54・王子さまの首根っこを掴みました

「ああ、本当に無事で……試練を……四百年もたったひとりで」


 カステリアさまは外見は何も変わってない。泣きながらあたしを温かい細腕で抱擁する。


「カステリアさま……」


 まだぼうっとしたまま、あたしは呟いたけど、その時足元で赤ちゃんの泣き声がした。


「ああ、この子……!!」

「カステリアさま……ご存知だったんですか?」

「ええ、ここに入る前に番人さまに教えて頂いたの!」


 その時、別の声が扉から響く。


「カステリア……足が早いよ。もう、若くないんだから……」

「ちょっと、陛下! 産褥に入って来ないで下さい! わたくしが全て面倒をみますから、落ち着くまで外で待ってて下さいな!」


 ぴしりと指図するカステリアさまにあたしは思わず笑みを漏らす。


「カステリアさま。陛下、って……」

「そうよ、エアリス。そなたが試練に耐えている間に色んな事が変わったわ。わたくしはシャルムさまと結婚して王妃になった。今はもう、長男に王位を譲ってのんびりしているのだけど」

「まあ……おめでとうございます。そうなるんじゃないかなっては思ってましたけど……」

「もう四百年近く連れ添っているのだけど、でもありがとう。ああ、それより赤ちゃんのお世話を早くしなくっちゃ!」


 カステリアさまは、王太后とも思えない手際の良さで、臍の緒を処理して用意されてた桶で赤ちゃんを産湯に浸からせてくれる。


「男の子よ。おめでとう、エアリス!」


 カステリアさまの手の上で、小さな小さな生き物が、気持ちよさそうに目を閉じて、お湯にその身体を委ねてる。背中には、ちょこんとちっちゃな翼がくっついてる。これが、エドガーとあたしの赤ちゃん……なんて、なんて愛おしいんだろう。こんな愛おしい存在がこの世に存在するなんて……。


「エドガー……!」


 振り返ると、まだ棺の蓋は開いてない。エドガーは眠ったまま。扉は開いたのにどうしたのかと焦ったけれど、カステリアさまは悪戯っぽく笑って、


「この子に綺麗な産着を着せて、そなたも着替えが済むまで、もうちょっと眠っていて貰いましょう? うふふ、楽しみだわ、エドガーさまが御子をお抱きになるのを見るのが……」


 カステリアさまは忙しなく口と手を動かしているけれど、あたしはまだぼうっとして、何を考えればいいのかよく解らない。


「あの……次の贄の王子は……? なんでカステリアさまとシャルムさまが……?」


 そうだ、扉が開くのは代替わりの時。入って来るのは次の贄の王子だった筈なのに。

 あたしの疑問にカステリアさまはぱちぱち瞬きして、


「そうか、そなたはまだ知らないのね! もう、贄は必要なくなったの! エドガーさまとそなたが共にお務めと試練に耐えきった事で、御神のお怒りが解けたのよ!」

「え……?」

「そなたとエドガーさまの話は、すぐに天界中に知れ渡ったわ。その、今までの常識を覆す行為は、全ての天使の心の奥に刻み込まれたまま封印されていた、生まれる前から持っていた記憶を呼び覚ました。天界大戦に御神がお怒りになり、当時の天使たちは贄を差し出す事で許しを請おうとした。これは間違った行動だった。でも、御神が贄など望まれる筈がないと……そんな当たり前の事が判らないくらい、当時の天使たちは戦い続きでおかしくなっていたのね……。御神は、天使たちがいつか自分でそれに気付くまで、敢えて間違いを指摘なさらなかった。ただ、辛いお務めをした贄の王子には皆、それに値する永遠の祝福と安らぎを与える事で労わられて……そして長い時が過ぎて、わたくしたちは、贄を差し出す事が自然の摂理なのだと思い込んでいた……」


 カステリアさまの説明に納得はいったけど、疑問は残った。


「でも、贄の王子がいなくなれば、誰が円環に魔力を供給するんです?」

「全天使よ! 一人だけにお役目を押し付けたから、その一人は膨大な魔力を捧げなければならなくなった。でも、全天使が心をひとつにして、毎日ほんの少し、自分の魔力を円環に送れば、円環は回るのよ。その事を、エドガーさまとそなたが、全天使に思い出させてくれた。そして、全天使の心は結びつき……五王国はとても友好な関係を保てるようになったの。そして、ふたりが試練を乗り越えた事で、御神から初めて、もう贄は必要ない、と……愚かと思った天使にも奇跡の愛があると証明されたから、と託宣がおりたの」

「もう、贄は要らない……もう、誰もこんな思いはしなくってよくなったんですね?」

「そうよ。全てはふたりのおかげ……」


 じんわりと喜びが湧いて来る。カステリアさまは、綺麗な産着を着せた我が子を渡してくれる。あたしは愛おしい存在に頬ずりする。この子がいなければ、耐えられなかったかも知れない……。


「さあ、新しい衣装に着替えて、エドガーさまを起こしましょう。陛下も入れてあげましょう」

「あの……レガートさまは?」


 言われるがままに、手伝って貰って着替えながら、あたしは尋ねた。

 あの優しい笑顔を早く見たい。きっと、この子に祝福をくれる筈……。

 でも、その名を聞いたカステリアさまは、不意に悲し気な表情を浮かべる。


「懐かしく、大切な名前だわ……」

「えっ……?」


 あたしの心臓がどくんと跳ねる。まさか……?


