12・円環の謎

 ピクニック事件から一週間が過ぎた。

 エドガーの言ってた通り、治療してもらってあたしの翼はぴかぴかになった。何だか最初の頃より大きくなってきたような。


 色々、あたしにとっては謎を残しての終結だった。考えてみれば、あたしは毎日エドガーに会っているのに、この国の王太子である事以外なんにも知らないんだなと気づいた。

 結婚の噂話も、カステリアさまとのいざこざも、『笑顔を取り戻した』も、リベカの言い残した『緘口令』とやらも……それからなんだっけ、前に兵士たちの話を聞いた時に、『ナントカの儀まで一年もない』とかも。あの時は、結婚という言葉の方に気をとられて聞き流してしまったけれども、何だか、それと結婚は関係あるような話ぶりだったような気もする。ああ、なんでちゃんと覚えておかなかったんだろう!


 カステリアさまとの事は、二人の間の事なんだから、あたしが知る必要はないのかも知れない。でも、なんかみんなは知っていて、ようやく和解したかと安堵しているような空気だった。そう言えば婚約の話があって流れたんだっけ。仲直りした事で、またその話が復活したりするのだろうか。エドガーとカステリアさま……お似合いと言えばお似合いな気はする。でも、なんかもやもやするのはなんでだろう。

 あたしは、エドガーが結婚して今の生活が壊れてしまうのが怖いのかも知れない。エドガーと一緒にご飯を食べて、なんだかんだと言いあっている毎日が、いつの間にかあたしの中で大事なものになっているのは自覚している。


 そこであたしは率直に、エドガーに、「結婚しろと王様に言われているって本当なのか」と尋ねてみた。食事中のエドガーは一瞬固まって、パンを喉に詰まらせそうになったけれど、何とか呑み下した後で、「俺は結婚なんか興味ない」と言い切った。


「え、でも、あんなに令嬢に囲まれて、今はそういう気が起きないだけじゃない? 今なら、カステリアさまとか……」


 エドガーはじーっとあたしの顔を見ていたけれど、急ににやっとして、


「気になるのか?」

「えっ?」

「俺が誰に興味があるのか、おまえ、気になってんの?」

「えっ、いや、その、あんたが結婚しちゃったら、あたしどうなるのかなって……」


 言いながら、なんかそれだけではないような気もしたけれど、あたしの答えを聞いたエドガーは何故だか急に機嫌の悪い顔になって、


「ああ。おまえの先行きはちゃんと考えてるさ。心配すんな」


 とだけ言った。


「何それ、勝手に決めないで、教えてよ!」

「嫌だね。おまえはペットなんだから、余計な事は知らなくていい」

「ひどい! 大体、緘口令ってなに?! リベカはあたしに何を言おうとしたのか、あんた解ってるんでしょ?!」


 そう言えば、シャルムさままで、リベカに余計な事を言わすまいと必死な感じだった。いったいなんなの。あたしが知って皆さんに都合の悪い事でもありますか?!


「……まさか、ナントカの儀って……」

「は?」


 あたしをイケニエにでもする予定?! いやいや、エドガーやシャルムさまがそんな事する訳ない。一瞬でも疑ってごめんなさい。

 だけど、誰もあたしに何にも教えてくれないから、あたしだって色々不安になる訳でですね。


「リベカが何を言おうとしたかなんて知るか、本人に聞け、ボケ」


 なんて、その本人は尻尾を巻いて逃げちゃって行方知れずなのをいいことに、エドガーはそんな悪態をついてくる。


「緘口令ってなによ?」

「俺は知らん。あいつ妄想激しかったから、なんか思い込みでもあったんじゃねーのか」


 本当に知らなさそうに見える。

 いいもん、教えてくれないなら、自力で探るまでだ。


―――


 この一週間で、あたしは何度かカステリアさまや他の令嬢たちに会った。最初はビクビクしたけれど、何故だか割と歓迎ムード。リベカの手下の二人は、当分の外出禁止令を言い渡されたそうで、どう思っているのか知らないけれど、他の令嬢たちは皆カステリアさまを本当に尊敬しているらしくて、レガートさまが言ってたみたいに、エドガーさまの誤解が解けたのは貴女のおかげね、なんて言ってくれる。

 そしてカステリアさまも、


「エアリス、そなたが来てからというもの、色々な事が良くなった気がします。エドガーさまが以前よりずっと明るさを取り戻された事には気づいていたのに、わたくし達は無意識に、それが人間の手柄だと認めたくなかったのでしょう。今は素直に礼を言いたく思います」


 なんて仰って下さる。

 なんかくすぐったいけど嬉しい。


「もう貴女を天使として認めるのだから、仲良くしましょうね」

「人間ってみんな貴女みたいなの? もっと野蛮かと思っていたのよ」

「朝食の時のエドガーさまって、どんな感じなの?」


 なんて、令嬢たちは、無邪気に話しかけて来る。こちらとしては、あなたがたに嫌がらせされた事を忘れた訳ではないんだけども、お貴族さまのご令嬢だから、都合の悪い事は忘れちゃうのかしら……なんて思っていたら、にっこりして、


