27・決められた婚約

 夢のように甘く幸せな時間は、でも、そう長くは続かないんだと、本当は勿論誰にも解ってた。だからこそ、エドガーがあんなに愛情表現してくるんだってことも。

 エドガーは、とにかく王妃陛下が勧めて来るあらゆる令嬢との婚約話を断り続けてきた。何が気に入らないのかとまなじりを上げる王妃陛下に、なんのかんのと理由をつけては丁寧に断っていくうちに、もう身分的に釣り合う令嬢がいなくなってきた。

 一方、国王陛下は、エドガーがこんなに嫌がっているのに無理に押し付けるのはどうか、というお考えで、やんわりと王妃陛下を嗜め続ける立場でいらっしゃったらしい。これは全部シャルムさまに伺った話。

 父君が味方になってくれそうなので、シャルムさまは兄の為、ある決断をした。父君に、あたしに王太子妃に相応しい身分を与えてはどうか、と進言なさったのだ。流石に、生粋の天使でないあたしを王太子妃に……というのは色々な困難があるだろう、と最初は難色を示された陛下も、シャルムさまから、エドガーにとってどんなにあたしが大切な存在であるかという事、あたし以外の誰とも絶対に結婚はしないだろうという事を聞かされて、遂に、エドガーの為ならば許そうかというお気持ちになられたそうだ。


 でも。勿論この提案を現実に移す為には王妃陛下を説得しなければならない。

 ちらっとあたしの名前を出しただけで、王妃陛下は怒り狂われてしまったそうで。レガートさまは即呼びつけられ、全責任を負うと言ったのに、まだ二人を逢わせているのかときつくお叱りを受けたそう。別にあの時、会っちゃいけないなんて約束はしてなかったんだけど、婚約の話の流れであたしの名前が出ただけで、王妃陛下は、うまくいかないのはあたしがエドガーを誑かしているからだと思いこまれてしまったみたいで。


『誰も彼も、エドガーの為だと言いながら、為にならない事ばかり! エドガーにしてやれる事は、ちゃんとした血筋の娘と娶せてやることなのに!』


 シャルムさまと凄い口論になったそうだけど、どちらも一歩も譲らなかった、とは居合わせたレガートさまの話。

 一方、エドガーにはこの件は誰もが黙っていたそうで。だっていくら王妃陛下が押し付けたところで、もう話を進められるような令嬢はみんな却下されちゃっていたから、結局今のまま時間が流れるだけだろう、と皆さま考えられたのだ。


 ところが、王妃陛下は諦めなかった。

 誰もが思いつかなかった、『セラフィム王国にもエドガーにも最良の縁談』を編み出したのだ。しかもエドガーは断れない……。

 流石に独断で決められる話ではなかったので、密かに根回しをしてから国王陛下に話を持って行ったそう。国王陛下は頭を抱えたけれど、確かに王妃陛下の提案は、国にとってもエドガーにとっても良いものだ、と判断された……。


―――


 今日は朝から一度もエドガーが姿を見せない。

 何だか不安な気持ちを抱えつつ、それを紛らわす為に刺繍をしていると、カステリアさまが訪ねて来られた。

 カステリアさまの悲痛な面持ちで、あたしは夢の時間が過ぎたのだと知る。


「わたくしから伝えるのが一番いいだろうとシャルムさまが仰るので……エアリス、どうか気を落とさないで」

「なに。何があったんですか?! エドガーの身になにか……?!」

「婚約が決まったのです。ミカエリス王国のアリーシャ姫と」

「…………おひめさま」


 天空の世界には五つの国があるけれど、国同士で縁組をする事は殆どないと聞いていた。大昔、五つの王国には様々な諍いがあって、人間界を護るべき天使たちが争うなど何事かと神さまは大層お怒りになって、色々あった結果、五王国はそれぞれ、不干渉、が前提になった、というのが習った歴史。縁組をすれば、どこかの国と国が近しくなって、均衡が崩れてしまうから、基本的に認められないと。

 なのに……どうして?


