眉をひそめて、
「兄上、どういう事です?」
と説明を求められる。するとエドガーはふんと笑って、
「おまえらみんな、俺を馬鹿かなにかと思っているのか? 俺がカステリアを殺めるとでも?」
「えっ……」
「覚悟はわかった」なんて言って、剣に手をかけたら、誰だってそう思うじゃないの。何がしたいのよ?
カステリアさまを含め、全員がぽかんとしている中で、エドガーは腰の剣に手をかけて、剣帯を外す。
「……おまえに返す。あの時のものとは違うが……それで、もう、おまえには怒ってない。俺も……悪かった」
「えっ……エドガーさま! わたくしを許して下さるのですか!」
「ああ。俺も餓鬼で……何もかもおまえのせいにしてしまって。でも、今の言葉で、おまえはいつも、信じた事を責任を持ってやろうとする奴だった事を思いだしたよ。……すまなかったな」
そう言って、エドガーは剣帯ごと、鞘に収まった剣をカステリアさまに渡す。カステリアさまは涙を流してそれをそっと受け取った……。
……はい、すみません。さっっぱり訳が解りません。
「レガートさま……これって、一体何が起こっているんですか?」
あたしの問いに、いつの間にかあたしの隣に座って様子を見ていたレガートさまは、ちょっと考え込むような表情を見せたけれど、
「うーん。まあ、要するに、あの二人は子どもの頃に誤解から喧嘩をしてしまって、ずーっと尾を引いてたけど、エドガーさまがやっとカステリアを見直した……って言えば納得かな? 多分、エアリスちゃんをここに置いて、直にカステリアの言葉を引き出す事で、仲直りのきっかけを作ろうと思われたんじゃないかな。でもまあ、あのエドガーさまが、ここまで前向きな思考をした事自体が、エアリスちゃんの功績だね。今までだって、こんな感じのきっかけが訪れるような事がなかった訳じゃないんだけど、エドガーさまは他者を信用するのを止めていたからなあ」
……後半は、よく解らないから取り合えず置いておこう。多分、笑顔を取り戻す云々と関係していそうだけど……。
「なるほどですけど、剣を返すって……?」
「僕の口からは今はこれ以上言えないなー」
と、レガートさまははぐらかしてしまう。
カステリアさまは暫く剣を抱くようにして涙を流していたけれど、段々状況を思い出したみたいで、立ち上がってあたしの方を見る。
「エアリス……無事だったのですね。良かった……。その翼、やっぱり。エドガーさまに助けて頂いたのですね」
「は、はい、すみません。ここにいるように言われたのですけど、なんか隠れてたみたいで」
「いいえ、そなたが無事で良かった。それにしても、どうしてエドガーさまはそなたの居場所がお判りになったのでしょう?」
「それは、あたしの翼がエドガーの……」
「エアリス! おまえは余計な事は言わなくていい。それよりも、誰がおまえをそんな目に遭わせたのか、言ってやれ!」
と、何故か慌てたようにエドガーが横槍を入れる。なんなんだ。
でも、あたしもこれを待ち侘びていたので、ビシッと指さして、
「そこの、リベカ嬢です! あたしはエドガーのペットなのに、エドガーの許しもなく、あたしを消そうとし、尚且つ、カステリアさまのお立場が悪くなると解っても、自分は知らんぷりをしてた!」
告発に、リベカは青くなりつつも、
「な、何を根も葉もない事を! おまえは自分でフラフラ林に入っていって、松の根元で眠りこけて、そんな風になってしまったに違いないわ。わたくしが、ちょっと身の程を弁えなさいと言ってあげたのを、逆恨みしているのね!」
と、いけしゃあしゃあと、この期に及んでも自己弁護とあたしのせいにするのに徹している。
「あたし、嘘は言わないわ。あんたと違ってね!」