「レガートは……そなたとエドガーさまの為に見かけよりずっと無理をしていたみたい。だって、本当はまだ病床にいるべきだった身体で魔族と戦って、ここまで来て……。王城に戻って、かれはそのまま寝付いてしまったわ。わたくしは幼馴染の為に精一杯看病したけれど、かれは生に拘っていないようだった。食が細くなって段々と衰弱して……あの年の初雪の降った朝に、両親とわたくしとシャルム陛下に看取られて、静かに息を引き取ったの……まだ20歳だった……王城に、泣かぬ者はなかった……」

「そんな……」


 レガートさまの嘘つき。四百年後に会おう、って言ったのに!! あたしが……『レガートさまのお手伝いをして生きていきたい』なんて言い出しておきながら、ここに閉じこもる道を選んだから、生きる気力がなくなってしまったのかも……。


「レガートさま……いっぱい優しくしてもらって、いっぱい元気をもらったのに、あたし、恩を返すどころか……」


 あたしは泣いた。あたしは生きているのに、レガートさまはとっくに……。


「エアリス、自分の所為だと決して思わないで。レガートは、そなたに遺言を残しました。魂になってもそなたの幸せを祈り、見守るから、と……。きっとかれは満足している筈です」


 意識が朦朧となっていた時、何度か聞いた、励ます声……あれは、幻聴じゃなかった。レガートさまは、死んでもあたしの為に……。


「私はいちどきに、兄上とレガートを傍から失い、王太子の重責を負わされ、心が潰れそうだった」


 着替え終わったのを見計らって、シャルムさまが入って来られる。昔と同じ姿だけど、威厳を感じる。国王陛下だったのだものね。


「でも、常にカステリアが寄り添い、共に泣いて、自分は絶対いなくならないから、と言ってくれた。私はいつかきみに、『激しい恋情がなくても、癒し合える夫婦になれると思う』と言ったね。でも、私はそんなカステリアにやがて激しい恋情を抱いて……そして夫婦になった。幸せの形は色々だと思うけれど、私たちは幸せな四百年を過ごした」

「シャルムさま……」

「さま付けはなしにしよう、とあの時約束したのを忘れたのかい? きみは私の義姉……」


 シャルムさまはあたしの抱く子を覗き込み、不器用にあやそうとする。


「目と髪は兄上似だけど、他はきみに似ているみたいだ」

「そんな……あたしに似てもいい事ないから……エドガーに似てた方がかっこよく育つ筈……」

「そんな事ないよ、きみも充分かっこいいよ」

「……」


 その時……ぎいと音を立てて、棺の蓋が開いた。


「エア、リス……?」

「エドガー!!」


 あたしは赤ちゃんをカステリアさまに預け、ふらつきながらもエドガーに近づく。

 あたしの王子さまは、寝ぼけた顔であたしを見つめる。四百年も眠ってた眠りの王子さまだもの、仕方ない。


「これ……本当なのか。夢の続きじゃないのか。俺もおまえも、生きて、る……?」

「そうだよ! あたし達、運命に勝った。これからは、自由なんだよ!!」


 あたしはエドガーに抱きついたけど、エドガーもまだふらついてたので、あたしを受け止めきれずに仰向けに倒れて、ガラスの棺にごつんと頭をぶつけちゃった!


