28・円環の務め

 花嫁行列は、華麗なペガサス六頭立ての馬車と、それを護る立派な騎士天使さまたち。そして後ろには最後尾が見えないくらい延々と続く嫁入り道具を乗せた馬車の数々。他国の王女様を迎えるのだから、こちらでも用意は調えてあるのに、力を見せつけるような華美な行列。

 いったいどうやってこれを追い返すことが出来るというのだろう。やっぱり、あたしを慰める為のエドガーの出まかせとしか思えない。

 前代未聞の光景を見ようと、お城中の人々が集まっている。勿論、お姫様を迎える謁見の間には誰でも入れる訳ではないのだれど、あたしはカステリアさまの侍女に扮してこっそり入れて貰う事が出来た。目立ってしまう黒髪と、溢れるだろう涙を隠す為に、長い前髪を垂らした大きな鬘を被って。

 怖いけれど、部屋に閉じこもって泣いてたってしょうがない。お姫様の姿を、そして彼女に初めて会うエドガーを見ていたい、とあたしからカステリアさまとシャルムさまにお願いしたのだ。

 広間の隅、カステリアさまの陰に隠れるように待っていると、正面の大扉が開かれて、ぱあっと外の光が広間に舞い込んでくる。正面には、国王陛下ご夫妻とエドガーが正装して待っている。


「ミカエリス王国王女、アリーシャ・マリア・ド・ミカエリス殿下にあらせられます!」


 ミカエリス側の騎士団長らしき人の声が響く。


 そのひとは、ゆっくりとした優雅な足取りで入って来た。その場にいた誰もが、一瞬言葉に詰まり、それから大きくどよめいた。

 純白の大きな翼を背にしたアリーシャ王女は、まばゆいブロンドを巻き上げ、白い細面には微かに緊張と恥じらいとそして誇りを持った表情を浮かべ、伏目がちな青い瞳は絹のような金色の睫毛に縁どられて、清楚だけど見事なレースをふんだんにあしらったドレスを纏って……ああ、もう、一言で言って、誰も見た事もない程の美しさだったのだ!

 事前に送られてきた絵姿を見た時すら、すっごい綺麗な方だな、って感じたけど、こんなの美化してるに決まってる、とも思ってた。でも、でも……実物の方が遥かに美しかった。


 あたしはエドガーの方を見る。遠くて、細かな表情までは見えないけど、流石に驚いている風なのは何となく解る。もう、泣きそうになってしまう。こんな絶世の美人のお姫様ならば、一瞬でエドガーの心をあたしから奪ってしまったかも知れない……エドガーを疑っちゃ駄目だと思いつつも、弱気にならざるを得ない。

 カステリアさまが、後ろ手でぎゅっとあたしの手を握って下さる。


(大丈夫ですよ……)


 温かな思いやりに胸が詰まる。駄目だなあ、強気が売りのあたしはどこに行ってしまったんだろう。恋をすると、人は弱くなってしまうんだろうか? ううん、そうはなりたくない……。


「遠路遥々、ようこそおいでになった、アリーシャ姫」


 と国王殿下が声をかけられ、姫は完璧な作法で応える。王妃陛下は、ご自分の選んだお嫁さんが完璧な様子なので嬉しそう。姫は王妃陛下にもご挨拶した後で、エドガーに向かう。

 正装したエドガーは、思わず惚れ直しちゃう位の美丈夫。背後に結わえた銀の髪に細い冠を乗せて、立派なマントを纏った姿は、普段ののんびりしてる姿からはかけ離れている。


「お初にお目にかかります、エドガー王太子殿下。アリーシャでございます。不束者ですが、どうか……宜しくお願い致します」

「遠いところをお越しになって、お疲れでしょう。ゆっくりお休みになられた後は、我が国の名所でも見て回られるとよい。弟に案内させましょう」


 エドガーの返しに、こちら側からもあちら側からも、びっくり仰天の囁きが盛大に洩れる。婚約者同士が初顔合わせしたのに、何を素っ頓狂な返しをしてるんだ、と思わずあたしまでツッコミたくなってしまう。『弟に案内させましょう』ってなんですか。ここは、姫の美しさを讃え、出会いの幸運に感謝を捧げて、自分で姫を案内しましょう、って言う場面でしょう! なのに、なんか旅行者に対するような返事です。

