43・幸せでいて欲しい

「確かなのかい、エアリス?」


 シャルムさまの問いにあたしはぶんぶんと首を縦に振って、


「なんで今まで気づかなかったのか不思議なくらいです。だって、人間として最期に見たものなのに! あまりに突飛過ぎて頭に浮かばなかったのかな……」


 あたしの言に、四人は顔を見合わせる。


「ええっと……。アリーシャ妃が糸をつけていた、ただの人間だったエアリスちゃんを、轢き殺して輪廻の螺旋に送り込んだ犯人の紋章の入ったブローチを、アリーシャ妃が持っていた……?」


 と、レガートさまが情報をまとめる。


「なんだそりゃ。アリーシャの意図も紋章の持ち主の意図も全然わからねえ」

「妃がブローチを持っていた理由として考えられるのは二つ。紋章の持ち主が妃にとっての敵で、何らかの陰謀を知って暴く為に証拠品として持っていた。もう一つは、紋章の持ち主がしもべで、忠誠のあかしとして差し出されたものを持っていた……」

「真逆じゃねーか。どっちなんだよ!」

「待ってください。もう一度、リベカと妃の話に戻りましょう。リベカは若く見せかける為に、時の王太子に振られる度に、暫く姿を消していた。もしかしたら、リベカはその間、人間界に降りていたのでは?」


 シャルムさまの言葉にあたしは驚いて、


「人間界に降りて? 人間の貴族として暮らしてた、って事ですか? そんなことあり得るんですか?」

「さっき言ったように、天界と魔界は完全に分断されているけど、間にある人間界には、実は行き来は出来る。勿論本来は、何らかの公の任務で、人間としての姿で、だけどね。魔界の方ではどこまで自由なのか知らないが、とにかく、あちらも何らかの制限はあれども行き来は出来る筈。天使の方は、普通は、任務でもないのに自分の勝手で人間界に降りようなんて考えもしないものだけど、リベカは王妃の地位に執着するあまり、掟を破ってでも良い思いがしたい、という欲望に囚われたのかも知れない。そういう不心得者の前例はない訳じゃないからね。ある程度年齢を重ねれば、真穴を開けずとも人間界に出入りする魔道は会得できるというし……。あの見かけならばあり得るな。人間の貴族に取り入って……。というか、彼女が長く不在にしていた間、いったい王城を離れてどこで生活していたのか謎だったけれど、これなら説明はつく。天界の他の王国に入り込んで暮らす、なんて難しい事だからね」


 カステリアさまが考え考え、


「妃は、最初はそう悪い気持ちではなく、人間界を垣間見たいというただの好奇心で、悪戯心でエアリスに糸をつけられたのかも? でも、たまたま天界から繋がる糸に気付いたリベカは、掟を破っている自分への追手と勘違いしてエアリスを殺した?」

「待て待て、リベカは俺がガキの頃には既に王城で生活してたじゃねーか」

「そ、そういえばそうでした」


 エドガーの言葉にカステリアさまはうーんと頭を抱えてしまう。


「そもそも、ブローチがリベカのものだというのも単なる推測のひとつですしね……」


 って、レガートさまも溜息をついて仰る。

 その後も色々な説が飛び出したけど、どれも決定的にそうだと言えるものではなかった。

 夕暮れが近づいて来て、結局謎は解けなかったけれど、エドガーは、


「とにかくアリーシャが邪悪で残忍な奴だという事実は曲がらない。なんだか真実は単純な事だという気もするが、見落とした何かに気付けば、きっと対処出来ると思う……。あと数日、知恵を絞ってくれよ」


 と言った。お三方は、はっとしたように顔を見合わせたけど、あたしはぴんと来なかった。あと数日あるのに、なんで他人事みたいな言い方するのかなってぼけた事を思ってしまってた。


「もし、どうしても判らなければ……俺が何とかしてみるよ。なあシャルム。円環までの道のりに付いて来れるのは、守護騎士以外は、おまえとアリーシャだけだ。俺とアリーシャを、おまえは見ててくれ。証人になってくれよな」

