53・比翼連理

 円環の中は広かった。一面に花が咲き乱れ、柔らかな光に包まれた、清らかな気持ちになれる場所。

 あたしとエドガーは手を繋ぎ、なるべく花を踏まないようにしながら静かに中央の壇に上る。壇の上には立派な……立派なガラスの棺がある。あの中で、エドガーは四百年、眠らないといけないんだとすぐに察せられる。


『棺を開ければ、先代の贄の王子の魂は解放され、御神の元で永遠の安らぎを与えられる。だが、エドガー王には、その先代の魔力の残渣が残っているうちに、棺に入ってお務めを始めて貰わねばならない。そうしなければ、円環は止まってしまう』


 儀式の時に番人さまに言われた言葉。

 あたし達は恐る恐る棺を覗き込む。確かに、骨の欠片のようなものが僅かに入っているだけ。棺の蓋には丸い穴が開いて、天井から伸びて垂れ下がった太い茨が棺の中に入り込んでいる。


「これが……あの女の旦那様……ミカエリスの王子」


 あの、ミカエリスの贄の王妃だった魔族が、円環を壊したいと言うのを聞いてあたしはあの時思わず、『自分の夫を愛してなかったの?』って聞いてしまったけど、夫がこんな状態になってると予測出来ていたなら、円環を壊したくなるのも理解できる……。

『贄の王子がいないと保てないような世界はおかしい』とも言ってたっけ……。


「御神はどうして円環を、こんな残酷な仕組みに作ったのかな……。何かもっと別の方法で円環を回す事、出来ないのかな」

「おい、御神の業に異を唱えるなんて不敬だぞ」

「でもさ……」

「俺は番人さまが仰った通り、この宿命がどこから来るのか、何故与えられるのか、ずっと考え、色々と調べ物をした。そして知った事がある。初代の贄の王子が生まれたのは、遥か昔の天界大戦が終結した頃だと」

「えっ、でも、それより前から円環は存在してたんでしょ?」

「ああ。だから、おまえの言う通り、贄の王子以外にも、円環を回す手段は存在するという事だ。俺の想像だが、天界が贄を差し出さないといけなくなったのは、天界大戦を引き起こした天使たちへの御神の下された罰なんじゃないかな……」

「そんな! そんな大昔の天使がやった事のせいで、エドガーが贄になるなんて! あたし御神に抗議したい!」

「ばか、不敬な事言うなって言ったばかりだろ! 御神はその存在が大きすぎて、個々の天使がどうとかいう視点をお持ちでないのかも……でも、俺はさっき思ったんだ。番人さまが仰ったろ。『御神が望まれるほどの愛の力がなければ』って。もしも、俺たちが試練に耐え、生きて帰れたら、その時こそ罪は許されるんじゃないか、って」

「あ……」


 あたし達が、贄の連鎖を止められる可能性がある……?


「……さあ、いつまでもこうしてる訳にはいかない。棺を開けるぞ」

「待って!」


 あたしはエドガーにしがみつき、エドガーもあたしをぎゅっと抱き締める。ここにはあたし達以外誰もいない。見てるとしたら御神のみ。でもあたしはエドガーの正式な妃。咎められることはない……。息もつけない程深い口づけを繰り返し、愛してると数えきれないくらい囁き合った。


 頭がぼうっとなってきた時、エドガーはそっとあたしを離し、棺の蓋を開けた。先代の王子の骨は風化して空気に溶け、中に僅かに残っていた魔力は光の粒となって茨に絡みつく。茨はエドガーの為に場所を開けるかのように、すいっと持ち上がった。


「じゃあな。俺はおまえの強さを信じてるから……おまえが少しでも寂しくないよう、感情は共有したままにしよう。俺が眠れば、苦痛はなくなる筈だから……」

「うん!」


 眠っていてもエドガーの心を感じられるのなら、きっとあたしは耐えられる。


 エドガーはゆっくりと棺の中に横たわった。あたしは上からその顔を覗き込む。


「エアリス……ずっと、一緒にいてくれるなんて、想像もしてなかった……ありがとう」

「ずっと、傍にいるから。歌を歌って、お話をしてあげる。時々は、歌いながら一緒に眠っちゃうかも。そしたら、夢の中で会えるよ。エドガー、いつか言ったじゃない。手を繋いで眠ったら、後々、夢で会えるって」

「うん、そうだな。楽しみにしとく」


 小さく笑って、力強い腕があたしを抱き締める。


「眠る前に……おやすみのキスをくれないか……」


 それは、少ししょっぱい味のキスだった。涙が、唇につたってきたから。


「おやすみ」


 あたしはかれの頬を撫でて。


「愛してる」


 言葉が、重なった。


 棺の蓋が静かに閉まると、丸い穴に、あの茨が下りて来る。あれを見た時から、何の為にあそこにあるのかは想像がついてた。あたしはぎゅっと唇を噛み、子守唄を歌い出す。早くエドガーを眠らせてあげなくちゃ。

 かつて、幼い弟妹に歌って聞かせた子守歌……。

 魔力を込めたあたしの歌に、アイスブルーの瞳がゆっくり閉じてゆく。

 ……でも、閉じきる前に、衝撃が走った。茨がずんとエドガーの心臓に刺さったのだ。


「あ……ううっ!!」


 あの魔道具の槍と同じだ。血は流れてない。身体を傷つけずに、魔力が搾り取られていく。でも、あの時の何倍も苦しい……!!