「そうそう、今まではご免なさいね?」


 なんて、それこそ天使のスマイルで言われるものだから、なんだかこっちも根に持つのも馬鹿らしくなってしまう。

 折角友好的になったのだし、これから先は長いのだから、お嬢様たちの好意は素直に受け取る事にしましょうか。心が広いなあ、あたし。


 そんな感じで、カステリアさまともだいぶ親しくなれた……気がする。

 カステリアさまに、子どもの頃の喧嘩とはどういう事だったのか聞いてみたいけれど、流石にそこまでは踏み込めない。

 だけど、お茶をして普通にお話ししている時に、カステリアさまの方からその話題を振ってくれたのだ。カステリアさまは優雅にティーカップを置くと、改まった感じであたしを見て、


「そなたのおかげで、エドガーさまはわたくしと普通に話して下さるようになりました。それは、互いにおとなになりましたから、子どもの頃のようにはいきませんけれどね」

「そんな、私は何もしていません。リベカ嬢に騙されただけで」

「あの日の事だけを言っているのではありません。そなたが来てから、エドガーさまは変わられました。シャルムさまとレガート以外の者とは、ろくに視線さえ合わされなかったのですよ。国王陛下ご夫妻とはどうなのか、分かりませんけれど。元々お優しいお方なのですから、斬られるとまでは思っていませんでしたが、以前のエドガーさまなら、わたくしの言葉など信じて下さらなかった筈です」


 そう言えば、このセラフィム王国を治める国王夫妻のお姿を、あたしは未だに拝んだことがない。王様って毎日のように貴族と謁見とかしてるのかというふわっとしたイメージを持っていたんだけど、こちらの国王夫妻は、余程大きな行事の時以外はあまり姿を見せず、様々な指示は、天使長閣下……レガートさまの父君を通じて出し、奥の宮に籠ってらっしゃる事が多いらしい。何故なんだろうと思ったけど、シャルムさまの天使教育ではその辺、実の親の事だからなのかあまり触れられなかったので、今一つわからない。エドガーやシャルムさまは普通に会ってるらしいのだけど。


 それはともかく、エドガーが誰もにぶっきらぼうな態度なのは知ってるけれど、視線さえ合わさなかったとは何故なのか。それを聞いてみると、カステリアさまは哀し気なお顔になって、


「わたくしのせいなのです。わたくしが、子ども心にエドガーさまの為を思ってやったこと……それが、エドガーさまを傷つけ、あの屈託のなかった優しいエドガーさまを変えてしまったのです」


 屈託のない優しいエドガーさま……想像が出来ません。


「あの……いったい、何があったんですか?」


 と思い切って尋ねてみたけれど、


「それは、今は言えません」


 と拒まれてしまう。結局、なんなのか解らない。


「もしや、ナントカの儀と、関係が……?」

「ナントカ……? 円環のことですか?」

「ああっ! それだあ!」


『ああ。何せ、円環の儀まであと一年もないんだぞ。早くお妃を決めるよう、毎日王陛下ご夫妻にせっつかれているって専ら噂だけど、あんなのが傍にいちゃ、なあ』


 忘れていた言葉が甦る。カステリアさまの前で大声を出してしまって、あたしは慌てて自分の口を塞ぐけれど、何故かカステリアさまも同じように口を塞いで、しまった、という表情を浮かべていらっしゃる。


「エアリス。今言った事は忘れなさい。そなたは、知ってはいけません」

「なんでですか。それに、忘れようったって自分の意志で忘れる事は……」


 言いかけて、あたしはぎょっとする。カステリアさまは何故か、隣の空き椅子を持ち上げ、振り上げようとしてる。お淑やかな令嬢のやる事じゃないし、何故に?!


「頭に強い衝撃を受ければ、忘れる事があると聞いたことがあります」


 それ、あたしの頭にぶつけるつもりなんですか?! 意外とぶっ飛んでますね?!


「いやいやいや、そんなうまくそれだけ忘れませんって! 何もかも忘れちゃうかも知れないし、死んじゃうかも知れないです!」

「……そう言われてみれば、そうですね……。そなたを傷つける訳にはいきませんね。ごめんなさい」


 しゅんとして、カステリアさまは椅子を元に戻す。なんか怖かったけれども可愛い。


「わ、わかりました、そこまでの事なら、忘れるように努力します」

「そうして下さい、エアリス。それがエドガーさまの為だと思って」


 そうして、その場は収まったけれど。

 やっぱり、キーワードが判って、あたしの好奇心は収まらない。知ったって、黙ってればいいではないの。


 あたしは翌日、お城の図書室に向かった。

 係に聞いても教えてくれなかったので、それに関する文献を探すには、数日がかりになってしまったけれど、でも、遂に、書庫の奥から、『御神の円環』という書物を発見した!

 ドキドキしながら、それを開こうとしたら……。

 ひょい、と背後から、何の気配もなかったのに、書物が奪われた。人の苦労を何で無駄に! と怒りをこめて振り返ると、書物を取り上げたのは、シャルムさまだった。


「な、何故取り上げるんですか?」

「エアリス……時が来れば、全ては自ずと明らかになるから。それまで、貴女には自然に兄上と接していて欲しい。円環に関する書物は全て隠させていたのに、こんな所に紛れていたとはね」

「だから、なんでそんなにまでして、あたしに隠すんですか? 何の為ですか?」

「……貴女と、兄上の為に」


 シャルムさまの金色の睫毛が蔭を帯びて瞬くと、それ以上あたしは抗えなかった。

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