「言葉を慎みなさい! わたくしとおまえの言葉、どちらを皆が信じるか……」
「リベカ、ギャーギャー騒ぐなよ。エアリス、他の二人、って言ってたのは誰だ?」
エドガーの言葉に、あたしを押え込んだ二人の名前を挙げると、エドガーはビクビクしている二人に歩み寄り、
「リベカに命じられて手伝ったのか? 正直に言った方がいいぜ。俺とリベカ、どっちに従うんだ?」
低い声の脅し文句に二人は声を揃えて、リベカさまに唆された、お許しを、と白状する。リベカより余程状況が解っているみたい。もうバレッバレなんだから、せめて素直に認めた方がいいと。
「そなたたちっ……何を言っているのか判ってるの!」
と叫ぶリベカに、エドガーは歩み寄る。
「いい加減に、黙れよ、ババア」
「バ……ババア?」
リベカの顔は真っ赤になるけれど、あたし含め皆はぽかんとする。ババアなんて言葉は全く似合わない、十代にしか見えない、金の髪の可憐な美少女、それがリベカの外見だ。だけどエドガーは、
「流石に言っちゃ可哀相かと思って黙ってたけど、おまえさ、四百歳過ぎてんだって? 俺の親父にも爺さんにも言い寄ったけど、駄目だった。その度に、ほとぼり冷ます為に数十年姿を隠して、生まれつき身体が弱くて養生してた十代の令嬢として現れてたんだって? おまえの親って言われてる侯爵夫妻は、おまえの家系の子孫。全部、親父に聞いて知ってるんだぜ」
ざわざわ。
確かに天使は好きな時に外見年齢を止められるけれど、程度歳のいった女性は男性に実年齢を隠しておきたいものらしい。リベカも、ずっとエドガーの言うように周囲を欺いて来たのなら、こうやって公言されるのは、相当な屈辱だろう。
「まあ……リベカ、貴女、わたくしと同じくらいと思っていましたのに」
と、カステリアさま。カステリアさまはエドガーの幼馴染で十八歳。
これでリベカはもうお城での地位を失ったも同然だ。若いふりをして王太子に言い寄っていたけど、実際は、人間換算八十歳くらいのお婆さん!
あたしはすかっとした。行って引っぱたくまでもない。プライドが第一の令嬢が、化けの皮を剥がされた。
だけど。
「エドガーさま……よくも、そのような辱めを。思い上がった虫けらに罰を与えたのも、エドガーさまの御為を思っての事でしたのに。お恨み致します……」
そう言い放つと、リベカはきっとあたしを睨み付けた。
「おまえはなんにも知らない癖に。緘口令なんかもう知らないわ。いい? エドガーさまはね……」
「リベカッ!!」
慌ててエドガーは彼女の口を塞ごうとする。でもそれよりも早く動いたのはシャルムさま。普段の優し気な雰囲気は雲散霧消して、シャルムさまは目にもとまらぬ動きで剣を抜き、リベカに突きつける。
「私の命令に逆らうか、リベカ」
「シャ、シャルムさま……」
「兄上の御為にならぬ者は、何者であれ、私は排除する」
うそ……まるで、別人みたい。いつも穏やかな笑みを絶やさない、貴公子中の貴公子なのに、纏う空気は氷のようで。
「……何をしたって、運命は変わりませんわ」
「黙れ。これ以上口を開くことも、エアリスを傷つける事も許さぬ」
「……もういいわ。この国の者ときたら、馬鹿ばっかり!!」
憎々しげにそう言うと、リベカはさっと翼を開いて、空へ羽ばたいた。シャルムさまは黙って剣を納め、誰も、追いはしなかった。
この時、誰もが、単なる敗者の捨て台詞としか思わなかった。
でも。この日以降、リベカはセラフィム王国から姿を消してしまった。今までにも、都合が悪くなると姿を消していたという過去があるらしいけれども、流石に次の復活はないだろうに、どこへ行ったのか、不気味な感じではあった。
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