 エドガーはあたしよりもっと苦しい筈。あたしは必死で歌い続ける。愛する人を、四百年の眠りに就かせる歌を。


「……お、眠りよ……お日さま出たら、またあそぼ……」


 段々苦しみは治まってくる。エドガーの眠りが深くなってきたんだ。ああ、やっぱりこの選択をしてよかった。エドガーにあんな苦痛を味合わせたまま、あたしだけ帰って幸せな生活を送るなんてとんでもなかった……。

 いっぱい守って貰った分、今度はあたしがエドガーを守る。だって比翼だもの。 あたしはずっと懐にしまっていた、王城でエドガーから別れを告げられた時に拾った、エドガーの白い羽根を掌に包む。

 たとえ直に触れ合えなくても、眠っている顔がすぐ傍にあって、温かい愛を感じられれば、それをあたしが守っているんだと胸を張れれば、これ以上の幸せはない。


―――


 朝も夜もないので、時間の感覚が全くない。レガートさまたちと別れて、何日経ったのか、何か月経ったのかすら判らない。

 ただただガラスの棺にもたれて、エドガーの顔を見ながら歌う。疲れを感じる事はない。

 でも。

 もう何年か経ったかな、なんて思っていた時……実は数か月だったのだという事が判った。

 最近なんで、何も食べないのに少し太った感じがするのかな、なんて最初は思っていたけれど……ある日、感じたのだ。お腹のなかに、命を。あの、たった一夜の結びつきで、あたしはエドガーの子どもを宿していた!


「エドガー、エドガー! あたし達に赤ちゃんが生まれるよ! ねえ、感じる? エドガー」


 眠ったままのエドガーの唇に、微かに笑みが浮かんだ気がした。喜びの感情も伝わってくる。エドガーにも判ったんだ!

 段々膨らんでくるお腹を撫でながら、あたしは有頂天だった。赤ちゃんが生まれれば、もう一人じゃない。一緒に遊んで、色んな事を教えて……。


 でも、ふっと、この想像に影が差した。

 あと数か月で赤ちゃんが来れば、あたしは嬉しい。だけど、赤ちゃんは……大切な子ども時代も人生の大半も、この閉鎖された空間で、眠ったままの父親の傍で、母親のあたしと二人きりで時間を送る事になってしまう。話を聞くだけで、美しいものも見ず、楽しく外を駆けまわる事も出来ずに……そんなのは駄目だ。この子は外で幸福に生きるべきだ。でも、扉は四百年経たないと開かないし、それに……この子と離れたくない!


『贄の妃よ』


 不意に心に、番人さまの声が届いた。誰かの声なんてなんて久しぶりなんだろう。


『そなたが望むのならば、その胎内の子の成長を止めても良い。生まれずに父と共に眠って過ごすのだ。お務めの終わりが見える頃に時止めの魔術を外して産めば、その子はそなた達と共に赤子のまま外に出て、寿命を生きるだろう。ただ、そうすれば、そなたが考えていたような救済はない。やはりそなたはたった一人で試練を乗り越えねばならぬ。それに、そなたが孤独に耐えきれずに、狂ったり死んだりすれば、その子は生まれぬままに死ぬだろう。どうするか、そなたが選んでよい』

「…………」


 一瞬怯んだけれど……答えは決まってる。この子の生を、あたしの弱さの犠牲には出来ない! あたしは、エドガーもこの子の幸せも守る!!


『了承した。では、その時が来たら教えよう。それまで、もうこちらから話しかける事はない』


 四百年もお腹の中で眠らせてごめんね……でもその分の四百年を、当たり前に生きて過ごして欲しいんだ。ここで育ったら、友達も出来ないし恋も知らないまま、歳をとってしまう。


 測れない時間をただただ、エドガーと赤ちゃんに呼びかけ、歌い続ける。時には、エドガーの眠りがとても深いと感じた時に、少しだけ歌を止めてあたしも眠ってみる。

 そしたら、草原にエドガーがいた。大きな翼を広げて、笑ってあたしを抱き締める。


「大丈夫か、おまえ?」

「大丈夫だよ! だってエドガーに逢えた! これは夢だけど現実でもあるよね」

「そうだよ、共有してる夢だよ。同じ事を感じて喋ってるし、触れ合う事も出来る」

「嬉しい……。ねえ、赤ちゃんの事、知ってるよね?」

「ああ。俺とおまえのガキか……。な、絶対無事に産んで、俺に見せてくれよな」

「うん。エドガーが目覚めたら、抱っこ出来るよ!」


 でも、こんな幸せな時間は滅多に訪れないし、長くは保たない。歌が止めば、眠りが浅くなり、苦痛が忍び寄って来て、突然に夢は消える。


―――


 長い長いときが経って、段々頭がぼんやりして、何故ここにいるのか、何故歌っているのか解らなくなる事も出て来た。


『頑張って、エアリスちゃん……大丈夫だよ、きみには出来るよ……』


 あれは誰の声だろう……この、箱の中に入っているひととは違う……。エアリス、ってあたしの名前だっけ……?