「はい……兄上の、仰せのままに」


 とシャルムさまは俯いて答えられた。


―――


 解散した後、あたしとエドガーは王城の中の道を一緒に歩いた。

 人目がない訳ではないところとはいえ、二人で話すのは一体いつぶり? そして今の夕刻、偶然だろうけど、誰も通ってない。最初はお互いに緊張して何を言えばいいかも解らなかったけれど、貴重な時間を無駄にしてはいけない。円環の儀までもう数日。


「あのね……絶対にあたし、エドガーが帰って来るのを待ってるから……。エドガーが、御神の祝福を示してくれたから、あたしはアリーシャに殺されはしないよね……エドガーが不在の間、アリーシャがあたしを攻撃する理由もないし」

「おまえの安全保障に関しては、可能な事は全てやったつもりだ。母上がどう思おうと、父上は俺の味方だし、勿論シャルムもだ。でもさ……俺の願いは、おまえに『待たないでくれ』っていう事だ。俺は帰って来ない……」

「なんでそんな弱気なの。エドガーらしくないよ! 四百年経てばお務めは終わるんでしょ? その後は自由なんでしょ?」


 『待たないでくれ』だなんてとんでもない。待てると思うからこそ、あたしは辛うじてエドガーが行ってしまう事に耐えられると思うのに! 

 弱気は駄目だと、あたしは励ますつもりでそう言ったけれど、エドガーは辛そうに顔を伏せてしまう。


「……エアリス。お務めは命懸けだ。俺は生きて帰れるとは全く思ってない。今まで無事に帰って来た贄の王子なんて……いないんだよ。すまん……おまえが悲しむと思って言えなかったけど……もうこれ以上引き延ばしても仕方ない。ない希望に縋らせるよりは、ちゃんと言っておいたほうがいいよな。おまえは諦めが悪いから」


 あたしは初めて告げられた事実に酷く動揺する。エドガーの為に、涙なんか見せちゃいけないと思うのに、止まらない。


「なんで……そんな事いうの……。生きて帰れるって全く思ってない、って……う、嘘よね? だって、眠るだけだって言ったじゃない。今まで誰も帰って来なかったから帰って来れない、なんてそんなの決まってないよ! 大丈夫だよ、きっと、生きて帰って来る最初の王子になれるよ!」


 根拠もなくそんな事を言っても、エドガーを苦しめるだけかも知れない、エドガーがそう言い切るんだから、帰れない可能性は、あたしが思ってたより遥かに高いんだ……そう心の隅で思いながらも、あたしは、あたしの希望の為に、そんな事を口走っていた。たった一人でお務めをするのはエドガーなのに、残ってこれまで通りに生きていくあたしが、エドガーに、『ない』と言わせた希望を持って欲しいと望むなんて、あたしは酷い事してるのかも、と自分でも思うのに、止められない……!


「本当に可能性がないなら、あたしも、死んだ方がまし……希望が絶対になければ四百年も待てない。でも、希望があるって信じてるから!」

「駄目だ、駄目なんだよ! でも、俺はそれでいいんだよ。おまえのおかげで、最後まで幸せな気持ちでいられるよ。だから、悲しみが収まったら、レガートと結婚して家庭を築いてくれよ。あいつは絶対におまえを幸せにしてくれるよ。俺との事はいつかは思い出になる。みんな、いつかは死んで遠い記憶になるんだから。最初は毎日俺の事を考えて泣いても、いつか必ずその時間は減って来る。俺はそれでいいんだ。お務めをしていても、おまえが幸せな気持ちでいれば、比翼の俺には伝わるから。逆に、おまえが死んでしまったりしたら、俺には絶望しかない。だから……生きて、幸せになってくれよ。俺の事を忘れても、俺は絶対に怒らないから。心の片隅に置いてて、たまに思い出してくれればそれでいいんだ。消えない悲しみはあるかも知れないけど、それは心の底に沈めてくれよ。おまえを、世界を幸せに出来たなら、俺のお務めも、意味のあるものだと誇らしく思えるから……」

「レガートさま……は、今は、実のお兄さんみたいに大事な人だよ。くじけそうな時に、いっぱい優しい言葉をくれて……。でも、あたしの恋人はエドガーしかいないの。レガートさまと家庭を築くより、希望を持って待つ方がずっと幸せなんだよ!」