 王妃陛下の顔が引きつっているのが見えるよう。まあとりあえず、エドガーが姫に一目惚れ……なんて事態は回避された事はよくわかった。


「疲れてなどおりません。わたくしは、エドガーさまとお話しして、早くエドガーさまの事を知りとうございます」

「生憎私は徹夜明けで疲れているのです」


 滅茶苦茶失礼だな! でも、これがエドガーの言ってた、追い返す作戦?? いくら何でもお子様過ぎるでしょう。これ以上失礼な態度で、本当に相手が怒って帰っちゃったら、国交断絶ものでは? 

 ちらっと見ると、案の定、ミカエリスの騎士団長の顔は怒りに染まってる……。


「エドガーさま……わたくしが何かお気に召さないのですか?」


 と姫はそれでも怒りもせず、どちらかというと不安そうに尋ねてくる。異国の地にひとり嫁ぎに来たのに、ようやく会えた婚約者にけんもほろろな対応をされ……姫の可憐な様子も相まって、気の毒さにうるっとなった方もいたみたい。まあ、流石にあたしは同情する立場ではないから、早く帰って、って願うばかりなんだけど。


「いいえ、姫は完璧なお方だとお見受けします。見目麗しく、お心映えも大層ご立派なご様子……」


 と、初めてエドガーは姫を褒めた。ほっとした空気が漂う。


「では、わたくしをお気に召して頂けましたの?」

「貴女のような方を気に入らない男がどこにいるでしょうか」

「よかった……では、わたくし、きっとエドガーさまに釣り合うように妃の務めを……」


 微笑んで言いかけた姫の台詞をエドガーは遮った。


「待って下さい。実は私は姫に謝罪せねばならないのです」

「えっ」

「失礼な態度をとってしまったのは、もし姫が私を無礼な男と見做されてお見捨てになるならそれが良いかと愚考したからです。でも、もし思われたとしても、やはりそういう訳にもいきませんね……。ならば私も真実を告げてその上で、今の態度と合わせて謝罪をせねばなりますまい」


 ざわめき。

 エドガーは何を言おうとしてるのだろう。あたしもドキドキする。


「遥々来て頂いたのに大変心苦しい事を告白せねばなりません。此度のお話、全ては、私が両親にある事実を隠していたから起こった事……全ては私の責任なのです。私自身は如何ようにもお咎めを受けますが、両親や国には悪意も責任もありません。どうかお怒りは私個人のみに……私は、姫の夫にはなれません」

「エドガー! 何を言いだすのです?!」


 遂にたまりかねて王妃陛下が声をあげる。


「エドガーさま……いったいなにを」


 とカステリアさまも不安げに呟く。恐らく、あたしとの事を知っている方は皆、同じ事を考えているだろう。他に愛している女性がいるから結婚出来ない、と公の場で言い出すのではないか、と。

 でも、そんな事を言えば、姫の面子は丸潰れ。そもそも、そんな私情がこんな、国同士の重要な場面でまかり通る訳もない。エドガーの王族としての意識の低さも天界中に知れ渡ってしまうだろう。そしてミカエリス王国が許す筈もなく……。

 あたしのせいでそんな事になってしまったらどうしよう?! あたしもセラフィム王国側も皆青ざめる中、エドガーはしかし、辛そうな声で言った。


「此度の婚約は、私と姫の子が二国の懸け橋になれば、という願いの元、結ばれたものとお聞きしております。けれど……申し訳ないが、姫、私は姫の御子の父親にはなれないのです」

「いったい……どういうことですの」

「実は医師の診断を受け、判った事なのですが、私には子種がないのです」


 しーーーーーーーん。

 エドガーの告白に、押しかけていた全ての天使は固まった。


「な、なんていう事を! でも……凄いわ! これなら……!」


 と、カステリアさまは、しかし興奮気味。


「ど、どういう事ですか、カステリアさま」

「この婚約は、エドガーさまとアリーシャ姫の御子を、セラフィムの次期国王に、という前提で組まれたもの。でも、国王陛下ご夫妻が知らなかっただけで、エドガーさまの個人的な問題で御子が望めない、となれば、ミカエリス側には何の得もありません。争っても無駄だし、きっと向こうから破棄してくるわ!」