 これが、孤独に負けて狂う、って事なんだろうか? それもいいかも……いや駄目……とにかく歌を続けて生きる事を続ける……そう誓った筈……。


「エアリス、おまえは独りじゃない。俺とガキがいるだろ。頑張ってくれ!」

「だれ……?」

「エドガーだよ! おまえが命張って守ってくれてる俺を忘れるなよ。忘れたら今まで何の為に頑張って来たのかもわかんなくなるだろ! 俺はおまえのおかげで苦しむ事もなく眠ってるよ」

「エドガー……エドガー!!」


 夢でエドガーに逢えたら、少しだけ頭が、心が冴える。愛する心を思い出す。すぐに、意識は現実に引っ張られてしまうけれども。

 いつか誰かが言ってた「愛があるから辛い」っていうのも、少し解る気はする……でも、愛がない方が、絶対に辛い。あたしは、忘れない……!!


―――


 いつからか、自分が何を歌っているのかも解らなくなってきた。

 最初は、故郷でいつも歌っていた懐かしい歌、わらべ歌、子守唄、教会で習った歌……そして、天界で教わった、御神を、世界を賛美する清らかな歌を歌って来た。

 楽しい歌を歌えば、楽しい夢を見せられる……そんな風に信じて。

 でも、孤独に負けそうな時、虚無に呑まれそうな時、いつの間にかあたしは悲しい歌を歌ってた。悲恋の歌を、死に別れる歌を、生へ別れを告げる歌を。それはあたしの弱さから吹きだしてきたものだ。癒しの歌にはなれない。

 遠い所から、たくさんの天使が悲し気な顔であたしを見ている。知らない男の天使さま……その服装から、高貴な方たちだと微かな意識で感じ取る。


『負けてはいけない、比翼の贄の妃よ、我らが希望……』

『そなたは我らの光……御神の怒りをほどき、贄の連鎖を断ち切る救い主……』

『もう、新たな悲しみは要らない……!』


 ああ……あれは歴代の贄の王子さま? そうだ……あたしは試練の途中だった。


『エアリス、エアリス!! 歌を送ってくれよ……!!』

『え、どがー……?』


 ああ、苦しい。これはエドガーの痛み。あたしが癒しの歌を忘れたら、力を送るのを忘れたら、エドガーは死んじゃう!

 あたしは慌てて、もうぱさぱさになってしまったエドガーの羽根を握り締める。するとそこから、温かな感情が流れ込んで来る気がする。愛情と、信頼が。あたしが、絶対に護ると誓ったものが。


『ごめん、エドガー!』


 あたしは慌ててまた光の歌を歌う。命溢れる美しき世界の歌を。

 苦しみがひいてゆく。


『ありがとう……ごめんな……』


 すうっとまたエドガーが苦しみから逃れて眠りに落ちるのが感じられる。

 ああ、夢で逢いたい……。でも、あたしの意識がはっきりしないので、中々最初の頃のように感覚を合わせる事が出来ない。

 やっぱり、もう二度とエドガーと逢えないんじゃないんだろうか。赤ちゃんも外に出してあげられないんじゃないんだろうか。

 何もかも、無駄なんじゃないだろうか……。


『大丈夫だよ、エアリスちゃん……信じて……みんなが待ってるよ……』


 また絶望に沈みそうになると、誰かが遠くから励ましてくれて、それであたしは何度も気を取り直す事が出来た。

 これは、自分との闘いなんだ。あの、魔族がエドガーの心臓を抉ろうとした時に比べれば、ずっと安全な状態の筈なんだ。あたしさえ、あたしさえ、しっかりすれば!!


「エアリス、きっともうすぐ帰れるよ。そしたら、もう、ずっと一緒だからな」


 夢の切れ端でエドガーは希望をくれる……。


―――


『……贄の妃よ』


 誰かの声がする……。もう、明るいのか暗いのかもわからない。贄の妃、ってなんだっけ……そんな状態であたしは歌い続けていた。


『よくぞ耐えた。もう、お務めの終わりは見えている。そなたもエドガー王も無事に生還できるだろう。今から、時止めの魔術を解除しよう。たったひとりで初めての出産は辛いかも知れないが、そなたなら大丈夫だ。必要なものはこちらから送る』

『番人さま……?』

『目覚めたエドガー王に、子どもを見せたいだろう?』

『……!! ええ!! ありがとうございます!!』


―――


 また暫くは同じような日が続き、一度ははっきりした意識もまた混濁して、あの番人さまの声を聞いたのは妄想ではなかったのか、という気もして来た。だけど、段々とお腹は大きくなって来て……。

 その日が来て、ひとり、陣痛に耐えながらも、あたしは歌うのを止めなかった。

 そして……苦しみの後、小さな産声が聞こえたのと同時に、光が射した。扉が、四百年ぶりに開いたのだ。


「エアリス!!」


 懐かしい声がする。駆け寄って来る。


「……カステリアさま!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る