「アリーシャ姫はミカエリスの第一王女でいらっしゃいます。ミカエリスは五国の中で最も古き血筋で、王女が他国に嫁ぐなんて、誰も予想もしていませんでした。でも……王妃陛下の出した条件は、我が国にもミカエリスにも都合のよいもの。また、エドガーさまの事情を鑑みて、他の三国もそれに抗議出来なかったのです。アリーシャ姫は、既にこちらへ向かって出立されたとの事。いくらエドガーさまでも、これを断る事は出来ません……」

「そんな。それに、どうして。エドガーの事情って……? ……円環……?」


 口にするのが怖くなって、ずっと声にしなかった言葉。でもカステリアさまは首を縦に振って、涙を流された。

 やっぱり……それは、他国を折れさせる程に特別なお務めなんだ。


「お願い……エドガーはどうなってしまうんですか。教えてください……」

「エアリス……シャルムさまの緘口令があるから、教えてあげられないのです。どうしても知りたいなら、シャルムさまに聞いて……。でも、いま、そなたが知る事がいい事だとはわたくしには思えません」


 緘口令を敷いたのはやっぱりシャルムさまなのか。そんな気はしていたけど。


「ごめんなさい、エアリス……どうしようもないのです……。そなたが明るい態度の裏で怯えている事も、そなたを悲しませると解っていて抑えていた、そなたへの気持ちを解放したエドガーさまも、やはりお辛いだろうと、全部解っているのに」

「そん、な、カステリアさまのせい、じゃ……」


 か細い声で答えつつも、あたしも泣いてしまう。円環までにはまだ日にちが残されている。他国の王女様が嫁いでくるくらいなのだから、エドガーにとって別に危険な事ではないのかも、という考えも湧いた。でも婚約のことは覚悟していた事とはいえ、令嬢の候補が残っていない事や、国王陛下が心情的にあたしの味方っぽい話を聞いていたので、余りにも不意打ちだった。もしかして、円環の儀が終わったら、王女様とどこかへ行ってしまう? もう、会えなくなってしまう……?


 ……と、急にばたんと扉が開いた。


「なに泣いてんの、おまえら」

「エドガー……」


 びっくりする位エドガーは普通の表情。


「カ、カステリアさま、勿論エドガーは知っているんでしょう?」

「ええ、昨夜お話があったとシャルムさまが……」


 エドガーはどかっと椅子に腰を下ろして、


「俺は結婚なんかしない。エアリス以外の誰ともな」


 なんて言う。


「で、でも、断れない話だ、って……」

「全く母上にも困ったもんだ。俺は種馬じゃないっつってんのに、ガキをガキを、って、ババアみたいによ」


 これがあの、王妃陛下の前で神妙にしてた王子さまの台詞かと思うと、そんな場合ではないのに可笑しくなってしまう。カステリアさまはあからさまな単語に赤面してる。


「シャルムがいるんだから、俺がガキを作らなくっても、国が滅びる訳でもあるまいしよ」

「でも、出来れば直系の血を、と拘られるのは、王家の方としてはある意味当然の事かとか思いますわ……。それに、エドガーさまは、お受けになったのでしょう?」

「母上が、こう決まりました、と仰せだったから、分かりました、と答えただけだ。心配するな、エアリス。俺はミカエリスの奴らなんか追い払ってやるから」

「お、追い払う?? そんな事したら、戦争になってしまうのでは……」

「そんな物騒な事じゃない。向こうで、こんな話はお断りだ、って思うようにしてやるんだ。……なあカステリア。俺がただの王子だったら、俺だって、私情を捨てて国に尽くさないといかん、という気になるべきかも知れん。だが、俺はもうあの頃のガキじゃない。充分に運命を受け止めて、務めを果たす気でいる。こんな事くらい、自由にしてもいいと、おまえは思わないか?」

「それは……思います。正直に申し上げて、わたくしは王妃陛下が苦手です」

「だろ」


 幼馴染同士にしか解らない色んな事を思いだしたのか、カステリアさまは不敬な事を仰るし、エドガーはそんなカステリアさまを見て笑う。この二人の和解のきっかけになれて、本当に良かったとあたしは思う。

 あたしの髪をいつものようにくしゃっと掻き回して、安心させようと笑みを浮かべてエドガーは、


「会った事もない女なんかより、おまえの方がずっと大事だよ。だから、心配すんな」

「まあ……ちょっと嫉妬してしまいますわね」


 と、カステリアさまは泣き笑いの表情で仰る。


「カステリアはレガートと同じ、第一の親友だ。ずっと、エアリスと仲良くしてやってくれよ」

「それはもちろん……」


 と答えながらも、カステリアさまの頬にまた涙が伝う。

 なんだか、エドガーは結婚回避に自信ありげだけども、でも、やっぱり何もかもが怖い。円環、と口にしてしまった事で、止まっていた歯車が、動き出してしまったような、そんな感じ。


―――


 そして、数日は、今まで通りにべたべたして、表面上は楽しく過ごす事が出来たけれど……。


「ミカエリス王国御一行のご到着です!!」


 遂にその日がやって来た。

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