「えっ……」


 た、確かに、これなら、個人的な事情を公衆の前で晒さなければならなかったエドガーの面子は傷つくけれど、他の誰をも傷つけずに、結婚せずに済むのかも。

 王妃陛下は呻きながらよろめいて、国王陛下に支えられている。両陛下は、これがエドガーの嘘八百の奥の手だったと多分気づいておられるだろう。『俺は種馬じゃない』と散々言ってたんだから、そんな事実があるならとっくに告白してる筈。でも、外国の使節の前で公言した事はもう撤回できない。

 一方、姫の傍についていたミカエリスの天使長らしき方が、血相を変えて、


「いったいどういう事です?! 話が違うではありませんか! 長旅をしてきたのに、こんな失礼な事があるでしょうか!」

「も……申し訳ない、ソレイユ殿。と、取りあえず休んで頂く間へ……姫はお疲れだろうから……」


 国王陛下が何とか場を繕おうとなさったけれど、天使長は、


「そんな事情でしたら、ここに滞在する必要はない。我々は引き上げます」


 ってすっごい勢いで怒ってる。でもその時エドガーが彼の前に進み出て、


「私のせいで、申し訳ない。どうか、この事が二国の溝にならぬよう、お口添えを願えまいか」


 と丁寧に頭を下げた。

 王族がそれ以外に頭を下げるなんて、常識外の事だったので、流石の天使長もエドガーの神妙な面持ちに呑まれてしまったようで、


「あ……いえ、殿下……正直に述べて頂いて、それは感謝しております。内々に伝える事も出来た筈なのに、姫の体面を保って下さったのですね」

「はい。私のせいで姫が傷つく事など……本当は、一目見た瞬間、何もかも黙って、妻に迎えられたら、という思いがせり上がって来る程に惹かれましたが、だからこそ、姫の幸福を私が壊してしまう訳にはいかぬ、と心を決めました」


 事が思い通りに運びそうなので、エドガーは饒舌になっている。


「そうですね……殿下のお立場を考えますと……言い過ぎました。我が王には私からうまくとりなしておくとお約束致します」

「本当に申し訳ない。せめて数日間滞在して、旅の疲れを癒して頂きたい」


 と国王陛下。天使長は了承し……うそ、本当にうまくいったの……?!


 だけどこの時。

 それまで無言だったアリーシャ姫が口を開いた。


「ソレイユ。何を勝手に話を決めているの。このわたくしを無視して……」

「ひ、姫? しかし私はこの件について、陛下から全権を託されて……」


 急に雰囲気を変えた姫に天使長は驚きを隠せない様子だったけど、真剣な面持ちのアリーシャ姫は、エドガーの目の前に進んだ。


「わたくしには、何も不満はない、と仰るのですよね」

「……ええ、勿論」


 エドガーも予想外の姫の反応に戸惑っているよう。でも、そう言うしかない。


「わたくしも、エドガーさまに対して、何の不満もございません。たとえ子を産む事が出来なくても……アリーシャはエドガーさまの妻になりとうございます」

「何を仰る。姫は御国で、姫を幸福に出来る方と結ばれるのが一番よき事でしょう」

「わたくしが、エドガーさまを幸福にしたいのですわ」

「しかし」

「たった半年足らずのことですし?」


 ぞくり、とした。緩んだ気持ちに、いっぺんに、冷水を浴びせられたような。

 そして、アリーシャ姫は言ったのだ。


「きっと、最期までお傍について、幸せな夢を見せて差し上げますわ……。世界の為に、円環にその身を捧げるさだめの、気高き贄の王子さま! 全ての天使を代表して、わたくしはあなたの癒しになりたいのです」


 はっとカステリアさまは息を呑む。姫は外の方なので、緘口令は関係ない……。

 エドガーが言葉も出ずにこちらを見ているのが解る。でも、あたしは視線を返せない。

 贄。

 それが、円環の儀での、エドガーのお務め……。


「え、エアリス!」


 カステリアさまの声が遠くなる。あたしは朦朧とした気持ちのまま、人々の間をかいくぐって、外に出た。入った時よりも、遥かに絶望的な気持ちで。

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