「ご、ごめん、エドガー」

「いいよ。痛ぇ……でも、これが生きてる証なんだな!」

「そうだよ、もう苦しんで死ぬ心配はないの! 御神はお許し下さったの……」


 あたしは、今カステリアさまから聞いた話をエドガーに伝える。


「レガート……あいつ……俺より先に死ぬなんて……」


 と、やっぱりあたしと同じく、エドガーにはそれが一番衝撃なよう。


「エドガーさま」


 カステリアさまが、目を赤くしてるエドガーに、赤ちゃんを差し出した。エドガーは、壊れ物を扱うかのようにぎこちなく赤ちゃんを受け取る。


「こいつが……俺とエアリスのガキ? なんだよ……猿みたいじゃんか」

「エドガー!!」

「エドガーさま、生まれたての赤子は皆そのようなものですわ。でもこの御子は……特別な光をお持ちのよう」

「うん……こんなに可愛いものなんだな、自分と愛する女のガキって……」


 猿みたいと言いつつも、赤ちゃんを見るエドガーの目には慈愛が満ちている。


 そんな時、番人さまが音もなく入って来られた。


「祝福しよう、最後の贄の王子と妃よ」

「番人さま……」

「そして御子にも。御子には、そなた達の親しい者の魂が宿っている」

「……?」

「セラフィムの天使長の息子レガート……かれは、死しても御神の元へ向かわず、エアリス妃を見守る事を望んだ。そして……その魂は、御子が生まれ出でる時、その中に宿った。もう、エドガー王が目覚めるのだから、自分が守る必要はなくなった、と……。勿論、レガートとしての記憶や人格はもうない。生まれ変わり、と言う訳ではなく、ただ、御子の生命の守護の光となったのだ」

「そこまで……なんでそこまであたしなんかの為に……」


 あたしは赤ちゃんを抱き締め、泣きながら、辛い孤独に何度も精神を手放しそうになった時、レガートさまの声で引き戻された事を皆に伝える。


『エアリスちゃんが誰の事も想ってないなら、僕と付き合わない?』

『妹みたいに……って言うのかな。つまり、恋してる訳じゃないけど、幸せにしたいと。恋心がないと、求婚しちゃ駄目なの?』

『良かったね、エアリスちゃん。僕はエアリスちゃんの幸せを見たいんだってば。いつでも支えるからさ』


 四百年も前なのに、つい最近の事の様にはっきりと思い出せる。

 どの時点で、そんなに想いは深くなっていたんだろう。生を捨てて、四百年も魂となってあたしを支えてくれてたなんて……。


「あたしは、自分一人で試練に耐えた訳じゃなかった。傍には眠るエドガーがいて、お腹にはこの子がいて、精神をレガートさまが護ってくれてた……そんなのでもいいんでしょうか。御神は……こんなあたしでも、お許しを下さるんでしょうか……」

「贄の妃よ……どんな生命も、結局は自分だけでは存在し続ける事は出来ないのだ。だから、争ってはいけない。こんな簡単な事を、長い長い間、誰も解ろうとしなかった。それを、そなた達は示した。充分だ」


―――


 あたし達は外へ出た。

 四百年前と同じ……いや、ずっとずっと美しく感じられる青い空がただただどこまでも広がっている。

 エドガーは、赤ちゃんを抱くあたしを引き寄せた。


「おまえのおかげだよ。おまえが、しぶとく諦めなかったからだよ」

「あたしにとって、エドガーが全てで、エドガーが辛い思いをした上に戻って来ないなんて、とても耐えられないと思ったからだよ。……本当に、こんな勝手な気持ちで、良かったのかな……」

「きみのやった事は、他の誰にも真似出来ない事だと思うよ。だから胸を張っていい」


 シャルムさまの言葉にカステリアさまが笑いながら、


「あら、あなたはわたくしの為にして下さらないの?」

「……。それは、勿論努力……」

「うふふ、そんなに真面目に答えて下さらなくたって、わかっていますわ」


 ……この二人は、四百年連れ添ってもラブラブみたいです。


「さあ、帰ろう、セラフィムへ!!」


 あたしの掛け声にシャルムさまが、


「そう。みんな待っている。寿命でいなくなった者もいるけれど、両親も元天使長も健在で」

「そうか……また会えるのか!」


 エドガーは嬉しそうに笑う。


「兄上、兄上はあまり身体的に齢をとっておられないような。私の息子も王位を継いで百年以上になります。よろしければ、直系の兄上に王冠をお返ししたいと思うのですが……」

「なに? またお務めかよ。考えてはみるけど、暫くは自由にさせてくれよ。エアリスとガキと、元の館で暮らしたい。ガキが大きくなったら、平和になった他の国も見に行ってみたい」

「それは……今では昔よりずっと簡単な手続きで諸外国と行き来は出来るようになりましたが……自由になった兄上がなかなか帰って来られないのではと心配になりますね」


 エドガーの言葉に不安そうに眉を顰めるシャルムさま。

 あたしは笑って、


「大丈夫ですよ! セラフィムはあたし達の大事な故郷ですから! それに……」


 あたしはカステリアさまに赤ちゃんを預けて、エドガーに抱きついた。話ばっかりで、まだ、身体が本当に大丈夫なのか確かめてない。それと……。

 四百年ぶりに、あたし達はしっかりと抱き締め合い、何度もキスをした。本当に辛い事はもう終わって、これから、エドガーと未来を築くんだ……。


 あたしはシャルムさま達に、自信たっぷりに言った。


「あたしがちゃんと、エドガーの首根っこ掴んでますから!」

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王子さまに首根っこを掴まれました 青峰輝楽 @kira2016

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