20・遅すぎた自覚

 お城の医務室でエドガーが手当てを受けている間、あたしはずっと扉の近くの椅子に座って泣いていた。あたしが、勝手な行動をしたから、エドガーの腕が……。

 あたし自身も傷を負っているので、その手当てを、とシャルムさまとレガートさまに言われたけど、最初は、エドガーが治るまであたしなんかどうでもいい、と断固拒否した。だけど、魔族の瘴気を帯びたままだと自分にも周囲にも穢れが広がってしまう、と説得され、仕方なく別室で手当てを受けた。結構深い傷もあるので安静を、と言われたけど、そんな気にはとてもなれない。少しでもエドガーの傍にいたい。傷の痛みなんて感じない。あたしがうっかり眠ってしまった間にエドガーに変わりがあったら、と思うと、とても横になる気になんてなれない。


 あたしがエドガーを連れてお城へ戻ってくると、どうしてかシャルムさまが険しい顔で門の前で待っていた。でもエドガーの状態を見ると大慌てでマントでエドガーを覆って、レガートさまを呼んで、二人が医務室に運んだ。だから、この事はまだ殆ど知られていない。

 今、医務官の方々が、必死に魔道で手当てをしている。でも、出血が多すぎて、エドガーの意識は戻らない。腕は繋がるだろうけれど、元のように動かせるようになるかどうかはわからない、との事。


「あたしっ……あたしのせいで、こんなことに……どうやって償ったらいいのか……」

「エアリスちゃんのせいじゃないよ。罪は全てリベカのものだよ」


 優しくレガートさまが言ってくれる。もう何度か繰り返されたやりとり。

 一方、壁に寄りかかったシャルムさまは沈んだ面持ちで殆ど口を開かれない。ただ、最初にあたしから事情を聴いた時に、額に手をやって、


『そうか……弱点にもなるのだという事を、もっと考えておかなければいけなかった……』


 と仰ったきりで。


 エドガー、どうしてあんな真似をしたの? 王子様なのに、ペットの為に腕を駄目にするなんて。命を危険に晒すなんて。このまま目覚めなかったら、あたし、生きていけないよ……。


 リベカの言ってた事が不意に頭に甦る。


『エドガーの空っぽになってた心を奪った癖に』


 それって本当なの? エドガーは、腕を斬り落とされても、泣いてるあたしを安心させようとして笑ってた……。

 昔、人間の小さな女の子だった頃、読んだ絵本を思い出す。『アーレンとレーフ』……とても愛し合ってる王様とお妃さまがいて、お妃さまが危機に陥った時、王様は自分の危険は顧みずに、左手を失ってもお妃さまを助け出した、って……。

 村の女の子たちはみんな、『素敵、そんな風に想って貰えたら、王様でなくってもいいわ、夢みたいだわ』なんてうっとりしていたけれど、あたしは、『馬鹿馬鹿しい、そんな事起こりっこないわよ。絶世の美人のお姫さまならともかく、ただの村娘なんかの為に身を投げ出す人なんていやしないわ』と言い放ったのだった。

 でも今、現に、天使の王子さまは、ただの村娘だったあたしを救う為に、あっさりと腕を捨てた。後でくっつくだろうとかそんな事考える暇もなかった筈。『首に比べれば腕くらいどうってねえよ』って無理に笑ってた。気を失いたいくらい痛かった筈なのに。


「っ……う、ああ……」


 嗚咽が零れる。エドガーの所に行って手を握りたい。その手に、また力が戻るように。その目が開いて、またあたしをおちょくってくれるように。

 あたしは、エドガーが好きだ。『アーレンとレーフ』のレーフがアーレンを好きなのと同じように。レーフもアーレンの腕が落ちた時、こんな気持ちだったんだろうか? でもレーフはアーレンの愛妻だけど、あたしは妻でも恋人でもない。だけど、エドガーといたい。エドガーを見ていたい。少しも離れたくない。これが、恋……。

 どうして、こんな事になるまで自分で解らなかったんだろう? いいや、本当はだいぶ前から解ってた。でも、『あたしはペットでエドガーは王子さまだから』という気持ちが、あたしの心に蓋として乗っかっていたんだ。きっと、最初に出会った瞬間から、あたしの心は首根っこを掴まれていたのに!!


