42・ブローチの紋章

 レガートさまはだいぶ回復されて、いまは自館で療養中。なのであたしは日に何度もレガートさまの為に歌い、お話しする。もうすっかり意識も回復して、いつものレガートさまだけど、何しろ大事な翼を傷めてしまったので、翼を動かそうとすると激痛が走るらしい。まだ一日の大半は病床の身。


「エアリスちゃんが僕の命を救ってくれたんだってね。本当にありがとう」

「いえそんな。あたしはただ、レガートさまが死んでしまうなんて耐えられないと思って必死で歌っただけです」

「そっか、嬉しいよ。でも僕、恰好悪かったなあ……敵を庇った上に、そのせいでエアリスちゃんをとんでもない目に遭わせるとこだった。なのにずっと気絶してて……」

「恰好悪いなんて! いくら敵でも、正体の判らない奇襲から身を挺して女性を護る。しかも妊婦かも、って事まで考えて! あたし、凄いって思いました!」

「……ありがとう。あーあ、エアリスちゃんを護って矢を受けたんなら、恰好よかったのになー」

「だから、恰好よかったですってば!」


 こんな事を話してた。意識を取り戻したレガートさまには、逐一状況を伝えているけれど、何だかいつもうかない様子。まあ、糸を断ち切った以外、何もいい事はない上、円環の儀は迫ってくるばかりなのだから、誰もがうかない気持ちなんだけれど。

 話を逸らそうとあたしは、


「それにしても、考えてみれば、リベカの弓の腕ってすごかったんですね? あの距離であんなに正確に……天使の令嬢って、みんな武の腕も磨いてるんですか?」

「そんな訳ないじゃん。ごく少ない女騎士を除けば、女性はみんな非戦闘員だよ。そうだねえ、確かに……リベカは堕天して魔族になった。そこで弓の指南を受けたのかなぁ……。人間はどうなの? 大体、犯人にされかけたエアリスちゃんって、弓とか扱えたの?」

「いやぁ、狩りにはついていったりしてたけど、弓とか、精密な武器ってあたし苦手だったんです」

「でも、力の弱い女性には一番向いているんじゃ?」

「あはは、あたし意外と力持ちなんですよ。恥ずかしい異名まで持ってて……」

「恥ずかしい異名? なになに?」

「恥ずかしいから教えません。それより、大体、魔界ってどんな感じなんでしょう? ただただ恐ろしい苦しみの世界としか教わっていないけど、魔族は弓の修行を……?」


 リベカとアリーシャがどうやって主従になったのかもまだ謎のまま。そもそも主従だったという証拠もないし。

 この時、扉が叩かれて、エドガー、シャルムさま、カステリアさまが入ってこられた。最近はレガートさまの調子が良くなってきたので、作戦会議はレガートさまの病室で行われる。

 作戦と言っても、さほど進展はないのだけど。

 シャルムさまとカステリアさまの結婚作戦は、失敗してしまった。考えを説明した上でのシャルムさまの求婚を、カステリアさまは間を置く事もなく「わたくしでよろしければ」と受けられた……のは良かったけど、誰にも秘密にして変装して一般民の為の聖殿でこっそり婚儀を上げようという作戦は、いくら変装してたって、婚儀の際には本名を署名しなければならない、という難関があった。偽名を使ったら、それは正式な結婚とは認められない。まさか王子がって気づきませんように、或いは見逃して貰えますように、という祈りは空しく、結局ばれてしまい、二人はそれぞれの父上にこっぴどく叱られた。

 とはいえ、全く収穫がなかった訳ではない。シャルムさまも、こうなる可能性は充分認識した上での行動であって、何故アリーシャとの約束があるのに、次期王太子ともあろう者が私情に流されたかと問う父陛下に、事情を全部ぶちまけてしまわれたそう。魅了の影響を、完全にではなさそうだったけど受けていそうな陛下が理解してくれるか……賭けだったけど、流石は国王陛下、エドガーも交えての話し合いで、アリーシャの恐ろしさを認めて下さったのだ。