「……そんな事を言わないでくれよ。俺の言葉にうんと言え。おまえは俺様のものなんだから……」


 エドガーは、あたしをさっと抱き寄せて、頬に軽く唇を滑らせた。ペットとしての触れ合いだよと自分に言い聞かせるようにエドガーは呟く。


「おまえは俺のペットなんだから、俺の頼みを聞いてくれ。すぐには受け入れられないだろうけど、シャルム達はおまえを守り、セラフィムを守ってくれるって信じてる。アリーシャの事は、俺が何とかする……」

「やだ! やだ! やだ! 諦めないで、エドガー! 諦めちゃったら帰って来る気力がなくなっちゃうよ! エドガーは、あたしを幸せにしたから自分も幸せになれた、って言ってくれた! でも、それで終わりなんてやだよ! 戻ってきて、もっともっと幸せになろうよ! 今度はあたしがエドガーを幸せにするから!」

「俺は充分に幸せだ。おまえが俺に幸せをくれたんだ。俺が行くのは、おまえと、おまえが生きてる世界を護る為なんだ。円環が回らなくなって人間界がぶっ壊れたら、天界も滅びるんだから……。おまえと二人で逢うのはこれが最後かも知れないけど、いつだって俺の心はおまえと繋がっているから、俺にとっては、ずっとおまえと二人だよ」


 これが最後。はっきりと言葉にされた絶望に、あたしは息を詰まらせ、エドガーに縋りつく。エドガーは微笑んでいるけれど、その瞳の奥に悲しみの影が揺らめいているのは、隠してるつもりでもはっきりと見える。


「あたしは? あたしはエドガーを感じられる? エドガーと感覚をひとつに出来る……?」

「……いや、駄目だ。おまえは俺以外の事を考えて自分で幸せの道を進むんだ。出来るだろ、おまえなら? 俺が首根っこ掴まえてないと駄目なのか? そんな事ないだろ? おまえは強いから、大丈夫だよ、俺は信じてるよ」


『待たないでくれ』

『幸せになれ』


 なんでそんな、同時に出来っこない事要求するの? ずるい、ずるいよ……。


「俺は今夜から当日までぎっしりと詰まった色んな儀式をこなさないといけない。もう、外に出かけられない。おまえらと今日みたいに会えるのは、最後だったんだ。あいつら、判ってたと思うけど、普通にしてただろ? あいつらを俺は跳ね除けて苦しめてしまったけど、あいつらはそれでもただ、この時が来る事を辛く思いながらも、何年もかけて受け入れたんだと思う。だから、おまえにも出来るよ……」


 あたしはどうしたらいいんだろう。これ以上駄々をこねたって、エドガーを困らすだけなのは判ってる。エドガーは行くと決めてるんだから、一緒に逃げてなんて言ったって無理だって判ってる。でも、でも、耐えられない……。

 だけど。


「……わかった」


 ってあたしは言った。エドガーはほっとした顔になる。あたしは無理に笑った。涙を止められないままに、一生懸命笑顔を作った。


「あたしはエドガーのものだから……エドガーの望みなら何でも頑張る……。エドガーが幸せな気持ちでお務めが出来るよう、幸せになるのが、エドガーの比翼であるあたしの役目なんだね? それがエドガーの望みで、エドガーを幸せに出来る事で、それはあたしにしか出来ない事なんだね? だったら……あたし、幸せな気持ちでいられるよう、頑張るから……」

「ああ……ありがとう、エアリス……」


 エドガーのアイスブルーの瞳にも、涙が浮かんでた。


「元気でな」


 そう言って、一瞬だけエドガーはあたしをぎゅっと抱きしめると、すぐに離し、後を振り返らずにお城の方へ飛んで行った。

 ひらりと白いものが空から降ってきた。エドガーの羽根だ。あたしはそれをとり、泣きながら何度も口づけして、大事に懐にしまった。四百年、これを宝物にしよう。

 前例がないからってエドガーが諦めていたって、あたしは諦めない。希望がないのに待つ事が耐えられない、なんて弱虫だった。

 エドガーに頑張るって言ったのは、エドガーを忘れてレガートさまと幸せになるように頑張る事じゃない。

 あたしは待つ事を幸せに感じられるように頑張るんだ。そう、固く心に決めた。

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