「レガートさま。ごめんなさい。あたし、エドガーが好き。あたしがエドガーに貰った命を、今返せたらいいのに。エドガーを、エドガーを、あたしは……」


 レガートさまは、何も咎めない。あたしの頭を撫でてくれて、


「そんなの、知ってるよ。そんなエアリスちゃんだから好きになったんだよ。きっと大丈夫。エアリスちゃんが好きな、あのエドガーさまが、これくらいの事でどうかなる筈ないって……」

「レガート。今はいい加減な事は言わないでくれないか。魔族の刃は天使にとって最悪の毒だ。ただ単に腕がどうとかいう問題じゃない。兄上の身体に魔族の毒が入り、それが兄上を苦しませている。毒に蝕まれてしまったら、たとえ命が助かっても……」


 そのシャルムさまの言葉に、レガートさまは剣呑な表情で立ち上がった。こんな顔のレガートさま、見た事ない。


「命が助かればそれでいいじゃないですか? シャルムさまは、エドガーさまの命より、完璧なお役目の方が大事なんですか?」

「なんだと! いくらおまえでも、今の言葉は聞き逃せないぞ!!」

「上位魔族相手ならともかく、堕天したばかりのリベカの毒なんて、エドガーさまの浄化の力の前では大したものではないでしょう? それくらい解っている筈なのに、今のお言葉は納得出来ないですね」


 だんっ、とシャルムさまは拳で壁を叩き、驚くような剣幕で、


「おまえはまだ知らない事があるんだ! 兄上のお身体は……」

「なんですか? 言って下さいよ。俺が知っちゃいけない事があるんですか?」

「そうじゃない……私だって、気づいたばかりなんだから! だけど、ここでは……」

「ちょ、ちょっとどうしたんですか?! こんな所で喧嘩なんかやめて下さい!」


 いったいどうしちゃったの。シャルムさままで、レガートさまと喧嘩? 今、こんな時に!

 あたしの叫びに、ふたりは我に返ってくれたようで、取りあえず口論は収まったけど、気まずそうに目を逸らし合って、レガートさまは唇を引き結んだままあたしの隣に腰を下ろし、シャルムさまは溜息をついて下を向く。


「シャルムさま、今、兄上の身体は、って仰いましたね。エドガーは病気なんですか?」


 あたしの問いに、シャルムさまは軽く目を瞠ったけれど、いつもより強い口調で、


「きみが知るべき事じゃない」


 と言い放たれる。


「いっつもそれ! あたし、誰にも言いませんよ?!」

「そういう事じゃない。それに別に病気じゃない」

「だったら、なんなんです?」

「……っ、まだはっきりした事じゃない。兄上がお目覚めになれば、きみも知る事が出来る。きみは言ったね、危機に陥った時に、翼が光って、兄上が現れた、と。レガート、つまりそういう事なんだ。あの時、兄上は城におられて、私と話をしていた。けれど、兄上の翼が突然光り出し、吸い込まれるように私の前から姿が消えた」

「……まさか」


 シャルムさまの言葉に、レガートさまは唖然とした様子。なんなの?


「また、円環の儀がどうの、なんですか?」

「いいや、それは直接関係はない。兄上の個人的な気持ち……」


 シャルムさまは哀し気な目であたしを見る。


「レガート、おまえが正しかった。誤解させる言い方をして済まなかった」

「いや、そういう事なら……すみません、俺は……シャルムさまは、誰より兄君の身を大事に思われてるのを、知っていたのに、暴言を」

「いや、ああ言ってくれて、有り難いよ」


 なんか、二人は突然喧嘩して突然和解したみたい。だけど、全然わからないよ。


「もう、なんなんですか! どうして教えてくれないの!」

「解った、じゃあ言うよ。もし間違っていたら、兄上がお目覚めになった時に教えて下さるだろう。エアリス、さっききみは、兄上が好きだと……命をあげたい位だと言ったね。兄上もそうだ、という事だよ。私の推測が当たっていれば、だけどね。我々は皆、兄上がきみに翼を与えたのは、兄上が膨大な魔力を持っているから、普通は出来ないような術を使われたのだとばかり思っていた。でも、多分、違う……。翼が呼び合う、という事は、魂が繋がる、という事なんだよ。兄上は多分、ご自分の命を、きみに分け与えたのだと思う……」

「…………」


 ええっ?! それって、図書館の書物で見た気がする……。愛し合う天使同士が、片方が死にそうになった時に翼を分け与えて命を共有する術。でもなんで。出会った時、あたしには何の知識も選択肢もなかったけれど、エドガーには、そんな事をする理由なんて何もなかった筈。あの頃の態度を考えても、エドガーが一瞬であたしを好きになった、とはとても思えない。


 ……でも、それ以上考える間もなく、その時に。

 人払いしてある筈のこの区画の廊下に、こつこつと足音が近づいてくるのが聞こえた。

 はっとして、レガートさまが立ち上がり、思わずつられてあたしも立ち上がる。


「……父上、母上」


 シャルムさまの声に、あたしは胸が苦しくなる。出て来ない奥の離宮から、国王夫妻がみえるなんて、そんなにエドガーの容体は悪いのだろうか。

 それにしても、流石に天使の国王夫妻、物凄い威厳だなとぼんやり思ったその時に、エドガーによく似た女性はあたしを指さし、


「シャルム。その娘ですか、元凶は」


 と、とても冷たい声で仰ったのだった……。

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