 魅了の影響を受けてはいたけれど、振り払うきっかけは、あたしの火刑騒動。王妃陛下があたしを不吉扱いしたのは理解出来るけれど、心優しい筈の妃が、命を救ってくれたレガートさまの心配もせず、きちんとした調べもなくそんな残酷な刑が行われようとしたのを、何故止めようともしなかったのか、ずっと不審に思われていたそうで。


「そなた達の話は解った。……しかし、妃が身籠っているのが確かな現状、彼女を追い返す事は出来ぬ……。ミカエリスと、内々にとはいえ、約定を結んでしまったのだからな」

「しかし、絶対に私の子ではないのですよ」


 とエドガーは主張したそうだけど、


「そなたがあの人間の娘に入れ込んで、妃との仲が最初から冷えていたのは知っていたが、妻が身籠るのは夫の子、というのが天界の摂理だ。もしかしたら、子が欲しい故に妃はそなたに媚薬でも盛って、その事も忘れさせてしまったのかも知れんぞ」

「私にはそんなものは効きません」

「まあいい、そこは表向きには重要ではない。妃が無事に子を産めば、その子は次期王太子、そう決まっているのだから……」

「しかし、そのままの流れで放置すれば何か大変な事態を招く事になりかねません」

「うむ……何かしら手立てを考えねばならんな……だが今は……」


 だが今は。

 円環の儀が目前に迫った重要な時期。波風を立てる訳にはいかない、というのが陛下のお考え。


―――


「そういやうやむやになってたけど、魔族と化していたリベカとアリーシャの繋がりを証明出来れば、あいつの邪悪さは明らかになる。何しろ魔族との交流なんて禁忌中の禁忌だからな」

「そうですね。我が国で断罪は出来なくとも、国へ送り返す事は出来ます……!」

「あの……魔界って、魔族って、結局なんなの?」

「なんだおまえはそんな事も知らんのか。ちゃんと勉強したんじゃなかったのか!」

「うう……だって図書館には、魔界の本なんかなかったもん」


 ふうとシャルムさまが溜息をついて、


「確かに、魔界について詳しく書かれた書物は公式にはないよ。魔界に興味を持つ事自体が禁忌だからね。でも、一応この世の成り立ちについては、最初の頃に講義した筈だけど?」

「す、すみません……最初の頃は、覚える事が多すぎて、直接暮らしに関係のない事、あまり頭に入ってなかったのかも……」


 首をすくめて謝るあたしにシャルムさまは微笑して、


「まあ確かに、あの頃はまず兄上と過ごす天使としての習慣を覚える事で精一杯で、関係ない事までは気が回らなかったって仕方ないよ。実際、魔界についてなんて話題に上る事もないし、本当にろくに知らない天使だってたくさんいるからね。だって普通は、五百年生きた所で、魔界に縁を持つなんてまずあり得ないからね」

「はい……折角教えて頂いたのにすみません」


 エドガーが口を挟む。


「いいかエアリス。伝承ではこうだ。人間界を挟み、天界と魔界が存在する。天界の上には御神がおわし、魔界の上には魔神がいるという。御神と天使は人間界を護り、平和と秩序を保たせる事を望む。魔神と魔族はその逆だ。人間界にいくさが起き、嘆きや憎しみで混沌に陥る事を望む。普通の人間は、死ねば輪廻の螺旋に導かれ、前世の記憶も人格も洗い流されてまた人として、或いは別な生き物として人間界に戻る。だが、特別な悪人は魔界に堕とされ、残忍な魔族の嬲り者にされ、永遠の苦痛を与えられるという。逆に、特別な善人は天界に引き上げられ、聖人とされ、天使からも一目置かれる事になる。……しかし、歴史上、聖人は今まで存在していない。だから、恐らくだが、人間界で恐れられているような、魔界に堕とされる人間というのも殆どいないのではないか。何故なら、人間の中には様々な要素が混在しており、完全な善も完全な悪もないから……というのが概ねの見解だ」

「そ、そっか……。じゃあ、想像してたような、魔界では年中、堕ちた人間を残虐な饗宴の見世物にして血の臭いも絶えず……なんて訳でもないのかな」

「多分。俺だって自分で見た訳じゃないから実際はわかんねえけど、天界と同じようにある程度の規則のある暮らしがあるんじゃねえかな。天界と魔界は不干渉の原則……だが、人間界を挟んだ二つの界は、対の存在と言われる。魔族はただ残虐な本能のままに適当に生きてる訳じゃなく、ちゃんとそれぞれの役割を持って、魔王の支配するいくつかの国々が、争いを繰り返しながらあるのではないか、と言われている」


 国。魔王。

 そ、そうか、魔族って、理性なんかない悪い存在、という認識だったけれど、実は案外人間と大差ない暮らしをしているのかも……この天界の天使さまが、皆基本的に善良で、容姿も心映えも美しい方々ばかりだけど、悪意が存在しない訳ではないのと同様、魔界も基本的に邪悪とはいえ、色んな魔族がいて、それぞれの生活を送ってる、って事か。


「そういえばリベカは、天界の色んな情報と引き換えに魔界でもてなされた、みたいな事を言ってたっけ……」


 最初に泉のほとりで襲って来た時。あの時は、切断されたエドガーの腕で頭がいっぱいになって、リベカの言ってた事なんて、怨み言ばっかりが印象的な記憶になっていたけれども。


「なんだと。なんでそんな大事なこと言わないんだよ!」

「だってあの時はエドガーが心配で心配で……堕天するってそういう事なんだろう程度にしか思ってなかったし……うう、ごめんなさい」

「兄上、あの頃はエアリスも色々解っていなかったし、過ぎた事より今からの事ですよ。天界の色んな情報。なんだろう……リベカが知っていたのは主にセラフィムの事だろうけど、何しろ謎の多い生を送って来た彼女だから、何か特別な事を知っていたのかも知れない」

「アリーシャの事とか? 魔族たちにアリーシャの秘密を教えて繋がりを持たせたとか……? 魔族に秘密を握られて、アリーシャは魔界から洗脳されてるとか?!」


 あたしは思い付きを興奮気味に口にしてみたけど、


「そんな事はあり得ねーな。仮にリベカがアリーシャと天使時代に繋がりがあり、何か秘密を知っててそれを魔族に伝えたとしても、魔族側から天界に干渉する事は不可能だ……真穴がない限り。だが、リベカがおまえを使って開けた真穴、あれが塞がれた後で新たな真穴が開かれた痕跡はない」


 と一蹴される。


「で、でも、ならリベカは堕天した後、どっから天界に入ってきたの?」

「堕天使と言えど、奴は元々は天使。何かしらの手段で境界をすり抜ける事が出来たのかも……或いは協力者がいたとか。でも、生粋の魔族は無理だ」

「協力者って? アリーシャ?」

「……以外には思いつかねえけど、理由が全く解らないよなぁ」

「アリーシャはもしかして、リベカをすごく信用してて、天使に戻してあげたいと思ったとか?」

「王女が、他国の、堕天した者を? 考えにくいな……」


 ここで、寝台に半身起こした状態のレガートさまが発言した。


「アリーシャ妃がエアリスちゃんが人間だった時につけた糸。いったいなんでそんな事をしたんでしょうね?」


 そうだった。エドガーが、あたしは別に特別な人間ではなかったと言う以上、あたしは無作為に選ばれて糸を付けられた事になる。人間の頃から、アリーシャはあたしの生活を盗み見てたのだろうか。退屈しのぎ? 好奇心? でもあたしは事故死して人間としての生を終えて……。


「あああああっ!!」


 突然、雷のように記憶が甦った。


「どうしたの、エアリス!」


 カステリアさまが驚いて声をかけてくれたけれど、あたしはシャルムさまの方を向いて叫んだ。


「あれ! あのブローチの紋章! あれは、あたしを轢き殺した馬車についてた貴族の紋章でした!」


 と。

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